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宇宙に行った日

ある日を堺にして起こり始めたことを日誌として書いてみました。

よかったら読んで見てください。

出来れば太陽の陽の光が当たる下で読んでください。


”””


私はある時、空を眺めていました。


良く晴れた日の事でした。


場所はカルフォルニアで、そこは一年の殆どか快晴で大地をカラッと照らす太陽が特徴的な光が降り注ぐ土地です。


その日は雲1つなく、綺麗な青空が窓の外には広がっていました。


自分の部屋。


部屋の窓から見えるいつもの景色。


木は優しい風になびかれ、ゆらゆらとなびいていました。


それに合わせるように何羽かの鳥が営んでいました。


風に揺られサワサワとなる木の葉。


鳥の鳴き声。


それら全てが美しかった。


儚かった。


ふと気づいたら涙が流れていた。


止まらなかった。


止め処無く。


30分くらい時間にしたら泣いていたかもしれない。


有り難かった。


美しかった。


これら全てを構成している要素が。


嬉しかった。


そして同時に


悲しくもなった。


こんなにも美しい自然。


それ自体で本来は完全。


循環が取れている。


バランスが取れている。

流れている。

人はそれを

汚している。

乱している。

争っている。

殺している。

犯している。




自分のエゴや、つまらないプライドによって。




悲しかった。


色々な憎悪がこの星をおかしな事にしている。


辛かった。

悔しかった。

嘆いた。


そしてまた、涙が止まらなかった。



自然の美しさに。


その後何度も魅了され、


涙を流した。




ある日私は、瞑想をしていた。


すると突然、

一瞬何かが、

グワッとした。

クラっとした。

フワっとした。


そんな感覚がありました。


なんだこれはと、


とても不思議な感覚でした。

そこに意識を集中させた。


あの感覚をもっともう一度。


もっとクリアに。


もっと長く。


日々、鍛錬を続けた。



それは次第に鮮明に、ハッキリしていった。


今までフワッとしていたものが一点に。


凝縮させたその力をある一点に集中させた。


それは脳の中心。

眉間の奥。

額の目と目の間の奥。


それは光だった。


その光を受けた体は揺れた。


ブルブル震えた。


ビリビリ感電した。


全身のツボというツボを刺激していった。


その光が一点から、大きくなってゆくのがわかった。


脊髄に沿って、尾骶骨の当たりから、脳の中心から、頭上まで。


一気に何かが抜けていく感覚がした。


細く、力強い光が、体の中心に、駆け巡った。


物凄い力だった。


なにか物凄く大きなものに


引き込まれてしまう。


偉大な力だった。


良い方向へも。悪い方向へも。


どちらにも繋がってしまいそうな気がした。


良い方向とはまさに光であった。


眩しく、優しく、心地よく


本当に至福の時を感じた。


悪い方向とはまさに闇であった。


底しれぬ真っ暗な闇


一気に引き込まれそうになった。


怖くてベッドから飛び上がった


物凄く大きな声で叫んだのを覚えている。


真夜中に


大声で叫んでしまった。




その繋がる方向は、自分の状態によって変わる。


自分の中の恐れやトラウマ



負の側面と対時することになった。



それはまず、


全てのことに感謝することから始った。


トラウマや見たくないもの


蓋をしていたもの。


無視していたもの。


目を背けていたもの。


それらに光を当てるのは辛かった。


苦しかった。


でもあえて見る必要があった。


それらを
ありがとうと包み込んだ。


それは
偉大なる愛であった。


優しく包み込む大きな愛。


それに身を委ねてみた。


そしてその愛を持って、それら全ての闇を、抱きしめた。


そしたら自然とそれらの負が、フワっと無くなっていった。


許容されて、体の一部になった。


そして、それらの過ちから学び、それが知恵となった。


全ては必要な事であり、意味のあるものなんだと。

そしてそれが、自信と安心になった。


気持ちが楽になった。

何一つとして欠けてはいけなかった。


違ってはいけなかった。


自分を成長させるために必要な事。


奇跡的なことなんだと。



そしてそれを、心から実感した時



また、涙が止まらなくなってしまった。




こうして初めて


眉間の間から入ってくる

”何か”


それを、受け入れられる状態


整えられることが出来た。



そこから入ってくる偉大なる


”何か”



