洗濯ネット

洗濯をしようとしたところ、洗濯ネットがひとつ見当たらなかった。統合失調症の母に洗濯ネットをどこへやったか聞いたが、それについて答えない。
「新しい洗濯ネットだからお父さんの服を入れた」という答えにならないことをいう。たしかに、新しく買い足した洗濯ネットがなくなっているので、本人なりに答えようとしているのだろう。このように統合失調症の母は意思疎通が難しい。
結局、玄関に洗濯ネットは置いてあった。しかも、洗濯ネットの中には、衣服が入っている。
「なぜ、洗濯ネットの中に衣服があるのか。これから洗濯をするのか?」
と聞くと、母は、
「それは洗ったものだ」
という。
「洗濯したものをなぜ洗濯ネットに入れるのか?」
と聞くと、
「今日は、新しい洗濯ネットに入っていたから、それに入れた」
という。これを読んだ人は何を会話しているのかわからないだろう。当然のことながら、洗濯ネットは洗濯をするために使うネットである。洗濯がおわり、干して乾いた衣類を入れるものではない。しかし、洗濯をして、わざわざたたんだ衣類を、母は洗濯ネットになぜ入れるのか、それを私は聞いている。しかし、母は、新しく買い足した洗濯ネットに入れたことを問われていると勘違いをしている。
「お母さんは勘違いしている、新しい洗濯ネットにいれたことを問題にしているわけじゃない。なぜ洗濯が終わった衣類を洗濯ネットに入れたのか聞いている」
といっても、
「古い洗濯ネットに入れた方がよかったかね?」
と答え、話にならない。
結局、古い洗濯ネットに入れ直してみせて、それでも、なぜ洗濯した衣類を洗濯ネットに入れたのか聞いてみるが、わからないという。
「洗濯ネットは洗濯をするための道具だから、洗濯が終わったら洗濯ネットに入れなくてもいいよ」と伝えたが、よくわからない様子。
ちなみに自分の洗濯物は洗濯ネットに入れて洗おうとはしない。洗濯物がきれいにならないなど、何か妄想していて洗濯ネットを使いたがらない。

だったら、洗濯を自分ですればいいじゃないかと思われるだろう。私はそうしたい。料理も掃除も洗濯も、すべて私がやった方が心も体も疲れない。逆に、いつも主婦をしている人から、料理も掃除も洗濯も奪われたら、どのような気持ちになるだろう。お前は統合失調症だから、よけいに手がかかるから、何もするな、といわれて、どう思われるだろう。精神疾患を持つ家族の苦悩は、やらせなければいい、手伝えばいいという単純なものではない。正直に、母には何もしてほしくない。いっそのこと施設へ入れたい。その施設へ入れるお金さえない。母が料理をするたびに、床が水でぬれる。洗濯をすれば洗剤がたれる。洗濯機からは泡があふれる。掃除をすれば、汚れる。それらを母がする後からついて、すべてしりぬぐいをしなければならない。以前のヘルパーさんはそんな母の行動に困り果ててやめた。今のヘルパーさんは自立支援といって、本人にやらせるため、何も改善していない。食器は濡れ、棚は湿気でくさり、スプーンなどは水滴のあとが白くついている。冷蔵庫や棚の中は賞味期限の切れたものや、残飯であふれている。結局、私はそれらを片付けなければならない。どんなに伝えても、工夫をしても、統合失調症の母は適切にできない。それが統合失調症の症状である。つまり、母がやめない限り、やることができる。

この世は賽の河原である。

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