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フィリピン人女性との交際のススメ6

 こんばんは。
 本日もお越しくださり、ありがとうございます。
 早速、お題から、話しを進めて参ります。
 

5.日本人に対しては良い印象をもっているせいか、日本人との結婚まで望むフィリピン人が多い。

 まだ、和多志が高校生の時や大学に入る前の頃の事です。
 世の中はバブル経済の真っただ中でした。

 信じられないかもしれませんが、夜、六本木などの盛り場では、タクシをつかまえるのに苦労するほど、利用客が多かったので、客は一万円札を持った手を上げ、振ってタクシーを捕まえていました。
 「初乗りで済むような場所への移動でも、一万円、払うよ!」という意思表示のつもりでした。タクシーの運転手も高い給料を手にしていて、とても景気がよかった、いい時代でした。

 その波に乗って、外国からも、特にフィリピンから、前の回で紹介したように、「じゃぱゆきさん」と呼ばれるフィリピンパブで働く女性が大挙して日本にやってきました。
 
 建設業、不動産業、金融業(銀行ではない)等、特に潤っている業種の、中小企業のみなさんが、こぞってフィリピンパブに毎晩のように通い、未婚の男性は、ホステスさんと恋に落ち、そしてやがて国際結婚が花盛りとなりました。フィリピン女性と共に、同じパブでボーイとして働くようなフィリピン男性も、多少はやってきましたが、やはり比ではないほど女性の働き手が多かったようでした。

 この全盛期を少し下ったあたりに、日本にやってきた「じゃぱゆきさん」から生まれたハーフたちが、TV業界で活躍しているタレントたちです。
 池田エライザさんなど代表されるハーフタレントで、大人気ですね。
 

photo by Roland Hechanova


 よく、「じゃぱゆきさん」の事を悪くいう人がいます。
その為か、当時は事情を良く知らないガキの和多志も、いい印象は持っていませんでした。そういう悪い噂をする人の話ししか世間では聞かなかったからでした。

 それなりに給料を貰っているはずなのに、たこ部屋と呼ばれる小さな部屋に、二段ベッドで寝泊まりし、最小限の生活費だけで日本で生活して、後はみんなお金を本国に送金している姿が印象に残りました。

 そうなんです、お金をがめつく、何がなんでも本国に送金する姿しか印象になかったのです。
 でも、和多志も歳を重ね、まして、フィリピンに移住する機会に恵まれて初めてわかる事に、過去の、ガキだった自分を反省するのでした。
 
 そうなんです。貧乏なんです。フィリピンで、一般家庭と呼ばれる層は、大家族にも関わらず世帯収入が月4万円などしかないのです。
 大卒(collegeという専門学校卒含)でも、初任給は20,000バーツ(日本円で5万円程度)です。大卒が一人いると、一家6,7人が食べていけてしまうのです。
 物価は確かに安いのですが、それでも、給料は薄給と言えます。
 だから、少しでも家族の生活が楽になるように、外国に出て働く機会が欲しいのです。 
なぜなら、
「フィリピン国内に発展を促すような産業が育っていない為」です。

 今でこそ、外国資本の企業を多少誘致して、そこで働くことができる人も居るので、少し暮らし向きが楽になる家庭も増えてきましたが、それでも、高校卒業程度では、外国資本企業などでは雇い入れてくれません。

 一次産業で畑を耕すか、女の子は盛り場でホステスになって働くかなど、限定的な仕事だけになってしまいます。
 マクドナルドで一日働いて、給料いくらもらえるか知っている方いますか?500バーツですよ?1250円程度です。「学がない」=「稼げる仕事に就けない」なのです。レストランの下働きなどは給料が安い典型です。

 裕福な家庭に生まれると、学校にも行け、高学歴の子女は、公務員や、大企業、国の機関などでの就職が選択肢としてあります。

 貧民街に生まれた子などは、一発逆転の夢を見ることすらできないような状況です。今でもそんな状況を抱えて生活している国民もいるのです。
 
 そんな中、1980年代には日本で「ジャパンに行きたい」女子が働き口を見つけられる、夢のような話しなのでした。

 当時、ホステスは月30万円程度収入があったそうです。
 5万円は日本で生活していくために使うお金。25万円を送金できるのかと言えば、そうではなかったそうです。
 実は、日本側で、受け入れる業者と、送り出しとして、フィリピン国内で、手続きを代行する業社がセットとなって中間手数料を毎月上納する契約の上で日本にやってきます。25万円のうち、10万円~15万円も取ったと聞きます。それは日本人です。残念ながら柄の良くない日本人です。
 つまり送金は10万円から15万円になってしまいます。

 でも、ここでもフィリピンの悲しい国の事情が逆にいい結果につながることになりますが、これだけ仕送りすると、本国の家族はとても楽な暮らし向きになったのです。
 日本で売れっ子となって、指名が沢山入る女性はもちろん給料が高く、本国で家を建てたりなど出来たので、どんどん「じゃぱんにゆきたい」になっていったそうです。今の年で、45歳くらいの女性がそれに当たります。

 そして、彼女達のスペシャルボーナスは、運よく、独身の若い企業家の社長さんに見初められて、国際結婚にまで到着した暁に、「大成功」の人生となるのです。
 つまり、そうした「成功物語」をものにして幸せの絶頂を築いた先輩の話しを聞いた後輩たちが、未だに「じゃぱゆきさん」への夢を見ていることとなります。

 現在、日本国内の経済状況がどうなっているかなど、知る由もない彼女たちは、特に、フィリピンでも製造されているトヨタ自動車の車などをみて、工業国の代表格 「日本」の神話をまだ信じている女性が結構いたりします。
 もちろん、フィリピンに移住している日本人の礼儀の良さも加点ポイントとはなっていますので、「憧れの国、日本」は今でもフィリピンで語られているのです。

 家族の為、派手な生活を日本ではせず、家族の為に、自身にとって大金を惜しげもなく国に仕送りし、家族の喜ぶ姿を見て嫌な接客をこなしてきた「じゃぱゆきさん」。
 
 「じゃぱゆきさん」たちが来て、何ら日本国内は騒乱が起きたわけではなく、むしろ、夜の楽しい時間と癒しを働く日本男子に与えてくれていたわけです。
 「バブルの時代」もちょっぴりかじった最後の世代である和多志にとって、あの時代、死んだ目をして仕事をしていた人など居なく、寝ずに遊んでいた楽しい大人が沢山いたキラキラした時代でした。復活させたいと常々願う者です。
 今、日本の経済が復活しないで、問題が山積みになってはいますが、もし、嫁獲得問題で、上手くいってない日本の男性の皆さんに、「フィリピンの女性を嫁としてもらったらどうですか?」って提案をしたかったのです。

 今日はここまでにしたいと思います。
 今日も長文になってしまったのにも関わらず、此処までお付き合いいただきありがとうございました。

 次回も、楽しい話題を提供できるように、書いて参りたいと思います。
よろしければ、またお越しください。
 貴重なお時間を有難うございました。
Masa
 
 


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