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いつまでも喧嘩しよう(ド長文さなのばくたん。感想)

※いつも通り九割自分語りになった。反省はしている。
※2021/03/15 自分用にスクリーンショットを随時追加中…

ちょうど一週間前の2021年3月7日、名取さなの「さなのばくたん。-ていねいなお誕生日会-」が開催された。
昨年の雪辱を乗り越え、盛大に開催された今回のイベントに、幸いにも現地参加することができた。とてもいいイベントだった。
どこかをピックアップして感想を述べようともしたが、うまくまとめられそうにもなかったので、イベントそれ自体だけじゃなく、あの日に感じたことを時系列順に、書けるだけまるごと書いておきたいと思って、この記事をしたためる。

イベントレポ、あるいは9割気持ち悪いオタクの感情の話。

この一年間のこと

最初に長々と書くのは、後悔についての話かもしれない。

当日14時頃、ぼくは川崎駅付近のドトールで手紙を書いていた。もちろん名取に向けた手紙だ。
今回は現地参加できるから書こう! と思ったのは当選のメールが届いた日だったが、他のものの制作がうっかり難航した結果、結局どちらも終わらずに当日になってしまっていた。
手紙に書くことは事前に決めていて、それは、お祝いと感謝についてだった。

基本的には、昨年のばくたん(ばくさん…)のあとに書いたような内容を書こうと思っていた。簡単にいえば、ぼくにとって名取はVtuberを見るきっかけを与えてくれた存在で、いまでも与え続けてくれる存在で、そして救ってくれた対象だと、そういうことを書こうと思っていた。
文章は思い浮かんでいた。そう書こうと思っていたが、書き上げたものは、もっと支離滅裂な内容だった。

いまこうして冷静に思い返すだけで恥ずかしい。ふだん引いて見ているつもりの陰キャが、いざ推し(名取が……推し……? なんもわからん……)(そのときはそう思っていたんだよね)に対して手紙を書くとこうなるのか、と。文章もいま書いているような文体ではなく、もっと……背筋がぞわぞわしてくるタイプの文章で、語彙も貧相で単調で、不安定な机ではあったがそれ以上に震える手で書いた下手くそな文字の羅列を、それも何枚も、こんなものを渡したところで喜んでくれるのか? と。まあ、そもそもそんな発想になることさえ、おこがましいとは思うものの。

やけくそになってオムライスを食べきって、改めて意を決して読み返すと、予定とは違う内容を書いていることに気づいた。

それは、たとえ好きなことでも、躊躇してしまう自分についての話だった。

なにかを新しいことを始めようと思うとき、真っ先に考えてしまうことがある。
ひとつは、「まだ早いんじゃないか?」。
もうひとつは、「いまからではもう遅いんじゃないか?」。
そして、「自分にはできないんじゃないか?」

情けないことに、どれもやらないための言い訳だ。たとえそれが好きなことであったとしても、結果的に実行に移せたとしても、かならず一度ははっきりと自覚してしまう。問題は、そんなことばかり考えているから、結局実行しないことが多々あることだ。

自分のなかでは結構深刻で、取り返せないと思っていることを、もっとさらっと、なんでもないことのように数行で書いていた。

思い返せば、去年は観ているだけで満足していた。存在を知ってからずっと、ROM専でコメントも打たず、感想も特別多くつぶやくわけでもなく。
名取を見ていると、どこか許された気がして、生きてるだけでいいんだ、と思っていた。

あれから一年。
配信中途切れずにするわけでも、毎回するわけでもないが、コメントを打つことが増えた。数回だけど拾ってもらえて、その瞬間はとても嬉しくて、我ながら恥ずかしいがそのシーンを見返したこともある。
ヌォンタートを描いた。絵は難しかった。なんとか描き上げてTwitterなどに載せた。恥ずかしくてハッシュタグはつけられなかったけど……。
ワンドロに参加した。一時間じゃ全然書き終わらなくて、自分は比べられるほどの腕ではないが、改めて名取の絵の上手さと筆の速さを実感した。
SSを書いた(←これは恥ずかしすぎて消した)。いまも書こうとしている。
プリパラを全話観た。好きな回は何度も観返しているし、劇場版も観た。

