明日ちゃんのセーラー服について ノート

2022冬クール

 いつの間にか冬も終わったらしい。確かに世の中では桜も散ってしまっているので、もはやぼくが時間に取り残されているのかもしれない。闇の差してくる社会を横目に、日々の安寧を願っている毎日である。

 さて、2022冬クールの振り返りをしたいと思う。
 ぼくは暇人だが、することがないかというとそうでもなく、頑張っては見たものの7本のアニメを見ることが限界だった。

 中でも特に面白かった「明日ちゃんのセーラー服」について適当に書いておく。

「明日ちゃんのセーラー服」
 今クールでぼくが一番を挙げるとすれば「着せ恋」と「明日ちゃん」のいづれかだが、ここは「明日ちゃん」を挙げたい。
 概要を撫でておくと、遠方の田舎でデザイナーの母、家を空けがちの父、わんぱく盛りの妹と暮らしているのが主人公の明日小路ちゃんである。
 この明日ちゃんがお受験をして私学の蠟梅学園へと通うようになり、クラスメイト達と交流することで友情をはぐくんでいく流れ。分類しようとすれば青春群像劇か。
 さて、本題。
 「明日ちゃん」には大きく二つのアピールポイントがあったと考える。

 一つは濃厚なフェチ描写。
 まず1話で江崎江梨香が爪の匂いを嗅ぐ描写がある。その後もへそ、足、わき、汗などがフィーチャーされていた。若干変態チックなカット(アングル)も多かった。これら描写は、ある人には嫌悪感を、またある人にはドはまりするだろう。青春群像劇×少女という大枠のなかにフェチ描写を投入したのは勇気ある行動だ。
 では、なぜ人を選ぶだろうフェチ描写を作品に投入したのか。それはギャグの代わりだろう。「明日ちゃんのセーラー服」は青春群像劇である性質上真面目な話が多くなる。その緩和剤としてフェチ描写を投入したのではないか。おそらくギャグ描写に振るという可能性も検討されたはずだが、作品の方向性を損なわないためのフェチ描写の選択だったろう。ここでエロとフェチの境界が難しいがここでは扱わない。

 そして二つ目は明日ちゃんのセーラー服とは何かだ。
 まず結論を述べると明日ちゃんのセーラー服とは、聖なる衣である。
 明日ちゃんはクラスで一人だけセーラー服を着ている。明日ちゃんはその他大勢のクラスメイトと明確に識別されているのである。
 そして明日ちゃんは徹底的に異なる存在として描かれている。例を挙げると、明日ちゃんはクラスの中で変わることはない。最初からアイドルに憧れており、そして最終回では大好きなアイドルの曲を演目として踊る。この不変性は明日ちゃんに特有の性質だ。
 一方で、クラスメイトはみな明日ちゃんによって変わっていく。江梨香も兎原も四条さんも古城さんも蛇森も。皆明日ちゃんによって自らの抱えている問題を解決してもらい、変わっている。だがしかし、明日ちゃん自体は何も変わらない。明日ちゃんは常に明日ちゃんである。最初から最後まで明日ちゃんは自らの願いに向かって一直線でありそれは変わらないのである。

 明日ちゃんが遠方から通っているのも明日ちゃんが他と異なる人間ということを示している。
 この遠方から通う人間という設定。クラスメイトにも同じ設定を持っている生徒がいる。峠口鮎美である。鮎美は東北からの越境入学者だが、その事情を隠している。つまり明日ちゃんも鮎美も同じく異邦人だが、明日ちゃんはセーラー服の加護を受け、鮎美は自らを集団に限りなく同化させることで順応しようとしているのである。
 だから、鮎美だけが明日ちゃんに敵対しているように描かれているのである。同じ異邦人でありながら素のままま受け入れられている明日ちゃんを、自分を押し隠している鮎美は許すことができない。

 そこから筆は伸びていき登場人物の名前にも興味を抱いた。
 公式サイトの登場人物の苗字を挙げると

水上 谷川 木崎 明日 平岩 峠口 古城 兎原 蛇森 戸鹿野 四条 大熊 鷲尾 苗代 龍守 神黙 
 である。
 これら多くが地名か動物から取られていることがわかる。特に動物はウサギ、ヘビ、シカ、クマ、ワシである。これら動物がどういう意味を持つのかぼくは神話分析などしらないがいづれも神話に登場しやすい生き物であろう。
 また平岩、龍守、神黙などは神聖の滲んでいる苗字である。

 とこれまで苗字について触れたが、彼らの名字と物語で果たす役割がどのくらい関連しているかは今後の課題としたい。

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