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競技生活を振り返って⑮

・拓殖大学陸上競技部引退

退寮してからは実家での暮らしになります。
まずは痛めていた脚で練習して悪化した為、治療に行きながら地元のレースを走ってました。

1月13日 牛久シティマラソン10km
31'36「2'57、6'04(3'07)、9'09(3'05)、12'19(3'10)、15'27(3'08)、18'42(3'15)、21'56(3'13)、25'11(3'15)、28'28(3'16)、31'36(3'08)」(15'27、16'09)でした。
スタートしてすぐ踵を踏まれ靴が脱げてのハプニングがありました。
小森コーポレーションの馬場さんがゲストで走っていて速すぎて付いていけませんでした。
途中の数キロをリバランこわだに引っ張ってもらいギリギリ走れました。

この頃には脚も良くなっていてレースを練習の一環で出場していました。
これまで気を張っていたのか実家に帰ってきたら緩んで朝午後の2部練をするやる気が出てこなかったからです。

1月19日 取手新春マラソンハーフ
73'30
3'20/kmのペース走を意識していました。
最初グラウンドを数周するんですけど間違えて1周多く回ってしまいタイムは遅くなりました。GPSだと設定通りだったのでOKです。

1月26日 勝田マラソン初フルマラソン
初めてのフルマラソンはあまり練習もしていなかった為、後半の約21キロが地獄の様でした。「早く終われ」「止まりたい」と思いつつも「ペース落ちてるから早く終わる事はない」とか悟りを開き始めた様な感覚でした。キツ過ぎて笑えてきました。ペース上げたくても上がらない、エネルギーは無くなって補給しても全く足りない、ガス欠のさらに上を経験しました。
マラソンはしっかり準備して走るものです。

初のフルマラソン以降は疲労が抜けず体がボロボロでした。それでも練習に取り組んでつくば健康マラソン5キロ15'51。風が強過ぎて無理無理と心の中で叫んでいました。
流経大記録会5000m15'28"74「2'57、5'55(2'58)、9'01(3'06)、12'17(3'15)、15'28(3'10)」でした。
疲労困憊で動かなかったです。
初ヴェイパーでしたが途中で脇腹と背中が張って粘りが出来ませんでした。
これで拓大のオレンジユニフォームを着て走る事は終わりになります。

・3月は卒業式と新潟に向けての準備

その後、中井と皇居で40キロ(3'40〜'45/km)をスタートしましたがお互いに脚が痛くなってきて24キロで終了。
私は腸脛靱帯炎になっていたらしく治療に行って走ってみては痛いの繰り返しでした。
ちゃんとjogが出来る様になるまで約3週間かかりました。

練習していないのにフルマラソン走ってダメージが大きく体のバランスを崩して疲労を抜けきらないまま練習したのが原因だったと思います。治療のおかげもありますが回復まで3週間以上は必要だったということです。
走る前の準備もありますが走り終わってからの回復を早める準備も必要でした。

痛みも消えたので新潟に行くまでに戻せるだけ戻そうと練習します。
最後にたつのこトラックで練習もして3'44/kmくらいでjogできるまでは回復しました。
この頃はav.4'30/km以上でjogしたりと元気でしたね。故障明けにはちょうど良いかもしれません。今ではjogのペースを上げようと思えません(笑)

卒業式ではコロナの影響で変わった形式での開催になりました。
夜に寮の方に顔を出して同期と飲んだりと最後に楽しく過ごせました。

卒業式の2日後が新潟に向けて引っ越しです。

ここまで牛久シティの日にタケルに会えたり晟也と飲んだり神戸と飲んだり、今まであまり会えてなかった人達と会う事が出来ました。
実業団で走る事を応援してくれる人達も沢山いて人の暖かさに気づかされました。改めて新しい環境と時間の制限のある中でやれるところまで頑張ろうと思えたのは大きかったです。

・大学生活を振り返って

箱根駅伝を走りたいと願い4年間諦めずに走ってきましたが大成する事はなく、その夢が叶う事はありませんでした。
しかし、この4年間を箱根駅伝という目標を立ててハーフや10000mと具体的な逆算と計画を立てて挑む経験はここでしか出来なかったと思います。夢は叶わなくても後悔をなるべくしない様に行動して失敗しては修正しての繰り返しでした。その経験は「考える力」「過程を楽しむ」形として今でも活きてます。

真面目な性格のせいか苦しんだ事やそれが上手くいかない事、少しでも自己ベストを更新して小さな成長を実感出来た事も人生のひとつです。1年浪人したおかげで実業団の環境で走れる事になります。やはり、私の人生は遠回りが1番の近道になっているらしいのでこれからは気長に生きていこうと思います。

箱根駅伝というのは、4年間という限られた時間の中で挑戦していきます。「時間の集約」「2/365」という過程のドラマがあるからこそ結果である箱根駅伝には感動や興奮があると私は考えています。

目立つ選手ばかりをテレビ等のメディアで挙げられますが、最近はSNSで記事になったりするのを見ます。これは個人的な意見ですが、走った10人はチームの代表であってそれ以外の部員にもドラマチックな過程がある事を知るキッカケになって素晴らしいと思います。

大学の陸上競技部生活というのを経て沢山の人達と「縁」が出来ました。各学年約15人程度いてそれが1年の時には約60人、学年が上がるにつれて+約15人と考えると合計約105人の人達と小さくても薄くても「縁」が生まれます。
しかも、日本全国各地に「縁」が生まれたと言ってもいいくらいです。

特に、同期のメンバーには非常にお世話になりました。4年間楽しく過ごせたのはこのメンバーがいたおかげです。私がこの部活に、同期のメンバーに、後輩に何かを残せた自信はありませんが自分がやりたい事を、半分以上は自分なりに好き勝手やってきたので一方的な感謝の気持ちだと思ってください。

このnoteでこういう選手もいたんだ、という事実を1人でも多くの人に発信出来たらいいなとここまで書き綴ってきて思う様になりました。

大学での4年間は、ここでは書ききれないくらい貴重な経験をさせていただきました。
この道を選んで良かったと心の底から思えます。自分の選択は間違えていませんでした。

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