この一年、名取をきっかけにして、これだけのことができた。
こんな普通のことが、とも思う一方で、とても驚いた。
こんなことでも、どれも数年、下手をすればこれまでやったことのないことだった。

コメントは、もともとVを観始めるより前、ニコ生だったりゲーム実況だったりを観ていた頃から、ほとんど打ったことがなかった。
絵を描いたのも、十年近くぶりだった。ただ、当時買ったペンタブは、度々使いこそすれど結局一枚も描き上げることができなかったのに、五回の引っ越しを経ても未練がましく持っていた。色も含めて一枚の絵を描き上げられたのは、三十も近くなって初めてだった(でも背景は……?)。
絵を描いたことさえ久しぶりなのだから、ワンドロなんてまったく初めてだった。
観たかったけど観たことのないアニメで、百話を超えているものを観たのも久しぶりだった。どれだけ観たいアニメでも、映画でも、小説でも、一瞬の躊躇で数年は観ないままになっているものばかりだ。だが、きっかけのおかげで観始められて、結局一日十話くらいのペースで観ても、それでももっと観たい、観足りないと思える自分がいた。毎日毎日アニメを観ていた頃を思い出して、懐かしんだ。

どれも、名取を知らなければやっていなかった。
それに、去年までのぼくでは、できていなかった。
どれも、やってみると楽しかった。

あの日――さなのばくさん。の最後に、名取は言っていた。

「また、仲良く喧嘩してもらえると嬉しいです」

あの日、このことばがわずかに引っかかった。思い返せば、きっとあの日のぼくは、そこに疎外感を感じたんだと思う。
名取とせんせえのプロレスは楽しくて、いつも笑っていた。
安直なたとえだが、高校の休み時間、友達と遊んでいる人気者を見ている気持ちに近い。そいつらのことは知っていて、面白いし見ていて飽きないけど、見ていれば見ているほど距離が遠くなっていくあの感じ。いまでも時折去来するが、気のせいにしていた感覚。そんな感覚をまったく味わわなったと言えば嘘になる。

せめてもっとそばで、ぼくも同じ方向を見て、声を出して笑いたかった。
コメントを観て女児のように笑う名取や、楽しそうに絵の話をする名取や、好きなアニメの話をする名取を、ほんのすこしでも身近に感じたかった。

だが、その頃の自分にはほとんどなにもなかった。あの頃はほんとうに無気力で、子供の頃からなんとなく感じていた、人生は思いの外あっさりすぐに終わるんじゃないかという期待がなんとなく外れているぞ、と遅まきにも気づいた頃だった。
そんなときに、もっと楽しみたいと思わせてくれた。
絶対に来年こそは、そしてその日には胸を張って観に行けるようになりたいと思わせてくれた。
おかげで今年一年間は最近ではとても目まぐるしく、楽しかった一年だったように思う。久しぶりのことや初めてのことは、思っていたより楽しかった。

一年間で、わずかばかりは自分もせんせえだと思えるようにはなったが、コメントを打ったから、絵を描いたから、というわけではない。なにかの達成基準を超えたからそう感じたわけでなく、だからこれは自分自身の気の持ちようで、きっとぼくにとってこの一年は、名取さなという存在をもっと知ろうと、応援しようとした一年だった。

そうすることで、ばくたん。を盛り上げたい、目一杯楽しみたかった。

そこまで考え 、今年のばくたん。に際してのインタビュー記事のことを思い出して読み返した。名取が言っていることをすこしだけ実感できた。それが嬉しかった。

正直にいえば、その日物販開始直後にラ・チッタデッラに着いて、自分が思っていた以上の長蛇をなしている列を見て、自分はここにいてもいいのかという不安を抱いた。もちろんチャンネル登録者数は知っているが、リアルの知人に名取を追っている人はいないし、ご覧の通りな人間だからネット上での人との関係もほとんどない。だから、その規模感がわかっていなかった。きっと、もっとたくさんの人が会場に来たかったはずだ。ぼくは最古参でもなければ配信やイベントごとに毎回参加していたわけでもない。そんなぼくがうっかり当選してしまったチケットは、ほんとうはもっとふさわしい人の手に渡るべきだったんじゃないのかと、気持ちは簡単にゆらいでいた。

