毒親の呪縛とは 未来を考えられない理由

NHKのハートフルネットに、精神疾患の親に育てられた経験のある方の体験談・メッセージというものがありました。発達障害でアルコール依存症の父と統合失調症の母に、私は育てられました。まさに当事者といえるでしょう。
読んでいくと、同じ経験をする人達に対して、「過去に縛られているように感じた」とし、「過去より未来どうするのか考えることが重要」、と提案がありました。
たしかに、これからも生きていくのであれば、過去がどうあれ未来を考えなければなりません。未来の展望を描けることが、今後の成功体験に繋がるということは、心理学の研究でもいわれていることです。ですから、健常者レベルの問題であれば、こうしたアドバイスは適切だと私も思います。
しかし、精神疾患の親に育てられた、つまり病的なレベルの困難さでは話はかわってきます。精神疾患の親に育てられたことにより、未来を考え生きていくことができないほど、病的な困難さを抱えている人がいるのです。それは、提案した人が、「過去に縛られている」と、いみじくも感じられたところにあります。

統合失調症の親に育てられた場合、子供は親の妄想に振り回され、ときに統合失調症のような妄想を持ってしまうこともあります。私の場合はトイレで閉じ込められる、テレビの向こうからこちらを観察している、などという妄想を持っていたため、学校でトイレにいけなくて漏らしてしまったり、テレビを見ることが怖くてできないなどありました。
それはつらい体験だろうけど過去のことだ、今はそうではないのだから未来を考えようとしなさい、などと思われるでしょう。
しかし、私がそうした妄想を持っていたこと、それにともない、周囲の人に偏見を持たれ、いじめを受けた過去は消せません。現在でも、私のクラスメイトや学校の先生は私を異常だといいます。そのため、現在でも理不尽な差別を受けています。
これはあくまで一例です。他にも、精神疾患特有の理解されがたい問題を抱えることになります。

偏見とは、「ある対象,人,集団などに対して,十分な根拠なしにもたれる,かたよった判断,意見などをさす。このような判断や意見は強固なものであり,それらが誤っていることを示す証拠をみせられても容易に変らない場合が多い。」とあります。
つまり、精神疾患や精神疾患の親に育てられる影響について知らないまま、そうした困難さを理解せず判断することは、精神疾患に対する偏見を持っているといえます。

社会が精神疾患に対して偏見を持っているかぎり、精神疾患を患う人はもちろん、その家族もまた、偏見に悩み苦しむことになるのです。

先に述べたようなクラスメイトに偏見を持たれた例でも、それらの関係を断ち切って、新たなスタートを切ればいいという人もいます。そうすることがいかにハンディキャップになるか想像ができないのだと思います。それでも、そうせざるを得ませんでした。

しかし、母が生きているかぎり、今後も統合失調症による症状に悩まされ、それによる困難さを抱えることになります。

私は正社員として働いている時、2度結婚を考えました。しかし、一人目は母のことを打ち明けたあと精神疾患の子供が生まれるのが心配だといわれ別れました。二人目は相手方の親が猛反対したため、結婚できませんでした。こうした問題も、私に甲斐性がないからだと片付けられるのです。そして、成人した大人が、結婚することもせず、次の子孫も残そうとしないことを指摘されます。皆が、結婚をし、子育てをして、両親の介護をしているのに、私はできないことを取り上げられます。

精神疾患の親に育てられた困難さと、現在まで続く困難さ、それを理解せず、根拠なしに偏った判断をされるのです。そうした、精神疾患に対する社会の偏見がこそが、”縛られている”原因ではないでしょうか。私は、母を看取って、そして、ひっそりと終わりたい、そうした希望さえも持てないでいます。

親が精神疾患というだけではなく、発達障害、人格障害、虐待を受けた、親が異常に偏った考え方をしていた、社会から逸脱してた、一見裕福で精神的に問題のない親に見えても、子供にとって病的なレベルの困難さを抱え、偏見にさらされて苦しんでいる、様々なケースがあると思います。

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