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2024.02.11「梅を見に行った日は日記を書くものだ」

一昨年から毎年この時期に梅を見に行くのを年次イベントとしている。日本に住んでいれば桜は特に何も考えなくても毎年見ることができるものだが、梅は気付いたときにはもう時期が終わっているということがよくあり、能動的に見に行くようにしようと思ったからだ。


今年はオタクを誘って見に行った。誘い文句が「梅、見たくないですか」だったのデートのお誘いみたいでウケますね。(まあデートなんですが)(同性です)


まだ満開ではなかったが、木によってはかなり咲いているものもあり、かと思えばまだつぼみのものもあり、散り始めるくらいの頃よりはこれくらいのが好きだなと思った。少し曇っていたが日差しはあたたかく、梅が咲く公園で酒を飲みながら語らうのは何物にも代えがたい時間であった。



今日は麻丘のオンライントーク会があった。チェキ会6、トーク会17+10で一日としてはこれまででもだいぶいった方だと思う。去年の振替を突っ込んだからではあるのだが。

去年の夏ツアー福岡からの帰りの飛行機で一緒だったよ(羽田で見た!)と言われてだいぶびっくりしたり(こっちは全然気づかなかったのでうれし恥ずかしです)、ランニング続いてるか聞いたり(寒いからやれてないらしい、寒いのは仕方ないよね)、あやふやな世界観フェスで聴きたいんだよね~の話をしたり(「あやふや好きなんだ……」ってぼそっと言ってたの聞き逃さなかったよ)。2部の最後で「このあと梅見に行くから3部は梅見せるね」と前振りだけした。


でこれ。

繋いだらすぐ「うめさくさ~ん、間違えた現場のぬんさくさ~ん」と振ってくれたので、スムーズに梅を見せながらリポートができた。こういうのは信頼関係もあるかなと思うのでノリが合っていたのはうれしい。昨日のあらんちゃんもだったけど声ほめてくれるのはすごいうれしいです……。全体的に今日のオトクはうまいこと楽しくやれたなと思う。あとまおちゃんの服がえっちすぎです。これのチェキ届くのマジですか?



夜はバトルモンスター。曖昧、tip、さとモンの対バン。普通に各グループがそれぞれステージを演ったあと、バトルパートに入る。バトルパートでは各グループ1曲ずつ順繰りにやっていき、しかも曲間はほぼシームレス。自分はバトモン初めてだったのだけど、このバトルパートがめちゃくちゃ楽しかった。それぞれのグループでそれぞれのオタクが前にいったり、各グループもバトルということで盛り上がる曲を持ってきて、それが重ね掛けされることでどんどんフロアが盛り上がっていく感じ。グルーブ感とはこういうものかと感じられた。tipは最初の出番では風速→踏切→紙飛行機→ホワピのfourthBaton.セトリ、バトルでは星降る、シャタチャ、夢日和、シントラ。自分はcandlelightのアルバムが好きで、かなり何度も通しで聴いていたので特に風速→踏切→紙飛行機のところで本当に今日来てよかったと思った。fourthBatonでも聴こう。いや~~~~踏切ドリーミングマジでめちゃくちゃ好きなんですよね。

バトルの方も全部楽しかったけど、フロアに流動性があったおかげもあって宮園パートで前に突っ込みまくれたのと夢日和で大横移動ができたのがとにかく楽しかった。ツイートもしたけど、「移動」は人間にとっての「快楽」なんだとあらためて思えた。ただ近くで見るということだけではなく、近「づく」という移動が加わることによってベクトルの絶対値は大きくなりますからね。まあパンパンのフロアではどうしたってできないことなので、これくらいの客の入りがうれしいんだよなという気持ちと、でもこんなに楽しい良いライブなのに三連休中日の夜にこんだけしかオタクがいないのは寂しいぜという気持ちと両方がある。


さとモンの話も。響万里菜が卒業して次のライブが今日だった。さとモンは対バンやフェスでいたら積極的に見たい、というくらいのスタンスだったので込み入った話はなにもできないのだが、しかしなんというか今日のライブが良かったことだけは確かだと思う。なんか楽しそうだったもんな。『春が踊る』、染みた。(tipもそうなんだけど)さとモンはオタクが楽しそうだからシンプルに楽しかった!で終われるのがいつも良いなあと思っています。

あと今日はガルラジからのつながりのオタクたちに交じってライブを楽しめたのがなんか良かったですね。オタクに歴史あり。ガルラジとアイドルは親和性ある説。(リアルタイムコンテンツだから)




終わった後オタクと日高屋で話しながら、考えさせられるところがあったり。


アイドルに向き合う行為は、言うまでもなく一人の人間に相対する行為である。もちろんそれは歪な関係ではあるが、だからといって何か尊大になったりしてはいけないし、逆に自分の行為が与える影響を過小評価するのもよくない。だから相手のことを考えて、相手の人生を考えてどう接するべきか……というのは言葉にするのは簡単だが、具体的にするにはあまりにも複雑で難解すぎる。だからといって放棄もできない。そんなようなことをぐるぐると考える。きっと今、幸せなのだろうと信じてはいる。願わくば50年後にこの日々を思い出したとき、あれ以上のものはなかったのだと確信してもらいたくて、そしてそんな日々のほんの小さな一員になれていたらいいなと思って、今自分は彼女に視線を向けているのである。

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