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夏休み終了間際

やらなければならないことは、早めに済ませたい。

小学生時代、僕はそういう性格だった。

夏休みに入るやいなや、毎日早起きをして、宿題をつぎつぎと片づけていった。一週間ほどで、ドリルなどはすべて終わらせ、自由研究と日記くらいしか残っていない状態にもっていった。

8月上旬、宿題はすべて後回しにするタイプの友達も、まだ危機感は抱えていないので、両者とも楽しく遊んだ。

中旬になってくると、友達たちの焦りが窺えるようになる。

「あ~、宿題全然やってないわ~」

遊んでいても宿題の呪縛から逃れられず、友達たちはそんなセリフを頻繁にこぼすようになる。そんな中、僕の心だけが自由だった。

「どうせやらなきゃいけないんだから、先にやっちゃったほうがいいじゃん」

これを言い放つときの優越感たるやなかった。

下旬になると、遊びに誘っても断られるようになる。みな追い込まれているのだ。しかし僕にはまだ貯金があった。努力によってつくった大いなる貯金が。遊び相手もいないので、漫画を読んだり、ゲームボーイをやったり、おもちゃ屋さんに見物に行ったりして過ごした。

残り数日となると、恐ろしいことに気づく。

間に合わない……。

貯金の上に胡坐をかいていたばかりに、もう遊ぶ時間はなかった。

地獄だった。特に日記を放置していたことが致命的だった。

虫取りに行ったのはいつだ?

プールに行ったのはいつだ?

かき氷を食べ過ぎてお腹を壊したのはいつだ?

花火をしたのはいつだ?

おばあちゃんの家にいたのはいつからいつまでだ?

もはや記憶が整理できず、日付は度外視して書いていった。考えてみれば、いつのことかなんて、先生にはわからないのだ。クラスメイトと何かしたという内容以外、矛盾を見抜くことなどできない。

日記が半分ほど埋まったとき、別の絶望が襲いかかってきた。出来事の量が、とても足りないのだ。そこはもう、兄弟と遊んだ記憶で埋めるしかなかった。

まだ自分の記憶との戦いがつづいている最終日、友達が遊びに誘ってきた。猛烈なラストスパートにより、遊ぶ余裕ができたのだそうだ。こんどは僕が断る側となっていた。

競馬には詳しくないが、テレビで先行逃げ切り型の馬が最後に抜き去られる姿を見るたび、夏休みの自分のようだなと思ってしまう。

しかしいま思えば、宿題に振り回されたことをそのまま書くのが、一番いい日記になっていたような気がする。


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