法学の一から十まで
リーガルマインド=「勘」
現在30代半ばの私が小学生だった頃,少年野球のコーチの主な教えは「ゴロは体で止めろ」であった。
打球の速さに怯み顔を背けようものなら,「逃げるな」とビール片手のコーチからどやされた。ビンタやケツバットが生きていた時代の話だ(今はどうだか知らないが,いまだに少年野球に対しては愛憎入り交じった感情を抱いている)。
今では,You Tubeを見れば井端がゴロの捌き方を一から教えてくれる。井端の言うとおりに試してみると,打球に怯えた毎日は何だったのかと思うくらいにきれいに捕球できる(気がする)。
私が早稲田大学のロースクールに通っていた頃,授業中に発言を求められたものの,回答に詰まってしまった学生に対し,
「リーガルマインドで答えてください」
という教授がいた。
それでも学生が答えられずにいると,ある日,その教授はこう続けた。
「リーガルマインドとは何か。それは勘のことです」
つまづきの原因
法律を学び始めた大学一年生が躓くのは,おそらく,法律家にとっての当然の前提である「勘」が共有されていないからだ。
そして,この「勘」については,誰も説明してくれない(もしくは説明されていても聞き流してしまう)からだ。
私も含め,過去の多くの司法試験受験生は,千本ノックを受けるようにこの「勘」を叩き込んでいったが,根性論はきょうび流行らない。
井端とまではいかないが,法学初学者ヒントになればと思い,この文章を示す。
初学者へのヒントであると同時に,法学部・法科大学院で学ぶべきことのすべてではないかと思っている。
「勘」とは
法律家の「勘」というのを,私なりの理解でもう少し具体的に説明すると,
・法的三段論法を用いて結論を導く
・導くことが可能な結論が複数ある場合,そのうち正義に適うものを選択する
という一連の動作をまとめたものである。
法的三段論法
「なんやかんやでソクラテスはいずれ死ぬ」というのが,よく知られた三段論法だ。
法的三段論法という場合,
①大前提(法規) 人を殺したら死刑or無期or5年以上の懲役
②小前提(事実) AはBを包丁で刺して殺した
③結論 Aは死刑or無期or5年以上の懲役
という手順を踏んで結論を導くことになる。
①大前提(法規)
法学部・法科大学院での学習は,このうち①大前提(法規)を学ぶことに大半の時間を費やすことになる。
法律の文言そのままが法規であることもあるが,抽象的であったり,幾通りにも解釈可能な文言が用いられていた場合には,法律を解釈したものが法規となる。
例えば,傷害罪は「人の身体を傷害した者は~」と書いてあるが,「傷害」という言葉の解釈によって,突然人の髪を切った場合に傷害罪が成立するのかどうかの結論が変わってくる。
民法・刑法等の基本的な法律には,判例や学説によって解釈が積み重ねられており,とりあえずひたすらにその判例・学説の知識を獲得していく。
そうしている間に,なんとなく法解釈の作法が身について行くので,初見の法律なり論点であっても,適当に一応の解釈ができるようになる。これができるようになれば,司法試験に合格することができる。
②小前提(事実)
法学部・法科大学院では,②小前提(事実)は所与のものとされ,これが問題になることは無い。しかし,実務家になってからは,これと大いに格闘しなければならない。
最近では,ドライブレコーダーを装着した車が増えているが,右目に大容量記録媒体付きのカメラを埋め込んでいる人は私の周りにはいない。
そのため,どんな事実があったのか,ということを証拠から認定しなければならない。
証拠は,契約書のような紙に書かれたものであったり,人の証言であったりする。人の証言はあまりあてにならない(皆,自分に都合のいいことを言う)ので,やはり客観的なものに重きが置かれる。ただ,何から何まで客観的なものが残っているわけではないので,「口約束で100万円を貸したのに借りてないと言い張られ,貸付けの立証ができなかった」などということが起こる。
客観的な証拠が無く苦境に立たされた人は「客観的なものが無ければ事実が認められないなんて法律には血も涙もない」という。
しかし,法律(裁判)に無いのは血や涙ではなく,タイムマシンによる事実認定である。
昨今,テレビ番組等で弁護士がコメンテーターを務めることが増えている。
法律家としての良心が残っている者は,自らの意見を述べる前に「〇〇という事実を前提とすれば~」と断りを入れているように思う。
経験上,「事実」の認定がいかに難しいかを知っているからである。
③結論
法律を解釈した法規に,証拠から認定した事実をぶち込めば,結論を導くことができる。
が,裁判官が本当に①から③の手順を踏んでいるかは怪しいところである。
先に,妥当な(正義に適う)結論を決め,それに向かうように①と②を整えているような話も聞く。
弁護士にとっては,原則として結論とは依頼者の望む結論である。それに沿うように,①と②を整えることになる。
最後に
繰り返しになるが,これが大学・大学院の6年間をかけて学ぶことのすべてだ(と思っている)。
6年もかけてこれだけかという気もするが,一応法律家として飯は食えるようになる。
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