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森田邦久『科学哲学講義』

私は大学で理工系の学問を学んでいて科学というものに親しみがある。数学、物理をはじめとして授業で扱うものはほとんどが科学だ。では、学生以外の人間からして科学とはどういったものになるのだろうか。科学自体は日常のほぼすべてのものに対して使われている。電化製品は当然として木で作られた机や、家具のデザインも科学の力を使っている。私たちはそれらが科学だと実感しないままその恩恵を受けている。たとえばAIはその中身がブラックボックスとされている。内部でどのようにして結果を生み出しているのかを私たちは理解していないが、そのAIの有用性から使用している。しかしこれは重要な決定をAIにゆだねる場合にそのプロセスが不透明であることは大きな問題である。どのようにその結論に至ったのかを理解できなければ誤った判断や偏見を見逃すかもしれない。そのために解釈可能性というものがある。そのプロセスを人間が理解できる形で説明するものだ。AIの設計段階で透明性を確保する方法や、AIの決定に対する後付けの説明を生成する技術などが含まれる。また、AIはいまやだれもが使用できるまでに普及してきた。AIの仕組みについて全く知らない人間でさえもインターネットを使えば利用できる。そうなったときにやはりAIについて理解している人の方が正しく利用することができる。科学についてもどういう原理で動いているのか、完全にブラックボックスな認識のままではなく、理解していた方が便利だ。

最近見たアニメにDr.STONEという作品がある。全人類が石化して3700年経ったところで主人公の千空が目覚めてそこから文明を築いていく物語だ。この作品のテーマともなっているのが科学である。石化に関連することを除けばこの作品ではすべてが現実世界の科学をもとにされている。千空が石化を治す薬を編み出し、人を少しづつ増やしながら文明を作り上げていく。またこの作品のおもしろいところとして、ここでは省略するが色々あって完全な原始人のような、現代文明を知らない人達も登場する。その人たちからしたら3000年の文明を一気に駆け上がっていくような感じであり、この作品の面白いポイントの一つである。

世界のわからないことに対してルールを探す、その道のりが科学だと千空は言っている。科学と関わりの薄い人からすれば科学というのは、あらかじめ範囲が決まっていて宇宙とか数学とかそういうものの学問を指しているように思うかもしれない。しかし千空がいうように、数学だって最初から存在していたわけではない。ものを数えたり距離を測ったりする目的で使用され発達してきて今の数学の体系にいたる。さらにこれらは正しいとも限らない。現時点まで積み上げてきた正しいとされているこれらが科学だ。

「Dr.STONE」のような作品は、科学がどのように私たちの日常生活に根ざしているかを示しています。この物語では、千空が基本的な科学原理を用いて、文字通りゼロから文明を再構築します。彼は火を起こし、道具を作り、薬を合成し、電気を生成します。これらすべての活動は、科学的知識と技術に深く依存しています。

この物語はまた、科学がどのようにして私たちの生活を豊かにし、困難を克服する手段を提供するかを示しています。科学は、単に抽象的な概念や複雑な方程式の集まりではなく、実際の問題を解決し、人類の生活を改善するための実用的なツールです。

さらに、「Dr.STONE」は、科学がどのようにして社会や文化と相互作用するかを探求しています。千空と彼の仲間たちは、科学を使って新しい社会を築き、その過程で倫理的、哲学的な問題にも直面します。科学は単なる知識の体系ではなく、それを使う人々の手によって形作られるものです。したがって、科学は文化、倫理、そして人間の価値観と密接に結びついています。

最終的に、「Dr.STONE」は、科学が単に既知の事実を積み重ねること以上のものであることを示しています。それは、未知への好奇心を刺激し、新たな発見への道を開く冒険です。この物語は、科学が私たちの理解を超えたものに挑戦し、常に進化し続けるダイナミックなプロセスであることを強調しています。


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