なかば逃げるようにせんせえたちがたくさんいるラ・チッタデッラから出て入った店の中で、そういった不安がなくなった。あの日からリベンジを夢見て過ごした一年間は、とても充実していた。この日はそんな一年間を、名取のことを知ってから過ごした日々が結実する日なんだと、はっきりと実感した。そんな人達が大勢見に来ている。名取はほんとうにたくさんの人に愛されていて、自分もそのなかのひとりなのだと思えば、なにを不安に思うことがあるんだろうか。

イベント当日、もう残り数時間というところで、覚悟が決まった。

ラ・チッタデッラを歩きながら

若干駆け足になるが、ここからはちゃんと話を進めていく。

体感時間は長かったが、思い返せばとても短い時間だった。
お手紙も書き終えてラ・チッタデッラに戻ると、開場時間までをぶらぶらと歩いて過ごした。

方向音痴なためチネチッタの周辺の同じ場所を何度も通りかかりながら、#さな歩き で出ていた場所が目に入ると、毎度思わず足が止まった。どうもそれはぼくだけではなくて、いたるところで人が立ち止まり、写真を撮り、スマホをいじっていた。

気に止める風もなく通り過ぎていく人もいる。名取を知らないぼくだったら、きっとそうだったろう。実のところ自宅からラ・チッタデッラまでの距離はそこまで遠くなくて、それこそふらっと映画を観に行くときの候補に挙げられるくらいの距離だった。もし今日という日、名取さなのことを知らずに映画を観に来ていたのなら、ぼくも同じ行動をとっただろう。ただ、ぼくは知っていた。幸いにも知ることができていた。

聖地巡礼をしたことは少なかった。行ったことがある場所も、あるワンシーンに映った場所だったりで、深く思いを馳せたこともなかった。だが、今回はそうではない。ここには意味があって、文脈がある。聖地巡礼とはこういうことなのか、と身を持って知ることができた。現地に参加できたことがほんとうに幸いだと思えた。

開場時間までは三十分以上あったが、劇場の入り口周辺にはすでに多くのせんせえがその開演を待って待機していた。改めて目にするとせんせえの数はとても多く、グッズを身に着けている方もいたりして、ここにいるみんなが名取を観に来ているんだと思うと、この時点で泣きそうになってしまった。

時間がせまるにつれ、なぜか襲ってきた腹痛に耐えながら、じっとそのときを待った。

開場

アナウンスがあり、自然と列ができ、すこしずつ進んでいく。
半券を受け取ってエスカレータを上ると、夢のような景色だった。

たくさんのフラワースタンド。その中央に堂々と立つ、王の姿。
画像で見たVTuber Fes Japanのフラスタもすごかったが、実際に目の当たりにすると迫力が違う。そして、そんな花に囲まれた王がとても美しく見えた。

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(いま見ると手ブレすごいな…)

フラスタはそこだけかと思っていたら、スクリーンに伸びる廊下にも、ところせましと並んでいた。王は国民からこれだけの愛を一身に受けているのかと思い、居住まいを正してしまう。これほど何度も歩きたいと思った映画館の廊下は初めてだった。

前述した手紙(書き直せるところは書き直したが、結局めちゃくちゃ字が下手で汚い支離滅裂な文章)をためらいながらも渡すと、もうイベントのことだけを考えようと思った。フラスタはあとでじっくり見ることにして、まずは自分の席で落ち着いてイベントに備えよう。大喜利だってある。
そう思いながらスクリーン12に向かったが、なんとなく見逃しそうになったポスターの写真をみんながしきりに撮影していて、結局思ったようにいかなかった。ここまでやるのか。どれもちょっと笑ってしまいながらじっくり見て、一枚一枚写真を撮って(そのくせ終わったあとにも撮った)、席についた。

