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競技生活を振り返って⑥

ここからは大学生活のスタートです。
振り返ると親から高校の時も大学の時も「遊んできていいんだよ」と言われましたが走る生活を続けてきちゃいました。

箱根駅伝を走りたいと強く思い、センター利用で合格していた拓殖大学に進学し3月から本格的に練習に取り組み始めました。練習も合流していきます。

そして、朝からこんなペースで走るのか…と大学の練習のレベルの高さに驚きを覚えました。

何故なら、高校の時はポイント練習としていたペースで朝から走るからです。
この頃は基本的にペース走中心でした。
出されたメニューに全力で取り組む、良いように聞こえますが落とし穴もありました。
それは後ほど。

また、初めての寮合宿生活という事もありルールの中で生活しないといけません。

私は基本寝てしまえば大抵の事は気にならないタイプですしホームシックにはならなかったので寮生活には慣れるまで時間はかかりませんでした。むしろ、大学の授業からの練習という生活リズムの方が慣れるまでに時間がかかりました。

・キャンパスライフ

体育学部の学生は、2年までは八王子キャンパスで3年目以降は文京キャンパスも選択出来ます。単位は八王子キャンパスの方が取りやすいのですが、卒業に必要な単位は文京キャンパスにいかないと取りきれなかったので3年からは文京キャンパスに行ってました。

大学の講義は初めての事ばかりで序盤は苦労しました。同期は体育学生が大半で商学部でしたが私は一般生で他学部でした。
政経学部経済学科で英語や第二外国語の時間割が基本的にバラバラだったので1人しかいない授業ばかりでしたね。
第二外国語は、皆が履修してるのは何か嫌だなと思いドイツ語にしました。

授業の時間の拘束がありましたが勉強はしてきたので苦労はしませんでした。
英語は中学レベルでしたしドイツ語は英語と似ていた部分が多かったので楽でした。
1、2年生の頃は科目数が多かった為、少し徹夜しただけでそれ以外は平気でした。(徹夜と言っても11時くらいまでのレベル)

大学の講義は何回まで休んでもいいとか寝てても何も言われなかった事がある、など高校とは違って講義によって様々でした。
1年の頃は、真面目に欠席していないんじゃないかくらい出席していました。何度か休めば良かったと思えるくらいです。

高校生の時、酷い時は1〜5時間目までコックリして寝てしまった事がありました。
大学ではそんな事なかったですよ。
あっても1〜3限くらいです。
もちろん、眠いから寝ようとして寝たわけではありません!気づいたら寝てたんです!

講義に関して、初めは教職を取っていましたが本当に教員になりたいのか?と問われると悩み所でした。
やはり、箱根駅伝に出たい気持ちが強かったので2年生の前期で教職は辞めました。
5限6限などで午後練習にも参加できない日程も多かったからです。
さらに、優先順位を付けるとどうしても下の方でした…

大学1〜2年は八王子キャンパスでそんな感じでキャンパス生活は過ぎていきました。

大学生活は小学生の夏休みの日記の様な楽に文章化できる生活だったと思います。
5時〜起床
6時〜朝練、朝食
9時頃?〜授業
12時半〜昼食
18時〜午後練習
19時半〜夕食、空き次第お風呂
21時40分〜掃除
22時〜消灯
基本的な生活スタイルはこんな感じであっという間に1日が過ぎていきます。
「朝起きて走って朝食、学校行って昼飯、午後練習して夕食を食べてお風呂入って寝る」
文章にすると短いですが密度は濃かったです。

さて、競技の方に話を戻します。

大学生活を始めて、いきなり壁に当たります。
最初は、順調に出されたメニューを消化していきましたが5月初め、生まれて初めての疲労骨折を経験しました。右脛です。
痛みもあったのにも関わらず4月の大学初レースに無理に出ました。その1週間後くらいに病院で疲労骨折だと判明しました。

5月の残り約3週間は補強のみでトレーニング室に引きこもってました。

6月に外に出てからもwalkから始めました。
そして、walk&jog、◯分jog…と少しずつ走る時間と距離を伸ばしていきます。
痛みがまた出るんじゃないかと不安もありましたが焦らず少しずつやっていきました。
各自走としてキロ4分ペースで走れる距離も伸びていき7月中旬〜下旬にはBチームの練習に合流しました。

8月に入り、夏の暑さもありましたし走る量も増えてくるので疲労との闘いでしたね。
毎朝練習後に体重も全体で測っていましたしウエイトコントロールも難しかったです。

8月に入る頃に確か、同期と夏の練習を引っ張りまくっていたら先輩に引っ張り過ぎだって注意された事もありました(笑)

Bチームは新潟県の妙高で8月中旬〜下旬にかけて1週間程度の合宿になります。
この合宿で初めて30キロ走って「これが大学生か」と実感したのを覚えてます。
意味分からないですよね。30キロ走って大学生だと実感するなんて。

1日合わせて50キロ以上走る日もありましたし3日目の朝には筋肉痛で階段がキツくなるくらいです。
ペースは遅いですが、芝でひたすら距離踏んだり黒姫で距離走していましたね。
距離を踏むとトラック練習でスピード出すのがキツくてもがいていました。
キツい思いを沢山しながら美味しい食事で乗り切ってました。
妙高合宿は1度も練習を離れず!故障も無く!メニューを消化出来ました!
やはり、この頃から距離を踏むのは得意だったのかもしれません。
生まれて初めて月間走行距離1000kmを超えました。高校の時の600km多いなと思っていたのが嘘みたいでした。


帰省を挟み、9月は菅平で全体合宿になります。気合いを入れていましたが距離走やPR中心でまた距離踏みになりました。
1度400mインターバルを溺れるんじゃないかってくらいの大雨の中走って色々な意味で死ぬと思いました(笑)

合宿が終わり9月下旬にTT5000mを走りました。しかし、疲労からなのか体が重いままで自己ベストは出ませんでした。
この結果の時、シーズン初めは体動かないし仕方ないかと思っていましたね。

振り返ると練習しているのに結果が出ないのは何かしら原因あるのでそれを探る事が大切だったと思います。

11月は上尾ハーフがあります。
箱根駅伝前、最後の選考レースみたいな立ち位置で非常に重要な大会です。

長くなるので1度ここで終わります。
1年間勉強しながら走って故障もあった割には走れていた方だと思います。

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