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競技生活を振り返って⑰

・前回の続きから

さて、17回も同じテーマでやると長く感じますね。あと少しなので頑張ります。

平日でのポイント練習は消化出来るのに土曜日のポイント練習は週末の疲れも溜まってきて消化出来ない、そんな日々でした。

短くて速めのjogや流し多めにしてみましたがうまく噛み合う感覚が無かったです。

定期的に「ナチュラルメディカル柏崎」という所で体を整えてもらっていました。
バランス等が良くなったからか好転反応で帰宅してからは疲労が一気に出てきてました。

10月に入り練習で5000m14'57の自己ベストタイを出せました。しかし、コーチから基本組と練習を一緒にする形式になると毎週土曜日のポイント練習は100%出しても消化出来ないメニューばかりで試合前にはもう力を使い果たしていました。
常に疲労感、動くのは日曜日に完全休養した後の平日ポイントまでくらいでした。

10月24日 平成国際大記録会10000m
31'14"08「2'58、5'58(3'00)、9'01(3'02)、12'06(3'04)、15'19(3'12)、18'30(3'11)、21'45(3'14)、24'59(3'13)、28'12(3'13)、31'14(3'01)」(15'19、15'55)

誕生日を迎えたという事で気合いも入ってましたが後半ガタガタの凡走でした。歯痒い試合ばかりです。誰も前に出ようとせず、3000過ぎまで引っ張り打ち上がりました。

久しぶりに大学の監督と会ってお話が出来ました。コロナ渦で無ければ飲みにいきたいです。

この頃から12月の記録会で最後やるしかないと決めます。新しい事を試す期間は終わりにして原点回帰です。

「jogを丁寧に。ゆっくりでも良いからその分長めに走る」

これを11月から取り入れ始めました。
今までポイント練習に向けてjogの量を落としたりしていたので体が慣れるまで時間がかかりました。

11月15日 ニューイヤー駅伝北陸地区予選会
私は、同日開催の記録会に10000mで出場しました。
32'00"78「3'01、6'02(3'01)、9'05(3'03)、12'14(3'09)、15'31(3'16)、18'49(3'17)、22'09(3'20)、25'28(3'18)、28'48(3'20)、32'00(3'12)」(15'31、16'29)

11月の割に暑くタフな気候でした。ポイント練習では100%以上の力を出そうとして疲労困憊+jogをしっかりやり始めて2週間。練習で走れるタイムで走りました。にもかかわらず、疲労は溜まる。試合を走れば走る程タイムが落ちていく最悪なスパイラルに入っていました。

ニューイヤー駅伝の予選会はトラック10000mの合計タイムで競う事になります。YKKさんと1枠を争いますが届かず…
悔しい結果に終わりました。

jogをゆっくりでも丁寧に取り組む様になったら体の許容量が増えた感覚がありました。
疲れが溜まらない範囲が分かってきた事と脚の力が最後までキープ出来る様になってきた事です。

16000+1000のメニューは以前より余裕度が高くスピードも出せたので久しぶりに腹8分目でポイント練習を消化しました。
その後のポイント練習もコーチに話し余裕のある設定でやりたい旨を伝え6割分は受け入れてくれました。
11日前のこのメニューで調子が上がっていたので動かし過ぎたくなかったんです。

動きがいっぱいいっぱいにならない様に余裕を作りながらメニューを消化していきます。
試合までもjogはゆっくりでも丁寧に走り調子が良かった分、刺激の時には少し落ちてきましたがjogをしっかりやっていたおかげでその落ち込みが小さく抑えられたと感じました。

・最後の挑戦

私の最後の挑戦が始まります。
治療院の先生にも過去1をいただき今年初めて動く気がしました。
普段通りの生活をして考え過ぎない様に努めます。どうせ最後なら自分の力をなるべく100%出し切りたい、自分らしいレースをしたいと思いタイムを気にするのをやめました。

12月5日 日体大記録会10000m
30'42"22「3'01、5'59(2'58)、8'59(2'59)、12'03(3'03)、15'05(3'02)、18'11(3'05)、21'14(3'03)、24'20(3'06)、27'30(3'09)、30'34(3'03)」(15'05、15'29)

数秒ですが自己ベストを更新しました。渋滞で到着してからすぐアップとアクシデントもありました。刺激の出力を思い出し落ち着いて入る事によって自分らしい粘りのあるレースが出来ました。ゴールした後、気持ちがスッキリしていて力を100%までいかなくても出し切れた感覚はクセになって走るのをやめられない理由の1つですね。寒さでラストは上がりませんでしたが小さくても成長出来ていて安心感と嬉しさがありました。

・最後の挑戦の終わり

設定の30分切りが出来なかったのでこれで12月いっぱいで陸上部の退部が決定です。
ここまで走れた事はありがたく環境に感謝でいっぱいです。

同期からの誕プレでスニーカー貰いました。

・アディショナルタイム

実業団生活は終わりになりますが最後まで走り切ろうと月末の記録会に向けて走り出します。

12月27日 平成国際大記録会10000m
31'00"92「3'00、6'00(2'59)、8'59(2'58)、11'58(2'59)、15'06(3'08)、18'17(3'10)、21'32(3'15)、24'48(3'15)、27'59(3'11)、31'00(3'00)」(15'06、15'54)

雪の上を走る技術を身に付けていないまま初雪が大雪でした。その影響でうまくjogが出来ずトレッドミルだと調子が良いのか悪いのか分かりませんでした。5000mの通過は日体大記録会と変わらないのに後半は粘れませんでしたから。寒い環境での練習で疲労も溜まっていた事や日体大記録会から立て直せなかった点もあると思います。

最後のレースも凡走でした。
これはまだまだ走れというお告げですかね。
監督に仕事はこうしたいと話した翌日に転勤場所が決まったので驚きました。
こういうバタバタするのも私の人生です。
選手として決まったのも内定者の集いの1週間前でしたから(笑)

実業団選手として最後の練習はjogで林道コース走ろうと思ったら雪の壁に阻まれたので断念しました。

新潟での最後の1ヶ月が始まります。
次で最後になります。

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