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「視点を変える」訓練で力をつける 三森ゆりか著 を読む

著者は、「視点を変える」訓練により、子供達に次の3つの力がつくと言います。

① 「自他の区別」が認識できるようになる。
一つの対象をAの視点、Bの視点、第三者の視点と三種類の立場から認識する訓練を通して、子供達は物事には色々な認識の仕方が存在することを知るようになる。
これはとりもなおさず、自分の考え方と他人の考え方が異なることを知ることである。

② 自分の意見を客観的な視点から検討できるようになる。
一つの対象に様々な認識の仕方が存在することを認識すると、子供達は自分の意見を客観的な視点からも検討できるようになる。
これはつまり自分の意見を他人の視点で見る能力が身につくということである。

自分の考えを複眼で、つまり様々な側面から検討するためには、
なぜ自分がAのように認識するのか、
なぜBの認識の仕方ではいけないのか、
ということを分析する必要が出てくる。

この分析の過程を通して、
子供達は「なぜ」の中身を支える論理の構造を自覚するようになり、
同時に対象を様々な側面から検討する技能を身につけるのである。

またそれによって、子供達は深く思考する力をも身につけることになる。
(私には「深く思考する」ということが具体的に何をすることなのか、わかりやすく述べられていると思われます。)

③ 他人の視点(立場、意見)を理解し、尊重することができるようになる。
物事には様々な見方があるということ、
自分と他人は考えを異にすることを認識することを通して、
子供達は他人の視点を理解し、尊重することができるようになる、

これはまた、様々な考え方を受容し、寛容する心を育て、
他人に対する優しさ、思いやりの心を育てることになる。
(「思いやりの心を育てる」ためには、「視点を変える」訓練をすることが大事だということになります。)

ではそのとっても大事な「視点を変える」ための訓練を、著者はどんな段階を経て子供達に対して行うのでしょうか?

① 第一段階 「立場の違いは認識の違い」を教える。
同じものを見ても立場が異なると考え方が違うことを認識させ、その認識を文章化させる。

② 第二段階 「第一人称と第三人称の概念」を教える。
著者の知る限り、日本では、国語科の中で第一人称や第三人称といった人称代名詞の概念を学ぶことは、ないそうです。
(私も覚えがありません。)
「視点を変える」訓練では、この人称代名詞を概念として教えます。

第二段階 「動詞の能動的表現と受動的表現」を教える。
「視点を変える」ことは、単純に言えば一つの物を右と左から見ることである。
一つの物をめぐって、働きかける側を受ける側が生じることである。
ここにどうしても動詞の形態上の変化が生じる。
子供達にはっきりと動詞の形態の変化を認識させる。

③ 第三段階「第一人称視点と第三人称視点」を教える。
第一人称視点とは、当事者の視点である。
つまり物語の登場人物が「僕」あるいは「私」という第一人称を使用して物語を内側から語る視点のことである。

一方、第三人称視点とは、物語の作者が第三人称を使用して物語を外側から語ることである。

第一人称視点には、認知できることと認知できないことが発生する。
物語を内側から語る「僕」は、自分自身が考えたこと、見たこと、聴いたことなどは認知できるが、
他人の心の中の想いや、自分が不在の場所で発生した事柄を断定的に語ることはできない。

一方、第三人称視点は、客観的な視点である。
全てを認知できる物語の作者の視点である。
ドイツの教科書ではこの第三人称視点を、全知の物語の作者と呼んでいる。
(私は、神の視点とも言えるし、メタ認知とも言えるのではないかと思いました)

著者はこれ以降、「視点を変える」ための訓練に使用する、教材や指導方法を具体的に示してくれますが、著者はこれらを小学校3~6年生に使用しているようです。

・子どもとそのお父さんが同じ映画を見て違う感想を持つ過程を、3コマ漫画の吹き出しにそのセリフの形で書き込むことによって明らかにする教材
・犬好きと友人と犬嫌いの友人の立場にたって、同じく3コマ漫画の吹き出しにそのセリフの形で書き込むことにより、感じ方の違いを明らかにする教材
・主語が変わることにより、動詞が能動態になったり受動態になったりすることを、穴埋め問題を答えることによって訓練する教材
・患者となっている子供を主語にした文章を、医者を主語とした文章に書き換える教材。
・プレゼントを渡す人ともらう人の会話と内心の想いについて、渡す人の第一人称を主語にして書いた文章を、もらう人の名前ないしは第三人称を主語とした文章に書き換える教材。

これらの教材を、日本語中級学習者に提供した場合、
どの教材も、使う単語は同じで、人称や態を換える練習となり、単なる機械的な代入練習ではなく、日本語の仕組みへの本当の理解を問われる練習となるのではないでしょうか。

ここで示したような「目的」を伝えれば、成人の日本語学習者も知的興味をもって取り組める練習となると感じました。

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