痛い女の作り方
朝目覚めたら、高円寺北口ロータリーの段ボールの上だった
「死にたい」
どうしてこうなったのかなぜか覚えているので
「死にたい」
昨晩のやりとりを見返して、自分がどうしようもない人間であることを思い出し
「……絶望」
ここでひっそりと、大きな声で残してみたら
こんな朝にも意味があったといつか思えるでしょうか
「This is me」
これが私。ありのままの自分で生きましょう
って……本当か?
このままの私を好きになれるなら
本当になりたい
変わらないといけないタイミングがあるのなら間違いなく今だと思うんだけど、そのままでいいんだよって誰かに言ってもらいたくて
私は友達に電話するのだなあと思う
そもそもずっと、自分の存在意義を探しながら、
無理やり
納得させて、、、、、、、
無理してたのかもなあ
自分のこと、好きになれてきてたのに
毎晩毎晩、幸せでたまらなかったのに
未来、とっても明るいと思ってたのに
無理してたのかもなあ
元来、
至らないところばかりの
どうしようもない人間
そう唱えることだって
自分を慈しむことなのかもしれない
心が身軽になっている
今だって書きながら、ほんのちょっとずつ
心地いい
うまくいくかもしれないし、次も書けるかもしれない
いつか忘れて、ただの記憶になっていくもの
変わらなきゃいけないって圧力かけてたのは、
誰のためにだったんだろう
誰の視点だったんだろう
自分で納得してるなら
それでいいよなあ
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