ネットの「世論」から感じる違和感

最近、SNSの力で政治を動かしたという話を聞く。そこにいつも言葉に出来ない違和感を感じていた。この際の「世論」が結果として正しいのか誤っているのかは関係ない。

まず、「世論」があたかも全ての人の思いを代弁しているかのように振る舞う事が挙げられる。SNSは今まで声を挙げることが出来なかった人が不特定多数の人に意見を発信できるようになり、共通のイシューを持つ人と繋がりを持つことができるようになった。アラブの春に代表するように「悪の」政権を「正義の」民衆が倒した。これを見るとSNSは正義の力を結集して悪を倒すことが出来るように見えるが実際はそうなのだろうか。

SNSを利用し、なおかつ発信をしてる人はそれ以外の人数より少ない。しかし、SNS上で交わされる意見は全ての人の総意のように捉えられる。発信をしていない人達の意見はもちろんSNS上には載らない。結局SNSは意見を結集する力があるのではなく、意見を拡声するツールでしかない。

そもそもSNSは多様な意見が発信されることが売りであったはず。それなのにメディアなどは「ネット上ではこのように言われています」などと一括りにした報じ方をする。それこそがネットの「世論」が全ての総意に感じる理由である。

ネットの「世論」が力を増すごとに多様性は失われ同調圧力が増す。なぜならSNSは拡声器だからだ。たとえ、少数の人の意見だとしても同じコミュニティの人の中で拡散されれば大きなムーブメントになる。これに関してはマイノリティの意見が広まるという良い面がある。しかし、沢山の共感を得て力を持ち出したらそれはもうマイノリティではないのでないか。いつまでも弱者というハンデキャップを持ちながら武器を振り回す姿に私は本当の正義は感じない。

Twitterのトレンドは大きな波が起きているように見える。1人の信念ある意見が最初だとしても拡散されていくうちにその信念は薄れていく。そうなったらデモの混乱に乗じた暴徒の荒らしと一緒だ。なにも信念も無い人がトレンドという混乱に乗じてやりたい放題やっているだけでそこに秩序なんてものはない。完璧に理解していなくても発信していいじゃないかと言うが、意見の発信には必ず責任が発生する。SNSは本当はパージなんかじゃないのだが、それを分かっていない人が多すぎる。




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