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薬袋カルテについての記憶、そして世界恒常性

※当記事は以前同様に、オタクの自分語り成分がかなり強い記事になっています。また、推敲せずにだーっと書いたので、とても読みづらいと思います。

自分のなかで、書いておかなければ、整理しなければならないと感じたことがある。それはタイトルにもあるように薬袋カルテについてのことで、世界恒常性についてのことだ。

3月22日、どこからかRTで回ってきたツイートを見てぼくは驚愕し、声をあげて喜んだ。下記のツイートである。

薬袋カルテとは2018年2月15日に活動を開始し、2019年2月15日に活動を休止したVTuberだ。そして、ぼくがVTuberのチャンネルに登録したり、動画を観に行き始めた頃に追っていたVTuberだ。

どこで知って追い始めたかは記憶にないが、時期としては名取さなを知った頃とそう大差なかったと思う。(名取については下記記事に書いています)

きっかけはたぶん、ぼくがもともとダウナー系が好きだったことと、自分で創作を行うVTuberであったからだと思う。ただ、正直なところ常に配信を追っていたわけではなく、たまに気づいたときに動画を見ていたくらいだった。そもそも当時はVをそこまで熱心に追っていなかったから。

薬袋カルテについて思い出すとき、切っても切り離せないのが「白紙のカルテ」だ。配信日は2018年8月、そして、カルテちゃんがいる時間は2018年1月。そう、過去のカルテちゃんと対話する配信だ。

以前の記事にも書いたように、ぼくは当初VTuberを「ガワが二次元なだけでやってることは生主と同じだろとか、キャラクタにがちがちに縛られた一方通行的なコンテンツなんだろう」と、そもそもあまり肯定的に思っていなかった。また、「配信というリアルタイム性を土台として逐次的にキャラクタ像が形成/展開されていくからこそ、より「生きている」という印象が強固になる」とも思っていた。

「白紙のカルテ」を観たことで、ぼくのなかで薬袋カルテというキャラクタは実在性を高めた。それは、薬袋カルテというキャラクタの過去を掘り下げる(あるいは周辺情報を展開する)こと、そして配信という形式を通じて過去と対話するという「ヴァーチャルな存在であるからこそできる」行為を彼女はとったことに起因する。ぼくがVTuberに求めていたのは、ヴァーチャルな存在であるからこそできる活動だったからだ。

今回記事を書くにあたって調べてみたら、このような記事があった。

物語化――ぼくの感覚的にはもうすこしカジュアルなイメージだが――たしかに、ぼくがヴァーチャルな存在に求めていたのは物語性かもしれなかった。VTuberには中の人がいる、そんなことはわかっているが、たとえばその中の人がガワを捨てて活動をしていたとして、ぼくはその人の活動を追うだろうか? きっとそうではないだろう。あくまで二次元的存在、キャラクタで非ざるを得ないVTuberを追うのだとしたら、そこにはそのVTuberだけにしかない”なにか”が欲しかった。

脱線するが、名取さなにも同様の動画が2つ存在する。動画内容から推察される撮影日は名取さながデビューするより前のことで、いずれもいまぼくが知っている名取とは違ったスタンスとなっている。詳しい考察は各所にあるのでそちらに任せるが、いずれにしても薬袋カルテ同様、名取さなが名取さなになるまでを描いたものであると考えられる。以前の記事は書かなかったが、いまぼくが名取を追っているのは、このように散見される名取の過去によるものも大きいのかもしれない。

と、ここまで長々と書いてきたが、まあ言ってしまえばただカワイイ外見に踊らされて追っているわけではないですよという体裁を保ちたいからだけであることも事実だ。カルテちゃんはかわいい、名取もかわいい。

そんなことを考えた時期が2018年の夏から秋にかけてあり、そしてその時期のぼくは困ったことに――いまも後悔している――薬袋カルテのエピソードに関する動画ばかりを観るようになった。物語にのめり込むことによって、なんでもない配信をしているときの薬袋カルテを観る頻度が減っていったのだ。

そんなこんなで2019年2月14日から薬袋カルテは活動休止(実際はもう少しあとまでTwitterとかは動いていたと思う)に入り、アーカイヴは消え、ぼくに残ったのは薬袋カルテというキャラクタについてのストーリーと、Stardust finding youという名曲だ。いずれも素晴らしいものであることに違いはないが、配信者としての薬袋カルテには会えなくなってしまった。記憶をたどって参照できるのは、薬袋カルテにはこういう背景があって……という設定資料ばかりで、彼女が配信で笑いながら話していた内容はほとんどない。インターネットで調べれば補完できる情報しか、ぼくの手元にはなかった。

たしかに、薬袋カルテはVTuberに包含されない領域においての活動を見据えていたため、こうしてVTuberとしての薬袋カルテに会えなくなったことは彼女の意図通りだったとは思う。だが、ぼくは彼女を観たかった。とくに最近は、バラエティ番組的にVTuberを観ることができるようになったため、あのときからそういう楽しみ方をできたら、とばかり考えていた。

