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美容師の憧れと別れ

昨日からサロン内の大掃除を開始しました。

サロンのBGMもケーブルがいらなくなったため、13年間使ったアンプから伸びた絡んだケーブルの断捨離からはじめ、今月中頃には終えれるよう進めていきます。


こんにちは宇留間です。

100歳まで21211日、趣味美容師という生き方を目指して今日もやっていきます。


というわけで、本日のテーマは「断捨離」することで得られたことについて、自分のここ数年の体験をお話ししていきたいと思います。

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▼その日は突然やってきた
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2018年4月28日、朝の9時でした。
家のチャイムが鳴り、玄関のドアを開けました。

そのゆっくりと開いたドアの前に立っていたのは、
家具を引き取りに来てくれた業者の加藤さん。

そう、この日、2018年4月28日に我が家は
それまで家の中に流れる全ての時間をコントロールしていた
テレビを断捨離しました。

20年前、都内のサロンで憧れの先輩美容師のTさんが買割れた50インチのプラズマテレビ。


1インチ1万円の時代の輝きは半端ではなく、、、ホームシアターで好きな子と見る映画、その状況に憧れて目指し、散々活躍してくれた、そんな憧れが詰まったテレビを断捨離したのです。


2018年4月28日、その数日前の日曜日の朝、事件は起こりました。


テレビの前で、横たわりアニメをみ続ける子供達をみた時に、これってすでに依存してるよなと感じてしまったのです。


もちろんそうさせたのは親である僕なのですが、であるならばこそ、、ここは、思い切ってテレビを無くす方がいいと判断し速攻で実行に移しました。


もちろん、妻との意見も一致したというのはあります。そこがなければできないことであるのも承知はしていました。


ちなみに、当時の僕は「断捨離」することを学ぶコミュニティに入って『「手放すこと」「執着しないこと」で得られることがある』という学びを深めている時でもあったため、、


見事に子供達がその恩恵を受けた形になったわけですね、、

とまぁ、それは当時の子供たちからすれば、いきなりいつも楽しませてくれたテレビがなくなったので、ショックだったに違いありません。

しかし、すでに当時から当たり前のようにインターネットがあり、タブレットやスマホがあり、YouTubeやNetflixがあったのであまり問題はありませんでした。

親側も、すでにインターネットを使っていましたし、もちろんテレビがなくても問題はないと思っていたので、実際に思い切って処分して良かったと感じていたんです。

というよりも、むしろもっと早く無くせば良かったなとさえ正直、感じました。


テレビがなくなったことで、情報が入って来なくなったかといえば、そんなことはなく、自分から情報は取りに行くことが出来るし、その情報自体も本当かどうかをより判断しようとする、そんな感覚が増えていきました。

それまでは、ほっといても流れてくるテレビからの情報が、真実だと思ってきましたし、それを何一つ疑うことなく自分の中にインプットしてきていたのです。

そんな僕でしたが、2018年4月28日テレビを処分する時点で、情報はインターネットから取る習慣が身に付いていたこともあり、テレビは映画を見る程度にしか役割がなかったこともあり、無くしてみてより情報源としてはもうなくても大丈夫だなと実感しました。

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▼無くしたことで見えてきた本質
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断捨離という視点からいえば、
テレビを無くしたことで、家族にとっても音楽やラジオなど、音声でのインプットや、本を見る時間が増えていきました。

これは、実際にテレビを無くしたことでそれまでなくなってしまっていた「時間」を生み出せたことだと思うので、すごく良かったことの一つです。


1日は24時間というのはテレビがあってもなくても、当然変わらないので、これは本当に良かったことです。


「テレビはリビングにあるもの」という執着を手放すことで、視聴率をとるために構成されたテレビ(スポンサー)の目的によって、「時間」を持っていかれずに済むようになったのですね。

※今日の発信はテレビ、テレビ業界を批判する意図はありません。ご理解いただけますと幸甚です。

それぞれには役割があることも改めて知るきっかけになりました。


当然、テレビにも役割があると思っています、エンターテイメントという視点で言ったら、テレビっこだった自分にとってもなくてはならない存在だったし、1日1本は映画をみたい自分にとっては最高のモニターでした。

しかし、手放したことで見えてきた「本質」は、「必要な正しい情報をを得る」という視点で見た時には、僕にとってはもう違うということにもたどり着いたのです。


より自分の限られた「時間」を有意義にするためには、「情報」がとても重要です。


その「情報」が、どんな目的を持っているのかを見極めていく必要があります。


そう考えた時、「情報」は自ら取りに行く姿勢がないといけないし、その自分の姿勢が、自分にとって必要な「情報」に辿り着ける唯一の方法なんだと確信しました。


なぜなら、情報は操作することが出来るからです。


その情報がもつ本質を探し、見ようとしなければ、絶対に辿り着けないようになっていることを知ることが出来ました。

これは、当たり前ですが、あくまでテレビを無くしたことで得た、僕個人の感想です。


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▼その後に訪れた今年の出来事
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2018年4月28日、テレビを自分から手放した結果、一つ自分の中にあった「テレビは情報源」という「執着」をなくすことが出来ました。

それが、一般的にみていいことか、よくないことかはわかりませんが、僕にとっては非常に効果があったのです。


2020年になり、テレビの情報が世の中にめちゃめちゃ影響する「出来事」が起こりました。

その「出来事」の本質がどこにあって、何を気づかせようとしてるのか、本当にその情報が必要なことなのか?


そんなことを考えてきました。


その結果、大衆に向けたメディアの役割と、そこから発信される情報が、必ずしも本質と一致しないということを知りました。


その情報を通して、操作したい世論には、ほんとはどんな意味があるんだろうと考えると、そもそもそのメディアが生まれた背景、歴史を見ていくことになります。

その情報がもつ本質や、その情報の裏側にある背景を見ようとしなければ、僕らはその情報自体に包まれてしまうことも体験出来ました。


というわけで、形のあるものでも、形なきものでも、「執着を手放す」ことを通して常に客観的な視点を持つことの大切さを、改めて教えてもらった気がします。

それでは今日はこの辺で。
ありがとうございました。

100歳まで趣味美容師ウルマ

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