個人Vtuberと負の燃料

 個人Vtuberとしてデビューしてから、三か月がたった。チャンネル登録者が1000人を達成し、パソコンを買い替えたり、尊敬できる方々に出会ったり。自分なりに駆けている筈なのに、常に焦燥感が肺胞を抑え込んでいる
 勿論、私の自己肯定感が元来低いせいもあるだろう。しかし、ピラミッドの頂点付近で輝くカリスマに、足掻いても届かないのは、どう考えたって実力不足だ。頭を働かせ戦略を練り、喉が裂ける手前まで歌の練習を毎日している。それでも、私はカリスマになれない。天才に憧れる凡人から、抜け出せない。
 圧倒的に不足している感覚だけが、はっきりしている。私にとって、Vtuberは自己表現方法の一つだ。完成度の高いVtuberは、存在が総合芸術だと感じる時すらある。それほどまでに、VTUberには反映されてしまうのだ。歩いてきた道のりや、獲得してきたスキルや語彙が。歌だけうまくてもダメだが、圧倒的な歌唱力はそれだけで武器になる。ゲームだけうまくても人は集まらないが、圧倒的なプレイングスキルはチャームと同義だ。
 正直、私も後光で顔が見えないくらいの強みが欲しかった。私は現在、ガチ百合メンヘラシスターとして、活動をしている。人生を配信で切り売りしていると、時々邪道だと馬鹿にされる。
 邪道の何が悪いのか、分からない。皆が王道だけ攻めては、界隈全体の表現の幅が狭まり、個性や能力が平均化されていくだけだ。私のような所謂色物の存在は、むしろVtuberという土壌の豊かさの現れだと思う。
 Vtuberの活動には、数字がついてまわる。チャンネル登録者数、フォロワー数、再生回数、高評価数。能力が可視化された世界で、分かりやすい正解に縋る人が多くなるのは、当然だ。ただ、私はバーチャルの世界に足を伸ばしてまで、学校や会社の再演はしたくない。足掻いた結果が、集団にとっての最適解だなんて、息苦しさすら覚える。
 勿論、王道が好きで得意な人は好きにしたらいい。ただ王道をいかない人間を鼻で笑う権利は誰にもない。自分の選択に胸を張るなら、張り切ったらどうだ。私や他人がどんな邪道を歩もうが、貴方の選択の否定にはならない。
 私は、ただただ名前を残したい。何者かになりたい。だから自分が使える手段は、なんだってとる。道の正邪など選べる段階にない。私には、自己表現しかもう残されていないのだ。
 本当は、フルタイムで働ける体力が欲しかった。健やかな心身で穏やかに生きたかった。焦がれても欠けたスペックは、上方修正されない。一度軋んだ思考は、元には戻らない。表現の世界は、優しくて寒々しい。一般的なスペックが必須ではない代わりに、粉砕したこころの出力の美醜を問われる。だからこそ、ある種平等だと思う。病んでいようが、健やかだろうか。評価されたもの勝ちだ。
 しかし、現実の表現の世界は平等とは言い難い。声優や役者の世界は、実力は勿論、他者とのコネクションや愛想も必要不可欠である。所謂、世渡り上手が成功する。心を病んでいる人間は、大体世渡りが下手くそだ。周囲にあわせて自壊するか、足並みをあわせられず、追放されるか。
 現実の表現の世界とは対照的に、バーチャルの表現世界は、実は圧倒的な才と力があれば、人付き合いを極限まで削っても、成功できる可能性が高い。まだまだ発展途上の分野だからだ。こんなにも、病んでいる人間に適した舞台が他にあるだろうか。
 自身の病的な精神性にアイデンティティをすべて預けたくはないが、傷も含めて私だ。つまり私は、私の傷を人間に認めさせたいのだ。事実、鬱が寛解してハッピーエンドで終われるような人生は送っていない。たくさん殴られたし、無下に扱われ続けた。そんな私が、病んだ心を引きずったまま、自己表現で成功できたなら、一番の復讐だろう。私を無能と加害してきた人間たちこそが無能だったと証明ができる。
 動機はなんだっていい。エンタメに昇華し、コンテンツとして面白がってもらえたら、立派な表現者の一人だ。ネガティブな思考も、希死念慮も自信のなさも、不安定な自我も、無理やり矯正する必要はない。病んでいる人間だからこそ、創り出せる価値があるはずだ。
 むしろ、負の感情が原動力としてなかなかに優秀だったりする。ポジティブな願いは、私にとって覚悟の源にならない。なんだかふわふわしていて、輪郭が曖昧だな、とすら感じる。お茶を濁しているような錯覚。虐待された過去も、トラウマもしばらくは消えてくれない。死にたいまま明かす朝も、動けないまま泣く夜も、あったっていい。誰にも否定する権利なんてない。正しさは、時として暴力だ。暴力に晒されて生きるのは、当たり前に、しんどい。間違いつつ生きる人間代表として、これからも私は生き汚く、息を続けたい。
 息を続けるために、Vtuberとして、あるいは創造者として、何がなんでも成功したい。私は感情を理屈で構成する生き物のため、ぐるぐる考え続けながら、色々な戦略を試していこうと思う。
 はたからみたら、効率が悪い邪道な活動者なのかもしれない。それでも、最後に、背負った薪を一番激しく燃やせていればいいのだ。綺麗な人形も、生ごみも燃えてしまえば同じだ。
 自分の好きなように生きて、迷って、足掻いていこうと思う。

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