格差を感じたこと
ショッピングモールの飲食ができるスペースでジュースを飲みながら、ガラス張りから見える外の風景をみていた。ジュースは当然店内で89円でかった500mlのコーラである。服を買うお金もないので、色褪せたジーンズ、よれたYシャツ、ほつれたセーターを着ていた。
そこには道路があり、道路へはショッピングモールから出る車が向かっていた。そこは出口専用である。しかし、道路から高級車が、出口専用のとこから強引に入ろうとした。出ようとした車と正面衝突しそうになり、お互いに急停車した。それでもレクサスは入ろうとする。そのため、出ようとした車が譲っていた。
その車からは、母と子供が二人店内に入ってきた。どうも、子供のトイレを急いでいた様子。丁度私が休んでいたコーナーのそばにトイレがあり、そこへ入っていた。
そして、出てきたあと、私の近くの自動販売機で飲み物を買っていた。子供たちは自動販売機を叩いたり、さわいだり、自由にしている。親はいかにもお金持ちそうで、余裕がみてとれる。子供が例え何かを壊しても、他のお客に迷惑をかけても、対応できるのだろう。
飲み物を買い与えるさい、学校の話が聞こえてきた。おそらく小学校であろう、子供の学校の内容は、公立の学校ではないのだろうと思わせるような内容であった。その後、もうひとりの幼稚園か小学校かという子供もトイレへいきたがり、母はトイレへつれていく。先ほど話していた小学生は、なぜか私のそばにやってきた。
私は、その家族が不愉快であった。金持ちへのひがみと思われるかもしれないが、出口専用から強引に入ること、自動販売機を乱暴に扱う振る舞いからである。
子供は敏感なものである。私はずっと窓の外を眺めていたが、不愉快さが伝わったのか、子供は母がいたときよりもおとなしく座っていた。もしかしたら単純に心細かっただけかもしれない。
母が帰り、子供の異変に気がつき、子供に向かってどうしたの?と聞いていた。子供は何も答えようとしない。母は向きを変え、
「なにかあったの?」
明らかに先ほどとは違うトーンで話していた。
子供はとくに何もしゃべらなかった。
私は何かから逃れるようにずっと外を見ていた。
私は貧乏な家庭で生まれた。小学校のころは、家の壁に穴があり、外が見える、外から隙間風が入る。そういう環境で育った。それを学校では笑いものにもされた。公立の学校の中でさえ底辺にいたものからすれば、なぜ持っている者は持たない者を蔑視するのか。口では、博愛だ、隣人愛などというのに。
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