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信濃川って県境で名前変わるんだ!

ある日。

次の旅行先をどこにしようかなーってGoogle mapを眺めていた。

明確に行きたい場所があればそんなことしないわけだけど、どっか行きたいけどどこ行きたいかわからん時は大体地図を見ながら決めるのだ。

そんな中で目に留まった箇所が。

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え?信濃川と千曲川って同じ川だったのか!


単純な勉強不足ではあるのだけど、ちょっとしたびっくりだった。

信濃川は日本一長い川として有名だけど、どうやらこれは千曲川との合わせ技だったらしい。合わせ技というより、元から同じ川だから逆になんで名前を変えたんだという話である。


少し調べてみたら国土交通省のQ&Aにこのような記述が。

Q.信濃川の名前は、長野県では千曲川、新潟県では信濃川と言うのはなぜでしょうか?
A.正式に長野県側を千曲川、新潟県側を信濃川としたのは、1896年(明治29年)の旧河川法制定による河川指定からですが、その川の下流部(河口)の名前を一般に使っています。
  これ以前は新潟県川口町の魚野川合流点より上流を千曲川と称していましたが、当時の置県の状況を鑑みて、地域的に根付いていた信濃川、千曲川という呼称を採用したのものと推測されます。
  信濃川は、古くは大きな川という意味で大川(おおかわ)と呼ばれていましたが、その後、長野県の旧称である「信濃」の国から流れてくる川として、信濃川と呼ばれるようになりました。
  この「シナノ」の読みは西暦700年頃から用いられていますが、古事記や国造本紀では「科野」と書かれています。
  「シナノ」の定義には、様々な説があり、「科の木が生える山国」のほか、「科」という文字が古くは急峻な地形を表す言葉として用いられてたことから、信濃川の名の由来には「山々から流れてくる」という意味が込められているものと思われます。
  千曲川はその名のとおり川が千の数ほど曲がっている様子から千曲川と呼ばれるようになりましたが、千曲川の水源地域である長野県川上村の伝説によれば、大昔、高天原に住む神々の間で大きな戦いがあり、このとき流された血潮によってできた川とされており、その血潮があたり一面隈なく流れたようすから「血隈川」と言うようになった、とも伝えられています。(国土交通省北陸地方整備局信濃川河川事務所:信濃川Q&Aミニ知識

つまり、川が長すぎて同じ川なんだけど地域によって呼び名が変わってしまたということみたいだ。そして、それを今でも使っているということみたい。

今でこそ、高精度の地図があるから見りゃ同じ川って分かるわけだけど、昔は実際に上流から下流まで歩かないとわからんのだから致し方がないか…。

すげー雑に位置関係を示してみるとこんな感じか。

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…改めて見るとめっちゃ長いわ。

千曲川沿いには上杉謙信と武田信玄が争った地、川中島古戦場や真田の居城であった上田城があるので、是非訪れたいと思ってます。

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あと信濃川は書きたい場所があるので、それはまた近々書きます!

暑い日が続いてますが、なんとか耐えていきましょー。


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