その力はとても大きく、扱い方を間違えてはいけない


そんなものであるのは確かだった。


すこしずつ、少しずつ。


それを体に慣らしていきながら


心を開いていった。


なにかに繋がりそうな気がする。



繋げられそうな気がする。


そんな感覚があった。



それを繰り返しているうちに



ある時本当に


繋がった。


それはまるで、体に雷が落ちたかのようだった。


全身に電気が走るような出来事だった。


本当に体が痙攣してた。


全身の力は完全に抜けている。


ただ一箇所、強く熱を持っている箇所があった。


背骨の脊髄に当たるところが共鳴し、体の全細胞に信号が伝わっていった。


そこにはめちゃくちゃ細いが、ものすごく力強い


白い線のような


電気のようなものが私の脊髄にビシッと通った。


ピシッ



ビリッッッッビリリッッ




と全身にそんな力を巡らせた。



一瞬ではなく、できるだけ長い間。



継続して体に取り入れていった。



このような現象のことがある本にかかれていた。


それは、「ヨギのある自叙伝」という本。
その中にこのような事が書かれています。

”””第二十六章 クリヤ・ヨガの科学

クリヤ・ヨギは、意志を用いて自己の生命エネルギーを脊髄の6つの中枢(延髄、頚椎、胸椎、腰椎、仙骨、尾骨の位置にある神経叢)に沿って上下に循環させる。

この鋭敏な脊髄の周囲にわずか30秒間エネルギーを循環させるだけでも、人間の魂は微妙な進化を遂げる。30秒のクリアがもたらす霊的進化は、自然のままに生活する場合の1年分の霊的進化に匹敵するのである。

聖典は、人間が脳を完全に発達させて、宇宙意識に到達するには、正常で健康な生活を続けたとしても、百万年年かかると断言している。
もしクリアを1日に8時間半で千回行ったとすると、このような1日は自然進化の千年に相当する効果をヨギにもたらす。すなわちこれを1年間続けると、三十六万五千年に相当する進化が遂げられることになる。こうしてクリア・ヨギは自然が百万年かかってもたらす効果を懸命な自己訓練の努力によって、わずか3年で達成することができるのである。
”””

このようなことがその本の中には書かれていました。
この本は、あのミニマリストで禅の心を取り入れていたでも有名なスティーブ・ジョブズが唯一、彼のiPadの中に入っていた本だそうです。

よかったらみなさんも読んでみてください。



そうしていく内に、

ある時私だけど私ではない


”何か”


が体の中に入り込んでくる感覚があった。


ドンドン自分を俯瞰して。


客観的に見る事をしていく中で、


ある時、私を外から操っているような、



それはまるで


ゲームの中の主人公をコントローラーで操っている


そんなような感覚になったのを覚えています。



何か自分を操作している


上の存在に繋がったような


そこから操作している感覚がありました。



ですが、コントローラーだと動きに制限がある。



そんなジレンマがあった。


もし自分の体を思い通りに動かすことが出来たら


超リアルVRの様に。


映画のアバターの様に。



そう思って入ってみました。


入った瞬間、すごかった。


息をしている。

酸素を吸っている。

酸素を食べている。

美味しかった。

バクバク食べた。

酸素でお腹がパンパンに膨れた。


酸素が体中に行き渡っていくのを感じた。



身体の営みを感じた。


物凄く緻密に。

物凄く精密に。


あぁ、なんて素晴らしいのだろう。


息をしている。

体が動いている。


筋肉がある。

腱がある。

細胞がある。

内蔵がある。

複雑に絡み合っている。

生きている。

人とはなんて素晴らしい生命体なんだろう。



ありがとう。




ここでもまた、感謝が止まらなくなり



また、涙が止まらなくなった。



何か、新しい自分に生まれ変わったような。



自分だけど、自分じゃない。


今までの自分だけど、全然違う。


そんなような不思議な感覚でした。




ここまで色々と言葉で書いてみましたが、まだまだ表現しきれていない事が沢山あります。


その感覚を元に
私のビジョンを一枚の絵に表しました。


今まで絵を描いてきていませんでしたが初めて
アクリル絵の具で描きました。


よかったら見てみてください。
よければフォローもお願いします。

https://www.instagram.com/itaru.kishikawa/




最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


それではまた!


星々へ!
Ad Astra!





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