理想の大人になれないということ

子どもの頃に思い浮かべてた「理想の大人」ってありますよね。「将来何になりたい?」ってアレです。

僕はずっとサッカー選手になりたかったんですが、残念ながら才能がなく諦めました。というか、そこに人生を賭ける覚悟がなかったんですけどね。

小学校中学年くらいで「ああ、サッカー選手にはなれないんだろうなぁ」なんてうっすら気づき始めると、そこから自分の将来像が少しずつリアルになっていくんです。それで、高学年になると「理想の大人」が固まりました。「20歳で会社の社長、素敵な奥さんもいて、お腹には子どももいて、幸せな家庭を持っている」という感じだったんです。なんというか、落ち着いて安定した大人を想像してたんです。

ところが25歳になったいま、やっぱりそんな理想とはかけ離れてるんですよね。しがないサラリーマン編集者で、そんなに高いとは言えない給料で遅くまで働き、ベストセラーなんて出せる気がしません。サッカーの本はつくっているし、サッカーの試合を見てうんちく垂れてはいるけれど、やっぱり現場で戦っている選手たちにはかないません。奥さんなんて夢のまた夢。女性関係は失敗と迷走を繰り返しています。

あの頃考えていた「理想の大人」と、実際その年齢になってみて直面する「現実の未熟さ」って、どうやったら縮められるんでしょうね。

そもそも「理想の大人」っていうのは、親からの影響が強いです。子どもの頃に見る親は僕にとってヒーローで憧れで絶対的な存在で、最高にかっこいい人でした。小中とサッカーのコーチもしていたから、なおさらだと思います。

それが高校くらいから見る目が変わってくるんですよね。決して完璧じゃないし、子どもの前だからと無理してた部分もあって、家族の手前だから見せないけど弱さや迷いも持っていて、それでも僕らのために見栄を張ってくれていたんだなって。だんだんそういう面に気づき始めて、子どもの頃に憧れてた親の年齢と近くなって確信するんです。

そう考えると、子どもの頃に思い浮かべてた「理想の大人」なんて、実はどこにもいないんですよね。「理想の大人」は昔憧れてた親の残像だった。でもその親も、実は迷って弱って踏ん張って僕らを育ててくれていた。そもそも見えているものが違ったんだなって。

虚像を追いかけても、そりゃあそんなものになれるわけないですよね。

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