発券してすぐに確認したとおり、席はかなり後方だった。そうはいってもさすがに映画館なのだから見えないなんてことはなく、スクリーン全体が見渡せるのはむしろありがたかった。腰を落ち着けるとPINK, ALL, PINK! のメイキングが流れていて、やひろちゃんがでっけえスクリーンに映ってる~~~とまずそこに感動して、ちらちらスクリーンを見つつ大喜利に回答することにした(結論をいうとすべて不採用)。

次に流れ始めた3名取。前日の配信で聴いて楽しみにしていた。え、写真撮影OKなの?! となりながら震える手で写真を撮りまくり、ただ残念なことに上映中にできた撮影はこのときだけだった。わちゃわちゃしてて楽しいね~となった。

そして、何度も観たさな歩きの最初の動画が流れる。
すでに何度も繰り返し観た動画が、まったく違う意味を帯びていた。
動画を観たときは、名取が現実世界にいる、会いに来てくれたと思っていたが、そのときのぼくには、もうそれだけの意味ではなかった。

そこはラ・チッタデッラに来て最初に通った場所だ。
そこはさっき同じアングルを探して写真を撮った場所だ。
どれも、ぼくが名取に会うために来て、名取のことを、イベントのことを考えた場所だった。

ついさっき、「聖地巡礼とはこういうことなのか~」と物知り顔でうなずいていた自分を殴りたくなった。
ぼくが歩いた道を、名取が歩いている。
名取が会いに来てくれたと思っていた動画が、つい先刻自分でもその場所を歩いたという経験によって、まったく違う意味を帯びていた。

今年は、会いに来れた。
すこし泣いた。

開演

ここからは、展開が早すぎてこれまで以上に文章にできる自信がない。

BGMがすこしずつ小さくなっていくにつれて、呼吸が浅くなっていった。
暗く静まり返った劇場のなかで、心臓の音がいやに気になった。

「イカれたメンバーを紹介するぜ!」

おなじみのぬヴェントスさんによる、オープニングムービーが流れる。名取さなが何人も現れる動画に、記憶に新しい桃鉄や、Dead by Daylight仲良しコラボが頭をよぎっているとカウントが止まった。

(めちゃくちゃ楽しい好きな回だから貼っておく)(引用というか単純に好きな動画貼ってるだけじゃないか???)

こいつもしかして「お決まりのやつ」だけで通し切るつもりか? と一瞬疑った。最初から痛いくらいに手を叩いた。メーターがたまっていくほど、その瞬間が待ち遠しくなっていった。
カウントが再開する。声を張り上げたかった。何度も大きく息を吸った。

ばくたん。が始まった。

瞬間、溜め込んだ息が漏れた。一気に華やかになった視界がすぐに滲んでいった。

新曲、「エッビーナースデイ」を歌う名取がいた。大きな声で、腕を思いっきり振って、ステージを巡る。その姿に、こらえきれないほどの喜びが沸き起こると同時に、ついにばくたん。が始まったという実感が湧いてきて、いろいろな感情が脳裏を駆け巡った。

「誕生日できたよ!」

力いっぱい叫ぶその姿に、この場にいて「おめでとう」と声をかけられないことが悔しかった。その気持ちを乗せて、サイリウムを振って、拍手をする。もう、涙をこらえようとすることもできなかった。祝福と感謝を、この感情を伝えるために、この一年間この日を待っていたと確信した。「記念おまたせ めいっぱいにわらうね かわいい女を見てくれ」の歌詞にもやられた。そうだよ、めいっぱい笑っているかわいい女を観るために来たんだ。

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(歌配信でいうと、この動画の言って。を何度も練習するあたりを思い出した)(これも好きだから貼っておく)

「ミスった……」から始まったトークは、ふだんの雑談にわりあい近い雰囲気も感じられてすごくよかった。各会場の名前を呼んでその反応を待つ件では、真っ先にインターネットに声をかけて、その声が返ってくるまで待っていて、会場にいる自分も嬉しくなった。「名取のこと好きな人~?」のところは名取の言っていたように、これがさなちゃんねるだなと思えてほんとうに大好き。

