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1・17

あの時、まだ起きる前。施設のベッドの上だった。急にガタガタ震えだして目を開けてみると、目の前には看護師さん。ちょっとー揺らさんといてよー、とそしたら地震だよ、結構大きなと教えてくれた。地震の記憶はそれ以前にはなくて、1・17が自分にとっては記憶のある中では初めての記憶になった。

その後新聞報道やTVのニュースなどで、とても大きな被害が報じられた。高速道路の倒壊、困難を極める医療現場など、子どもながらにもショックを受けた。

実親とされるふたりが1・17で亡くなったと知らされたのは、それからずっと先の話。

新型コロナで医療の危機的状況が伝えられる中、当時の災害医療も相当に深刻な状況であることは、その後調べてみて理解した。「未治療死」はその一端。福祉の現場も長期に渡って厳しい状況に置かれた人や地域と向き合うことになる。

人生には大きな岐路がある。その1つが1・17。

生きていくことが厳しい状況に置かれる中で、岐路を思い返すことができることもまた幸運なのかもしれない。あの日以来紡がれた絆、別たれた縁、色々絡まっているけれど、歩める限りは歩みを続けたい。

阪神・淡路大震災で亡くなられた全ての方に、哀悼の意を表します。

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