ちょっとアタマ回転してきたで

なんでか知りませんが、ちょっと、ようやくちょっとアタマが回転してきたような感じですよ。僕は調子が出てくるとものすごい速度でものごとを処理していける力がありますが(ただし事務作業の一切を除く)、調子が出ないとグダグダでメタメタでボロボロで、ドンヨリした雰囲気であります。


でもなんでしょうか、ちょっと調子が出てきた気がします。


タイピングもいつもより早く打てる気がする。なんだか調子が出てきたぞーって感じがします。もしかすると、昨日の夕方に小商い塾のオンラインで好きなことを話しまくったからではないだろうか、いやそんな気がするぞ。


ぼくにとっての休憩というのは、もしかすると好きなことを好きなだけ話をさせてもらえる場所で、好きなことを言うている時間なのではないかという気がしてきました。ぼくが好きなことを話しているときは、その場の雰囲気のうち「知りたい、学びたい、聴きたい」という気持ちに応じて、降ってきた言葉をテンションに載せて話しきるという状態になります。


あれです、いわゆるイタコみたいになるのです。


自分がそれを言葉にしているというよりも、ひらめきが頭の中に降ってくるので、それを呼吸と喉の開け閉めと口の形でもって表現を変えることによって音の調子と言葉を彩って、テンションのままに話していきます。

そのため何を言ったのか覚えてないということがしばしばありまして、これは本当に再現性のないやり方で効率的ではないんだよなあと思いつつも、このやり方はときどきミラクルを生み出していることも事実なのです。


ありがたいことに、昨日もそんなテンションで話していたときに「そうか!自分がやりたかったことは菩薩業を世界に広げるってことなんだ!」ということを受講者の加藤さんが感じてくれていたらしく、自分が何をしていかなくちゃいけないのかがビビっと降ってきたようです。

でもそういうのけっこうあるのです。テンションが伝播すると、自由な心が伝播し、勇気が伝播し、楽しさも嬉しさもワクワクも、発想力も想像力も、いま自分がもっているものが空間に広がっていって、その場所を包むような感覚になり、その場にはいろんなことが生み出される場になります。

この場所だったら絶対やれる、という気持ちがぼくにある限り、その場所にいる人たちが「確かにやれる気がする、なんか出来る気がしてきた」という気持ちになるということがわり頻繁にあります。やばいな、いよいよ本格的に宗教家としての才能が発揮されそうですね(笑)


でも本当にそんな空気をつくることができるのは、自分が自分のことを信じる力が最大化されるし、その場にいる人たちがその言葉を待っていてくれると信じられているし、だから次々に言葉が生み出されていくことがごく自然という状況になっていって、結果的に「それが伝播する」ことになります。


ああ、そうだ。そういう意味ではオンラインでそれを実感した初めての日なのかもしれません。やはりどうしても空間をつくる力に、リアルで出会うのが重要と思い込んでいた部分があったかもしれませんが、どうやら距離を超えても、電波に乗せて伝播させることが出来ると信じていけそうです。


ちょっと書きながら何を言うてるのかわからんところもありますが、良い感じになってきました。頭の回転が回りすぎて、手が遅すぎてイライラするとか、口が遅すぎてイライラするっていうくらいが絶好調のサインです。


いろいろと仕込んできたことに期待が集まりすぎて、なんか不安だったのかもやもやした気持ちになっていたりしましたが、ご機嫌が戻ってくると同時に調子も戻ってきました。いつ死ぬかわからへんねんから、まあまだ心臓が動いているというのなら、いま生きている限りはやるだけ。


腕をグルングルン回して、ほんならやっていきますで~って感じです。

急に読者の方からサポートもらえてマジで感動しました。競馬で買った時とか、人にやさしくしたいときやされたいとき、自暴自棄な時とか、ときどきサポートください。古民家の企画費用にするか、ぼくがノートで応援する人に支援するようにします。