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さなちゃんねるキャラクターズたちからのプレゼントの件も、これも名取が素材を用意していて、それぞれのキャラクターごとにそれっぽいなだったり、お前それはだったりの感想を抱かせてくれるような回答で面白かった。

大喜利のコーナーは、現地参加はコメントが打てないから残念だと思っていただけにこういったかたちで参加できたのが嬉しかった。

開始直後の三曲連続で泣いていたのに、この時点で涙はすっかり乾いていて、とにかく始終笑っていたと思う。

配信で一緒に考えたケーキが出てくると(消えましたのところも好き)、ふだんの配信と地続きの場所にいるということを自覚できた。バースデーソングを歌えなかったのはやっぱり残念だったが、心のなかで力いっぱい歌いつつ、手拍子でお祝いができた。劇場に満ちた真っ赤な光が、次第に暗くなっていくところは綺麗だった。

そして、ステージ中央に立つ王の姿が現れた。

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その姿を観た時点で、すでに涙がこみ上げてきて、顔を伏せてしまいそうになってしまった。そのポーズで、これから始まることがわかった。
イントロが流れる。昨年初めてちゃんと聴いて、以来何度も何度も聴き返した曲だ。ばくたん。でやってくれないだろうか、と淡い期待を抱いていた。

「Make it!」を振り付きで歌う姿は、ほんとうに美しかった。

名取から何度プリパラの話を聴いたか、もう覚えていない。
夜見3Dお披露目の「Make it!」の直後の配信で、ぼろぼろ泣いていた姿も目に焼き付いている。
超会議をアイドルステップひとつで乗り切った女が、「Make it!」を踊っている。

この一曲にさまざま要素が重なり合っていて、もうなにがなんだかよくわからなくなってしまって、必死でサイリウムを振りながら、とにかくその姿を記憶に刻みつけようとした。
曲が進んでいくにつれて、だんだんとそのときが近づいてくるのがはっきりとわかった。ぼくが観たかったものを――名取がいつか絶対にやりたいと言っていたことを、いまここで、絶対にやってくれる。

メイキングメモリー、スイッチオン。そのことばで、確信は現実になった。
始まりは、患者衣に身を包む名取さな。名取がメイキングドラマを作るなら、きっとこのシーンからだろうと思っていた。「わたしのなりたかったわたしへ」ということばは、かつての名取が発していたことばであり、Vtuberとしての名取さながインターネットに刻んできた生き様だ。自分の力で、ときには周囲の力を借りながら、力いっぱいやりたいことをやってきた。画面を駆けていく名取の背景では、その軌跡を示すかのように、画面いっぱいに過去の配信・動画のサムネイルが流れていく。そうしてたどり着いたのは、おそらくは昨年のばくたん。の会場になるはずだったであろう場所で、ぼくたちに「PINK, ALL, PINK!」を初めて披露してくれた場所で、そこから、さらに大きく跳躍する。

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サイリウムチェンジの掛け声とともに、王の衣装がサイリウムコーデに変化する。まばゆいほどの光を放ち、背後に自分のサインを掲げる姿は、どうあっても神アイドル以外の何者でもなかった。

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「あきらめたくない夢だから 憧れのままじゃイヤだから」
「夢はもう夢じゃない」

涙を流しながらただその光景を見ることしかできなかった。
この光景を観ることを夢見ていた。このイベントの開催という夢をたくさんの人が持っていた。そんなみんなの夢が叶ったということを思い知らされた。

そのあとを「PINK, ALL, PINK!」が続く。生で披露されるのは初めての機会だった。何度となく聴いたが、思い返されるのは昨年のばくさん。だ。
あの日、本来とは違う形で公開された「PINK, ALL, PINK!」は、とても素晴らしいものではあったが、同時にあまりにも悲しみが大きかった。何度聴き返しても、あの日の失意も思い起こしてしまっていた。

