ロンリー・クリスマス
『雨は夜更け過ぎに雪へと変わるだろう……ひとりきりのクリスマス・イヴ……』
「なぁんで、こんな日に当直仰せつかるかなっ!」
吉永辰也はぶつぶつ言いながら、検食の鶏の唐揚げをつつき回していた。一応小さなカップケーキもついている。上にぽつんと刺した柊が泣けてくる。そう、今日はクリスマスイヴである。
もともとローテーション的についていたものとはいえ、何とか回避できるものとたかをくくっていたのが甘かった。佐倉総合病院に、整形外科医は研修医も含めて、現在五人勤務しているのだが、その全員にあっさりとふられ、吉永は仏頂面で冷えかけた病院食を食べる羽目に陥っているのである。
「……何が嬉しくて、世の中みんなが浮かれてるときに、ひとりで飯食ってなきゃならないんだか」
さっきから、あちこち回しているテレビのチャンネルもクリスマス一色でうんざりしてきた。ばちんと消してしまい、黙々と食事を続ける。
「……内海の奴……何やってんのかな……」
美人の恋人はこうしたイベントものにとんと疎い。というより、そうした世俗の垢にまみれたところからは遠いところにいると言えばいいのだろうか。今夜の当直を告げても、きょとんとしていているだけだった。
『ああ……そうか。クリスマスか……。道理で、樹がプレゼントがどうのこうの言っていたわけだ』
こんなつれない恋人に、サプライズ・プレゼントなど期待しても仕方がない。吉永はがっくりとうなだれて、薄ら寒いカンファレンス室で、ぼんやりしているのである。
内科医の内海尚之は、吉永の数年来の恋人だ。玲瓏な美貌は年と共にますます冴えて、今年赴任してきた研修医や看護婦たちの度肝を抜いたらしい。今年、嫌々ながら内科の医長になってしまい、新入職員の研修にもつき合う機会が増えたためだ。
『この顔のどこが珍しいんだ。人並み以下だとは言わないが、どこにでもある顔だぞ』
”わかってねぇのはあんただけだよ……”
相変わらず自分の魅力に無頓着な内海は、降り注がれる憧れや畏怖の視線を素っ気ない態度で振り払いつつ、日々淡々と過ごしている。
「あーあ……」
吉永がため息をつきつつ、大きく伸びをしたときだった。カンファレンス室に引かれている電話が無粋な音を響かせる。
「はいはいはい」
手を伸ばして受話器を取る。
「はい、吉永……はいよ、今行く」
救急室からの呼び出しに、彼は白衣を掴んで立ち上がった。
クリスマス・イヴの来客は、カップルとカップルになれなかった男性グループとの交通事故だった。総勢六名の患者とその壮絶な言い争いに、吉永はぐったり疲れて、カンファレンス室に戻ってきた。
「……何がクリスマスを台無しにされただよ……俺の方がよっぽど台無しだ……っ」
時計はすでに零時を回っている。三時間以上も不毛な言い争いにつき合っていたことになる。
「疲れた……」
そして、くたりとテーブルに俯せると、五秒も経たないうちに安らかな寝息を立て始めたのだった。
『こんなところでうたた寝したら、風邪をひくぞ』
夢の中の声は、いつも通り柔らかく掠れていた。
『まったく……いくら丈夫でも、君くらい働いていれば、疲れることもあるんだぞ……』
ひんやりと冷たい手が、そうっと硬い髪の中に滑り込み、ゆっくりとかき撫でる。
”夢のくせに……いい匂いまでするよ……”
微かなグリーンの香りが、眠る吉永を包み込んでいる。いつも恋人が香らせている、爽やかで優しい香り。
『クリスマス・イヴか……ああ、もう日付が変わったから、クリスマスだな』
半袖の術衣からむき出しの腕に触れるのは、しなやかなカシミア。内海のコートと同じ手触りだ。
『……不思議だな。昨日も今日も、普段と変わらない一日のはずなのに、何だかひとりでいると損をしたような気になる……』
そして、くすりと……珍しくも、夢の彼が笑う。そっと開けた片目にぼんやりと映るのは、ふわふわと幻のようににじむ白いコート。背中に羽がないのが不思議なほの白い美貌。
『まったく……僕もずいぶん君に毒されたものだな……』
”そんなの俺だって同じだ。ずっと……ずっと内海尚之っていう極上の毒におかされ続けてる……”
『……今日はクリスマスだ。当直もかかっていないから……ゆっくり過ごせそうだな』
”そうだよな……何だかイヴの方が盛り上がってるけど、本当のクリスマスは……今日だよな……”
本来なら、家族で静かに過ごすのが、クリスマスのあり方なのだという。共に手を取って、血の繋がった家族よりも長い時間を過ごそうと決めているふたりは、もしかしたら、すでに恋人というよりも家族に近い関係なのかもしれない。
”ああ……そうだ……クリスマスは一緒に……”
『だから、風邪なんかひくなよ。あのインフルエンザのときのような……看病はごめんだぞ』
無粋なことを言って、夢のひとは笑う。さらりと離れていく優しい手。
『……おやすみ。静かな夜を』
”ああ……あんたも……”
ふわりとグリーンの香りが降りてくる。そして、こめかみのあたりに暖かな唇。
小さなキスを落として、夢のひとは静かに吉永の元から去っていった。
ふと、肌寒さに目が覚めた。吉永はぶるりと身体を震わせて、顔を上げる。
「ああ……」
見上げた窓の外に、ちらちらと白いものが舞い始めていた。東京に降る今年初めての雪。思わず立ち上がる。
「あ……」
かたりと手に触れたのは、小さな銀のボトルだった。確か……吉永の自宅のキッチンに置いてあったはずの小さな魔法瓶。思わず蓋を開け、中身を注ぐと……温かなミルクと紅茶の香り。
「ロイヤルミルクティーだ……」
手に温かいカップを持って、吉永はそっと窓際に近づく。
雪……雪……雪。ふわふわと、ひらひらと舞う白い雪。空いっぱいに舞う白い天使の羽。
May your days be merry and bright.And may all Christmases be white.
あなたにMerry Christmas.
本当のクリスマスは……これからだから。