能力の3点セット

私はサラリーマンなのですが、つい先日23年度下期(23年10月~24年3月)の査定でA評価をゲットしました。これで3期連続なのでそろそろ職級を上げてくれてもいいんじゃない?と思っているのですが、JTCなので年数がたたないと上がらないっぽいです。ぐぬぬ。基本的には同じ階級の人たちとの比較で査定が決まるので、その中では優秀だ!というのが部署の偉い人たちからの評価になるんですが、当人としては全然そんなことはないなと感じながら働いております。

というのも、比較されている人たちの中には自分よりも仕事が早くて正確で聡明で身長が高くて顔もいい人たちがたくさんいるからです。こんな人たちと比べられてなお良い評価をいただけているのは光栄であり不思議でもあるんですが、ひとまずは自分の特性が上の人の評価項目にマッチしている…と思うことにしています。

物の例えとしてよく言われておりますが、大谷翔平は野球というスポーツがあったからこそ天才なわけで、彼の能力を表現する場やルールがなければあれほど活躍しなかったであろうと思います。会社における私も同様で、例えば英語を勉強したけど全然使う機会がない職場だったらよい評価をもらえていなかったりするわけです。たまたま自分が割いてきたリソースが、こと人事評価においては当たりだったというだけで、特別優秀でも無能でもないのだろうな、などと思わされます。

自分の周りにいる人たちは、当然ながら自分とは違う人生を歩んできたわけで、自分の知らない経験をたくさんしてきています。年齢が上がれば上がるほど経験量は多くなるだろうし、何かに打ち込んでいる人なら多少の努力では到底かなわないくらいの蓄積があるわけです。それぞれがそれぞれの人生で大切だと思ったことを頑張ってきているわけですから、そこには一目ではわかりづらいスペックがあって、全員が尊重され敬われるべきです。偏見ですが、石油王とか掃除のやり方知らなさそうですもんね。

職場の話に戻りますが、付け焼刃の自分なんかより英語できるマンが同じ職場にいた場合は、また別の結果になっていたわけですから、そういう意味では能力とか才能みたいなものは、生まれついての得意なことのみで決定されるわけではなくて、それまでに割いてきた事柄に対するリソースだったり、周囲の環境が決めるものだろうなと思うわけですね。

また同時に、能力とか才能みたいなものは、なにかしらのルールだったり、誰かの判断によって決まるものだとも思います。野球には明るくないので適当なことを書きますが、大谷翔平よりも勝率の高い選手がいたとして、その人は大谷翔平よりも才能があるとみなされているでしょうか?答えはおそらく否ですね。技術はいまひとつだけどチームのムードメーカーとして最強で、ほかの全員のパフォーマンスを上げるような選手が、野球の試合に勝つというルールで大谷翔平を上回っていたとしても、我々のようにメディアで野球の情報を得ている人たちからすると、大谷翔平よりも才能や能力がないとされてしまいます。

能力のあるなしで優劣をつけることを過剰にありがたがる風潮もまた違うとは考えているのですが、そういう社会を少しでも楽に生きていこうと思うならば、自分がこれから割くリソース、発揮する環境、それらを見て何かしらの判断をくだす人の3点を意識する必要はあるのだろうと思います。

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