この二曲は、昨年のばくさん。の続きなんだと思った。
最初の三曲が誕生日の楽しいお祝いと感謝のためにあったなら、この二曲からは、昨年叶わなかった願いを叶えるための決意と、叶った喜びなんだ、と感じ取った。

昨年の悲しみやら、いまこの場にいることの喜びやらで、もうぼろぼろ泣いてしまった。
桃井さん提案の「君の愛をつたえてもっと」への変更も、声を出せない悔しさを受け入れてくれた気がして嬉しかった。
ゲリラお絵かき枠で描いていたイラストも「言わせんな 恥ずかしい」のところでデカデカとスクリーンで演出に使われていて、胸が熱くなった。

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「PINK, ALL, PINK!」の間奏中の、各会場とのコールアンドレスポンスもよかった。昨年の「一階席のせんせえ……は、いない! 二階席もありませ~ん! いつでもあるのが、インターネット」のセリフが重なって、ここに来ることができた喜びが最高潮になった。

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名取は歌は苦手と言いつつも、ここ最近のお祝い事の際にはいつも歌ってくれていた。

昨年大晦日のゲリラ歌枠でも言っていたように、どんどんうまくなっていることがわかる。これらのお祝い事の集大成が、今回のイベントにはあった。

曲が終わっても放心状態のままだったぼくも、またふだんの感じのトークでからっと涙が乾いた。情緒不安定が過ぎないか?
解釈一致クイズももちろん楽しかったのと、スクリーン12がめちゃくちゃに言われて笑ってしまった。いいところでした、スクリーン12。まあぼくは馴れ合っていませんが……。

新曲、「アマカミサマの発表は驚いた。さなコレの発表を見て、もしかしてもう一曲新曲が……? と思いこそしたが、まさかほんとうに新曲があって、track4がおしりぷり音頭じゃないなんて。しかも、作詞作曲を担当された方を見てさらに驚いた。
両名とも印象深い方だったが、とくに驚いたのは作詞の只野菜摘さんだった。(これは完全に余談)ぼくは中高生時分をほぼさよなら絶望先生に捧げた人間なので絶望関連楽曲(主にED、キャラソン)の作詞を多く手掛けてらっしゃる方だ。思わぬ方向から殴られて叫びそうになった。(うっかりこのあと数行にわたって絶望先生の話をめちゃくちゃ書いてしまったので消した。大事なところだけあとで書く)

これまでの曲とは異なるしっとりとした曲で、喜びを詰め込んだようなにぎやかなエッビーナースデイとは対象的だった。
こういうゆったりめの曲を歌う名取が好きだった(ゲリラ歌枠の「アイネクライネ」とか最高に好き)ので嬉しかったのももちろんだったが、歌詞に込められた関係性が、いままでの配信などでのやり取りを想起させてきて、じんわりと目頭が熱くなった。

ただ、正直に言えば不安にも思った。
あとで名取自ら言っていたことでもあるが、この曲は明確にEDに位置づけされる曲だった。開催の喜びを込めた「エッビーナースデイ」、ばくたん。にかける思いを込めた「PINK, ALL, PINK!」、そして、これまで素直に伝えあわなかった関係性に対する気持ちを込めた「アマカミサマ」。そのEDが、なにに対するEDなのか。もっと言うと、このイベントが終わったら、もうこのまま名取がいなくなってしまうんじゃないかという妄想に、一瞬でとりつかれてしまった。

好きな物語の行き着く先は、いつだって考えてしまう。希望となるものか絶望するものかの違いはあるにせよ、なんにだって終わりはある。
それは名取においても例外ではないだろう。名取さなの根本をなす動機は、「わたしは なりたかった わたしへ」だと思っている。■■の一環のVtuber活動とはいえ、終わるとすれば、それは本人の意志によるものであるはずだ。
核となる動機が叶ったとき、彼女がどういう選択を取るのか、そして、いまがそのときではないのかと考えてしまった。直前にあった「Make it!」が余計に拍車をかけていた。

