美大生はガラパゴス諸島の動物と一緒?

ウミイグアナとかガラパゴスオオゾウガメなどに代表されるガラパゴスの動物たちは

その島の気候や植生などに合わせ独自の習性や造形を持っているものが多い。

僕の通う美大の教授が「この美大の生徒はガラパゴス諸島の動物みたいだよね、立地も森の中の辺鄙なところにあるし。」

といった。

いわゆる美大生的に言う『一般人』は美大生のことを「変わってる」「変人だよね」などと言うことがしばしば。

彼らの言う変わってるってなんだろう?

人とは違う特技絵が描ける。不思議な世界観がある(アニメ。ファンタジー)。

身につけているものの個性。髪色。喋るのが苦手で人間関係に馴染めない。自分が全体に対してマイノリティーだという

自覚に対する批判的な気持ちの現われ(妬み)。美大に通える=ある程度家庭に経済的余裕があることへの妬み。

絵を描くことを学ぶ=自分の好きなことを学ぶことができる=楽しい。(学部をやりたいことが特に見つからずに選んでしまい

退屈な授業等に対する不満や後悔からくる妬み。)

等々が挙げられると思う。

前半部分は見た目などから判断できる周りとの異質感からくるもの。(そのイメージは映画やドラマの影響に大きく起因することもしばしば。)

後半部分は美大生の世間的なイメージから自分と対象させた時に出てくる妬みなどの感情によるもの。

どうしても出てくるものがネガティブになりがちだが僕の体験からいうとこれらの発想をする人以外にも、

手に職をつけた素晴らしい人材。面白い趣味(骨格標本制作・アメ車・爬虫類好き)があるので興味を持ってもらえる。

自分にはできない生き方をしているということで尊敬してくれる人。などポジティブに変わってるという言葉を使ってくれる人もいる。

冒頭で言ったガラパゴスの動物は環境に合わせ独自の進化をした動物たちのことをいったが、ダーウィンはその動物たちから進化論を導き出して発表。

最初は批判こそされたがのちになくてはならない根本的な理論になる。

僕が思うにというか、まだ浅い経験から感じたのは世間的マイノリティに属している美大生は独自の技術や感性をその閉ざされた大学(他の大学とは違い作品とゴミが混在するような環境)

で培うことができる。それは狭い視野で見てしまっている状況ではお金が稼げない、やコミュニティには入れない(社会不適合)など世間的マイノリティの意見に侵されてネガティブになってしまう

人も多いと思う。

だが、もっと広いとこに出てみるとそう言った技術とを尊敬してくれる人や、生態を面白がって可愛がってくれたりする人が現れる。

美大生だからこそ見える世界があるし、美術に触れてこなかった人に見せられる世界ある。

そのためには大学にこもって制作に没頭するのもいいけど、美術の世界(ガラパゴス)とはかけ離れたところ(大陸)に行って自分のスキルを面白がってくれる人に出会い、

作品や活動によってコミュニケーションをとって行くと、自分の美術の人間としての厚みも出てくるだろうと思っている。

とりあえずこの記録が啓発的な何かか自伝的な何かはわからないけれども今自分の思っていることの記録である。

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