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賢さのミルフィーユ

周りの人間と話していて「この人は賢いなあ」とか「この人は考えが浅いな」と感じることは、誰にでもあるのではないだろうか。もちろんこれはテストの点数や成績の話ではなく、会話をしている間に感じられる知性のようなものだ。

賢いと感じさせられる人は、言葉選びが上手であったり、知識の引き出しの量が多かったりするだろう。話し相手である自分の知識量を想定し、最も伝わりやすい言葉を使って話してくれるように感じる。自分が最近覚えたような難しい内容の話題にも難なく対応してくれるし、自分にはとても思いつかないような高い視点で、レベルの高い見解を持っていたりする。

賢くないと感じさせられる人は、既に自分が通ってきた考えの途中にいたりすることが多いのではないだろうか。自分からすれば、簡単に思考が読めてしまう子どものように感じる。子どもの頃はそう思っていた、みたいなやつだ。自分がこれを言ったらこう返ってくる…というのもわかってしまうし、少しつまらないと感じることもあるかもしれない。そんな感じ。


先日このツイートを見かけた。ここに登場するおじさんは「謙虚さは頭のいい人にしか通用せず、そうでない人は謙虚さだと気づかずにナメてくる」と言っている。


たくさんのRTやいいねが付いていることから、共感する人が多かったのではないかと思う。しかし、この投稿に共感できるのは「賢い側」の人間だけだろうと思う。自分は少し賢くて謙虚さを出しているだけなのに、それを見てバカにしてくるやつがいる!みたいなことを日頃から感じているのではないだろうか。自分の賢さが5くらいあって、ナメてくるバカの賢さが4くらい。彼らには賢さが足りないから、謙虚さを弱さだと勘違いしてナメてくる。

みたいなことを普段から感じているのであれば、「そのバカは本当にバカなのか?」を考えるべきではないだろうか。バカをバカと決めつけて見下すのは、謙虚さを弱さだと決めつけてナメる人と構造的には変わらない。もしかしたらそのバカは「こいつより少し頭の弱い人間を演じることで、事を有利に運んでやるぜ」みたいなことを考えているかもしれない。賢さレベル4だと思っていた人が、本当は8くらいあるかもしれない。他人を自分より賢くないと決めつけ、思考を読めた気になってしまうと、それ以上を想定できなくなってしまう。その時点で自分の賢さレベルは上限を迎える。


バカと天才は紙一重、という言葉がある。賢すぎたコペルニクスの地動説は、周りの人間にはバカな考えに見えただろう。おそらく、人は自分の賢さレベル近辺の賢さしか認知できない。少し上のレベル6や、少し下のレベル4くらいまでが、賢さ5の人が認知できる範囲だと思う。だから賢さ3と賢さ7の区別がつかない。IQが20違うと会話が成り立たないと言われるのも頷ける。これが上下に続いていくことで、賢さのミルフィーユができる。

自分からするとバカに見えるような人も、本当は自分よりも遥かに賢いかもしれない。謙虚さを見せることでナメられたとしても、そこには意味があるのかもしれない。
そうやって考えることができるようになれば、賢さレベル1くらいは上がるのではないだろうか。

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