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ひとりひとり #仮面おゆうぎ会

こみ上げる腹痛に身悶えながら、ツイッターの画面を見つめる。
この鈍いようで鋭い痛みを知っている。第六感と直結しているこの痛み。私が直感と呼ぶこの痛み。

この腹痛の意味するところ、それは、「迷わず飛び込め」なのだった。やりたいけれどでも、そんな躊躇を飛び越えてしまいたくなるほど腹痛はギリギリと畳みかける。そんな仕様なのだった、私の腹は。幼い頃からそんな仕様なのだった。そして飛び込めば、私の腹は満足気に平穏を取り戻すのだった。私は飛び込んだ。腹を押さえながら『仮面おゆうぎ会』の舞台の上へ。


坂るいすさんの、『仮面おゆうぎ会』という企画。作者は皆、仮面をかぶる。作品のみが舞台に上がる。そこは作者名もフォロワー数も入り込めない完全無欠な舞台。自由に舞う文章。るいすさんの本質をついた視点の中、私は身悶えながらなんとか物語りを生み出そうとする。

ーーー

焦っていた。
会社までの道のりに、『フィクションのショートストーリー』という応募要項の切れ端がごろごろと転がっていく。
私は普段エッセイを書いており、私の身の周りで起きた事実をもとにする癖がついていた。思い巡らせてみても、やはりノンフィクションが邪魔をする。

そんな中、ぱっと浮かんだ一枚の絵。
それはいつか見かけた、昭和の日常を切り取った絵だった。
薄暗い闇の中に浮かび上がる籠。
蛍売りの絵だった。

蛍を売る。こんな商人が籠を揺らし砂利道を鳴らしながら行き交っていた時代。
それはあまりに現実離れしていて夢の中のようで、しかしはっきりと匂い立つ強烈なノスタルジー。
私は脳裏に残るあの絵の残像を思い浮かべながら、書き始めた。

ーーー

残業続き、休日出勤。
大きくずれた14時からの昼休み。私は社食の片隅でさっとランチを片付けると、残り時間でひとり書いた。そんな時間をつなぎ合わせて何とか書き上げ投稿した。

ぽつり、ぽつり、とハートがついた。
そして、ぴたりと、止まった。
横ではハートが降り続けている。
これが現実、私の実力。そう呟いてみたら、既に弱々しかった脈がとうとう止まりそうだった。
舞台の上に立ち尽くす我が子を見つめる。我が子は、此処に立ち尽くす私を見つめる。

会社帰り、赤信号に引っ掛かり、ツイッターを開いた。
暗闇に浮かんだ蛍の黄色のようなそれ。

笹さんのこの一言が、私の中を完全に照らした。
『たったひとりでもいい、聴いてくれる人がいるなら私は歌う』
いつか聞いたミュージシャンの言葉は安っぽくありふれていたが、それはあの頃の私がまだまだ幼く無知だったからだと知った。

ーーー

仮面おゆうぎ会が幕を閉じた今、舞台から降りた我が子の周りに寄り添ってくれているハートをひとつひとつ眺める。
ひとつひとつ。ひとりひとり。
寄り添ってくれている帯を眺める。
一文一文。ひとりひとり。

大切なことに気づかせてくれた仮面おゆうぎ会。
ひとりひとりに、感謝。
るいすさんに、感謝。








ぇえ…! 最後まで読んでくれたんですか! あれまぁ! ありがとうございます!