「スッキリしてまた明日から生き抜くために」

だから、この歌詞が、ほんとうに胸に刺さった。
ぼくは名取のことを自分を救ってくれた存在だと思っているし、これからもっと感謝を伝えていきたい存在だ。でもその前提には、名取とせんせえとの関係性があった。
ぼくたちはただ生きているだけじゃなくて、常になにかを考えながら生き続けている。生きていくことが重要なんだ。言い方は悪いが、こうやって楽しく喧嘩しあう関係を名取と築けたことはお互いにとってプラスなことだ。
たいへんな日々のなか、不安や心配事を取り除いて、色鮮やかなものに変えていく関係性を築けていることはほんとうに感謝してもしきれない。好きなことでも躊躇していたぼくにとって、この曲は、まさに自分が感謝していることを代弁しているようだった。それを、名取が歌っているということに感情が揺さぶられた。

終わりがどんなものであれ、いつまでもこの関係が続いてほしいと、そしてあまり伝えることはすくなくとも、その日までずっと感謝をし続けていきたいと、そう思った。

(とはいえ、いま書きながら思い返してみると、もしかすると「デトックスに効いてる お薬なんです」(めっっっっっっっちゃくちゃ好きな歌詞)(というかどこをとってもとてもいい)という歌詞から安直に想起したんだと思う。というのも、只野先生の名前を見て絶望先生を直前に思い出したから、きっと「シミと毒だし」の回のラストを思い出したんだろうと(「シミと毒だし」はギャグ回なのにね)。まあ、その場合消えるのはぼくの方なんだろうけども)

「ありがとうございました」と名取が言って、暗転する。会場からはすぐに拍手が沸き起こった。ぼくも力いっぱい手を叩いた。どんどんペースが上がっていって、そうして、名取が改めて現れた。

最後はずっと見てきたナース服と、親の声より聴いた魔王魂のBGM。俺を壊しに来てるのか? と思わざるを得なかった。オタクは好きだもんなこういうの、と思いつつも、名取自身の思うところがあるには違いなかった。いつもどおりであることは、全体を通してとても華やかだった今回のイベントの最後に、あまりにふさわしかった。

まずは、「アマカミサマ」についての話で、「第二期も頑張るぞという感じ」と聴けて、自分勝手に安心した。

手紙のパートは、ほんとうに胸が締め付けられた。
(どこをとっても感情が環状の感情になっていたので、一文一文に対して書きたかったが、それはあまりにもなので、ある程度自制心を持ってピックアップする)
バーチャルサナトリウムに来た頃よりも元気になったことが聴けて、嬉しかった。
自分とせんせえのことを一日も欠かさず考えてきたということばにに、名取さなとしてのあり方をずっと考えてきた彼女の強さを感じた。
「自分の人生すべてを使って、あなたたちにすべてを返せると思っていませんが」ということばの途中で、返そうとしなくていい、と言いそうになった。好きなように、楽しく、元気に過ごしてほしいと思った。
自分にも聞こえないくらいの声で「ありがとう」ということばが、何度も出た。

もうどこで泣き出したのかわからないくらい泣いていたが、鼻をすする音があちこちから聞こえてきていた。茶化すなよと名取は言っていたが、みんな真剣に名取のことばを聴いて、感情を揺さぶられていた。会場にいる他のせんせえ方とも感情が共有できて気がした。みんな、名取のことが大好きだなとはっきりわかった。
手紙を読み終えた名取の「名取のこと好きだよね」には今回は素直に拍手で答えた。ここまででいちばん気持ちが乗っていた。

最後の曲「さなのおうた」
これまでの名取の軌跡を歌詞でたどりながら、「大好き」と「ありがとう」ということばをめいっぱい詰め込んだ初のオリジナル曲。

どうやったって泣くでしょこんなん。

その日いちばんべしゃべしゃになった。力いっぱいの声が出せないのがほんとうに悔しかったが、それでも力をすべて出し切るつもりで腕を振った。
感想を書くにあたって、なるべくちゃんと感情を言語化しようと頑張ってここまで書いてきたが、そのときの感情はどうやってもうまくことばにならない。

