我慢できない欲望はあるのか

男性って性欲が強いじゃないですか。どこかのnoteに書きましたが、一般にそういう傾向はあるらしいのですね。

強いは強いで構わないんですが(むしろ良いことかもしれない)たまに「我慢できないレベルの欲望に支配されて理性が飛び、悪いことをしてしまった」と供述している人を目にします。そういう人たちがいるから弱い立場の人は安心して生きられないんだぞ!と正義の言葉を述べたいところではあるんですが、実は彼らも本能に支配されし悲しき民かもしれません。というわけでちょっと考えてみようと思います。

※ぼくはいちおう男性で異性愛者をやってます。細かいところまで話すと大変なので、今回は性自認と性的趣向については置いておきティピカル男性のお話に限定しております。

※人によっては嫌な内容です。そんな方にはブラウザバックを推奨。


少し前にSNSでこんな感じの文章を見かけました。

女性に生理があるように、男性は唐突に欲望に襲われる時がある。そして、その影響度合いは人によって異なるため、「そんなの我慢できるでしょ」という男性は、生理の影響が弱い女性がそうでない女性に対して「大したことないでしょ」と言うようなものです

原文ままではないですが、おおよそこんな感じの内容でした。自分は「そんなの我慢できるでしょ」と思っているタイプの人間なので、ははあ確かにそういう人もおるかもしれんなと思わされたのでした。存在する可能性を捨てていたというお話ではないですが、これを機に「もしやそういった人は自分が思っているよりも多いのでは」と思ったのですね。

ぼくの友だちは性別を感じさせない人が多いので(主観です)、めずらしくティピカル男性とお話をするとその雰囲気が感じられることもあります。我慢できる/できない問題からは少しずれているかもしれませんが「お泊まりしたらOKの合図!」みたいな考え方を聞いていると、それが常識であると認識しながら生きてる人たちは想像以上にいるのだなぁと思うのです。でもそういう人たちの多くも、理性を保ちながらうまくやってます。そうやって自分を律することのできる人とできない人の間にはどんな違いがあるのでしょうか。

少し抽象度を上げて欲望vs理性の構図から考えてみます。

ぼくは健康ガチ勢でありながらも、その大敵である甘い食べ物が好きです。普段はアイスクリームを食べたい気持ちを律して生きています。そんな僕がどんな時にアイスクリームを食べているのかを考えてみると、大抵は
「アイスクリームを食べて得られる幸せ度合いが、そこを我慢して健康になることで得られる幸せ度合いを越えるだろうと見積もったとき」
なんですね。なんだかややこしいことを書いておりますが、とにかく「食べたときの幸せ効果がでかいとき」を選んでいるわけです。

実際はこんなのをごちゃごちゃ考えているわけではないので、だいたいは
①好きな人と過ごす日
②クソ暑い日
のみアイスクリームを食べてます。

悲しき民がぼくと同じような基準に則って悪いことをする/しないを決めているとすると、悪いことをした後の不幸度よりも、いまこの瞬間の幸福が勝っているわけですから「捕まってもいいから暴れたい!」という思いで悪事を働いていることになりますね。(逮捕される率とその損失で乗算をしている、の方が実際の感覚に近いかもしれない)


「そういうのじゃない!どうしても我慢できないんだ!」という人もいるかと思いますので、それについても考えてみます。

ぼくはいい子なのでアイスクリームを食べるのは我慢できますが、さすがに我慢できないものがあります。睡眠と排泄です。(おそらく飢餓状態での食事とかも)こいつらは生きていく上で必要なものですね。ただし、トイレはすこしなら我慢できますし、眠くても顔を洗ったりしてある程度は耐えられます。多くの人はこれができますよね。逆に、それができない人はオムツが必要だったり、授業中にどうしても起きてられなかったりするのだろうと思います。幼稚園児とかがそんな感じ。

で、悲しき民の欲望がどうしても我慢できないものだったと仮定すると、彼らはトイレに行く前に漏らしてしまったり、運転中に眠ってしまうような生きづらい人であると考えることができます。唐突に現れる性欲もここに該当するならば、実際に悪いことをしてしまう彼らは本当に悲しい人たちなのかもしれません。

しかしながら、その生きづらさによって他人に迷惑をかけることは許されませんから、然るべき対処が必要になってきます。過去に睡眠障害を持つバス運転手が実刑判決を下された事例があるそうです。不自由ではないタイミングがあるならば、そのなかで自らを管理せねばならないのですね。「お酒に酔って人をぶってしまった!覚えてないけど!」という場合は、酔っているタイミングでその人に意思力のようなものがあったかどうかは関係なく、そんなことになるなら飲んじゃいけないよって話になります。刑事責任というやつですね。

どのタイミングでも自分を管理できない場合、つまり常に不自由である人も当然ながら存在していて、そういう人たちは監督者が必要です。精神疾患を持つ人、子どもなどがそこに該当します。もし自分が悲しき民であるならば、お医者様や保護者にお願いしてみるのもありかもしれません。

ぼくもついついゲームをしすぎてしまうダメ人間なので、両親に隠してもらおうかな…


2つのパターンで考えてみましたが、ほとんどが前者だろうなというのがぼくの予想です。おそらく社会の見解も同じで、だからこそ逮捕したり更生させたりするんですよね。悲しき民を仕方のないものとして見捨てない優しさがあって素敵なんですが、さらに厳しい側に振った方が社会は良くなるんじゃないかな、とは日々考えています。

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