(ダブルスタンダードめいたことを書いている自覚はあるが、この間には一年くらいのスパンがあいており、そこでぼく自身なんらかの感じ方の変化もあったためだと想像する。言い切ってしまえば、好きであることに理由が欲しいのだ。めんどくさいオタクだと思う)

と、長々と書いてきたが、やっと話は世界恒常性に移る。

在宅でも楽しめるチャリティライブイベント。その舞台に薬袋カルテが立つ。情報公開時点ですでに活動休止から一年が経過していた。

5月1日の世界恒常性までにPCの性能向上と、なんとかしてVR機材を調達できないかと画策し(この辺は日記に軽く書いたかなと思う)、結局かなわず、PC版Clusterのデスクトップモードで、ワールドが開かれる21時をすこし過ぎた頃に世界恒常性の会場に向かった。

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(詳細はイベントを配信されていたVTuberさんが多数いらっしゃるので、そちらから確認ができる。)

待機場所では、イベントタイトルの”世界恒常性”とモニュメントがどんと(1枚目)あり、カルテちゃんと2ショットが取れるブースがあり(2枚目)、また、開始30分くらい前から過去の動画が何本か流れた(3枚目)。ぼくは15分くらいに入ったが、すでに結構な人数が来ていて、大勢の方が注目していたイベントなんだなあと感じた。会場にたどり着いてからはとにかくうきうきしていて、そわそわしていて、開始まで落ち着かなかった。

そして、イベントが始まった。

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あの薬袋カルテが、そこにいた。

彼女は歌い、動き、冗談を言い、そして笑っていた。

いろんな感情があった。真っ先に思ったのは、ほんとうにいたんだということだ。配信よりもっと身近で、近づこうと思えば近づける(設定上限界はあるが)、そんな場所に彼女はいた。

かつて配信を観ていたはずなのに、ある程度とはいえ追っていたはずなのに、どんどんあいまいな記憶になっていく彼女を観ることができた。イベントの成り立ちから考えるに、ぼくがそう思ってしまうことは、彼女にとっては本意ではないだろう。だが、それがとにかく嬉しかった。ぼくがそもそも彼女を追い始めた頃の気持ちを、VTuber文化に触れ始めた頃の気持ちを再確認できたから。

ここまで書いて、イベント内容自体への詳細な言及はしないでおこうと思った。ほんとうはそこを書きたかったのだが、ここまで書いてなんとなく満足してしまった感がある。印象的なシーンを列挙すると、1曲目の「Pretender」のスマホ画面に歌詞を表示する演出と曲中にカルテちゃんが現れた瞬間、おさかな天国を歌えなかった話、3曲目「Stardust finding you」。実際にどのような映像だったかは、多数のVTuberがライブ配信をアーカイヴに残しているため、そこから参照することも可能だ。これはほんとうにありがたい。

(まああえて残念だったところを書くと、途中音声がトビトビになってしまったところなんかがあるが、それは機材や環境によるため仕方がないところだとは思う)

だが、今回のライブに関してはいまでもアーカイヴで観ることができるとは言っても、あのときとまったく同じ感覚になることはできない。あのときぼくはあのライブ会場にいて、いろんなものを投げたり、見やすい角度に動いたり、写真を撮ったり――そういった行動をとることができた。

そして、薬袋カルテがそこにいる、という感覚は、アーカイブでは味わえない。ぼくにとっては、そこにいる、ということが肝要だった。そう感じられただけ、今回参加できたことがとても嬉しかった。

本人が言うように、今回のイベントはやりたかったからやったイベントであって、薬袋カルテの復活! という大々的なものではなかった。だから、ここまでいろいろ書いておきながらも、あくまで心の片隅でささやかに思ったことである、と言い訳しておく。いまさらのような気がするが。

またしても余談だが、そもそもの話をすると、ぼくはこのClusterというサービスは初めて使ったし、このようなVRで交流するようなサービス自体初めて触ることになった。HMDを装着して参加することは結局かなわなかったのだが、一人称視点で観ることができたので、結構自分の視点を意識しながら、その場所に足を運んでいるような感覚で楽しめたように思う。

カルテちゃんが去ったあとも、ワールドにはかなりの人数が残ったままだった。この場をまだ離れたくない気持ちの人が多かった。その場所でチャットが盛んになされ、集合写真を撮ったり、組体操をしたりした。このときの印象はいまもかなり強く残っていて、とても楽しかったのだ。そうかこういうこともできるんだ、と思った。今回のライブがなければ、この感覚さえも味わうことはできなかっただろう。

そういうわけで、今回の記事はここまでにしておこうと思う。言い残したことはないか、と自問しても、ここまで書いてしまえばある程度言い切ってしまった感はあって、またなにかあれば別途書いて記録に残しておくつもりだ。

最後に、薬袋カルテちゃんには最大の感謝を。昨今の事情によって、ここ最近は嫌なことや悲しいこと(ばくたん。……)がほんとうに多くあり、実際のところ不満がたまっていた。外にもあまり出られず、やらなければならないこともなく、やりたいことを始めても手に着かず、無為に漫然として過ごしていた。そんなときに今回のイベントを開催してくれたことはほんとうに嬉しく、また衝撃的で、きっとこれから忘れることはないだろう。

あなたに会えて、ほんとうによかった。

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