「やっとお誕生日ができて嬉しいです」ということばや、
「わたしここまでこれたよ」という歌詞に、
とにかく信じてきてよかった、ついていってよかった、という気持ちと、ついてこさせてくれてありがとうという気持ちでいっぱいだった。

ハッシュタグで募集していたメッセージが背景に流れ始める。
たくさんの文字列が流れていく。どれもこれも、名取を祝福するため、あるいは楽しませるためのコメント。会場にいながらにして声を出せないぼくや、ぼくたちのことばが、まるで届いているようだった。

ありがとうございました、と言って頭を下げる名取を盛大な拍手で送ると、最後のシーンが訪れる。

これまでの動画は不穏な空気だったが、今回に関してはどこか賑やかしい曲が流れている。(展開予想は無粋かと思い、ここでは避ける)
いくばくかの不安は抱いたが、信じようと思った。
きっと快方に向かっていることを信じていた。あるいは、すでにアマカミサマでそういったことを考えたあとだったり、お手紙を読んでもらったあとだったから、そう思えたのかもしれない。
映像では、過去の動画の音声と、過去の画像が断片的に流れていた。曲はきっと、それらを上書きつつあったんだと思う。一度録画したビデオテープを使って改めて録画するとき、過去の映像が残ってたまに現れてくるのと一緒だ。
だが、そうであったとしても完全な上書きは無理だとも思った。きっと、ほとんどが上書きできたとしても、どうしたって過去は残る。完全に抹消することはできない。いつだって、痛みは抱えて生きていくしかないから。
だから、いつかそんな日々の話を名取から直接聞かせてほしいと思った。
それまでは、なにも知らないふりをして楽しく遊ぼうと思えた。
きっと、これから待つ未来が悲しいものでないことを祈った。

しばらくの暗転があって、アマカミサマのインストが流れ始める。
さなのばくたん。が終わった。

余韻に浸ろうと思ったらぽこピーが来た。びっくりするのは準備ができないだけにちょっと声が出るね。ぶち壊しだよと言っていたが、そのいつもどおりに戻してくれる感じがとてもありがたかった。去年のばくたんのこともあって、ふたりにもほんとうに感謝してもしきれない。

イベントを終えて

ぼんやりとしながらスクリーン12を出て、急ぎながら撮っていたフラスタ等々を改めてしっかり取り直して、震える足でチネチッタを出た。

いいイベントだった。

いまはこうして、アーカイブの力も借りながら、そのときのことを思い出してぐだぐだと書き続けているが、終わった直後はなにも考えられなかった。夢のような瞬間の連続だった。いまもまだ夢のなかにいるようだ。ほんとうにあったことなのかもすこし疑ってしまうくらいに、いいイベントだった。

この記事の序盤にだらだら書いていた後悔の部分は、もう一切合切忘れ去ってしまっていた。憑き物が取れてスッキリしたような、そのぶん胸に大きな穴が空いてしまったような感覚は、いまもまだ続いている。もともと毒でできていた体がデトックスされすぎたんだろうか。

また何度も#さな歩き の場所に通りかかると、じわじわとイベントが終わった実感が湧いてきて、ここにこれたことを感謝した。

後ろ髪を引かれる思いでラ・チッタデッラをあとにしながら、思い出したのは、手紙を読み終えた名取がする感じで言っていたことばだった。
「これからも仲良く喧嘩しよう」ということば。
昨年のぼくは「喧嘩して」という部分に引っかかりを覚えてた。
だけど、今年は心の底から受け入れられることができた。

まだまだ長々と続きそうなので、いまの名取に向けた気持ちを書いて、この記事は終わろうと思う。ここまでこんなオタクの支離滅裂な自分語りを読んでくださった方、もしも万が一いらっしゃいましたら、ありがとうございました。

名取に向けて

生まれてきてくれてありがとう。
いつまでもついていくよ。
これからも喧嘩して、また来年も再来年も、ばくたん。で会おう。

生まれてきて、いままで生きてこれて、ほんとうによかった。





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