ゲームにおける"パクリ/オマージュ/リスペクト"の差はどこにある?

なんだか界隈が盛り上がっているようなので表題の通りの話を考えてみる良い機会かなと思った。

大前提として「それを決めるのは当事者達と裁判だけ」であるということ。
これを履き違えるととても面倒なことになる。
この面倒な部分を避けて理詰めをしてみよう、というのが主題である。

まずどうして面倒なのかを簡単に言えば「それって君がそう思ってるだけだよね」という話にしかならないこと。
数字で証明されるものでないなら意見が別れたらどうしようもない。
という訳である程度の定量的な考え方で線を引けないだろうか?という事をまとめていきます、自分が納得するために。
私の考えは私の考えなので誰かを否定したりはしません、逆に否定されても知らねぇわって感じ。

それでは最初のお話、線引きをするためにまずゲームの作りを2つに分解。
View(アートデザイン, 演出)
System(ゲームシステム, UIコンポーネント)

ざっくり言えばViewとはどんな見た目になっているかの話。
Systemはどんなシステム(体験)になっているかの話。
更に言うとSystemはもう少し体系化するけどそれはまた後で。

Viewについてのあれこれ

1: 見た目が良く似ている
これは要するに世界観と色合いの問題。アートデザインの領分(とプログラムの描画によるもの)です。
これに関しては今だと一番わかり易いたとえ話はなろう系という言葉で集約されるなろう系中世風ヨーロッパ(通称ナーロッパ)のようなもので、言ってしまえばよくある世界でしかない。
ハイラル世界がなろう系という話ではないよ、念の為。
要するにファンタジー世界を作って、そこに石造りの街や魔法的な概念の何かを入れた場合には「こうなるよな」って範囲だということ。
作品によっては"空中に浮かぶ謎の石"とか追加されたりするけど、それでも「まぁ大体こんな感じになるんじゃないかな」って範囲。
ただそこにトゥーンレンダリングを採用したことで色合いがアニメ調になり既視感がある世界になってしまったという話。
2: 初期のMob(敵)キャラが似ている
正直これもまぁしょうがないんじゃない?って範囲。
序盤でゴブリンとかコボルトとかスライムって定番だし。
デザインが似てるんだって言われてもスライム系生物は似ざるを得ないし、ゴブリンとかコボルトなんて大量の作品に出演してるだろうけど大体が手足があって二足歩行する棍棒とかナイフ持ってる裸族になる。
独自性を出した方が良かったとは思うけどそこまでの必要性も感じない。
3: ありとあらゆるシステム的な部分が似ている
細かくは後でSystem側で扱うとして、これに関してはいくつか問題がある。
Viewの担当はどう見せるか、どう魅せていくかの要素。
雑に言えばこだわりがあるタイトルほど理由がなければならない要素。
例えば壁走り出来るゲームなんかは壁を走れる理由があって、その理由に合わせて壁を走らせるようにデザインされる。もっと言えば設定に対する必要性に応じてアクションが可能になる。
(これはアクションのために生えた設定も含まれる)
件のタイトルに関して言うとクライムとか滑空とか料理とか「そのデザインである必要性がどこに?」の一言。感銘を受けたお手本があったとして、そのまま取り込んでしまうのはセンス以前の話だろう。

Viewに必要なものとは?

簡単に言えば個性。
敵を殴って倒すゲームだとしてどうやって殴り倒すかで差別化する。
要するにどんなビジュアルで魅せるのかという話になる。
その点において件のタイトルはあらゆる伸びしろを放棄をしたと思う。
制作チームはお手本となったタイトルに感銘を受けたという話があったが、だからこそ同じになるのは「辞めたらこの仕事?」と言いたくなる。
クリエイティブな仕事において模倣とは学びであり、結果であってはならないはず。もちろん全てのクリエイターが違う魅せ方の商品が作れるわけではない。(ガラスで普通のコップ作ってる人はどうやってもコップになるし)
だからこそ伸びしろがあるものを伸ばさなかったのは失策だろう。

Systemって?

Systemとは表現可能な世界の範囲のことである。
例えば2D世界なら2Dの表現しか出来ず、3Dなら3Dの世界となる。実際には疑似3Dが入ったり2D/3D混合だったりするわけだが、プログラムで書かれた以上のことは出来ないのがお約束になる。
3Dアクションゲームで「なんでこれジャンプ出来ないんだ」と思ったことはないだろうか。あるよな。あるに決まってる。私はある。
そういった仕様の範囲でできることを決めるのがSystemになる。
もっとよく聞く言葉に言い換えればこれを仕様と呼ぶ。

Systemについてのあれこれ

1: ありとあらゆる似てる部分について
Viewでも少し触れたがこちらではSystemの角度から見ることになる。
HPがあり、スタミナがあり、スタミナを消費して各種行動を行う。
これは3Dのゲームに(または2Dのゲームにも)よく見られる仕様だ。
そこに壁を登れる要素をつけたり、滑空する手段を設けたりなども(全てを取り揃えたものがあるかは別として)よく見られる仕様だ。
なんならインターネット老人会の皆様なら羽で滑空とかタワーオブアイオン思い出すでしょ。
何が出来るかを取捨選択した結果がSystem(仕様)であり、それをどう魅せるかがViewとなる。
この区分けで見た場合のSystem的な問題はただ一つで、殆ど全ての仕様を被せてしまったことだ。ここはゲームデザインの話になる。
キビキビ動くスピードアクション寄りの操作性をしているので戦闘はかなり別物だ。そもそもマルチも前提に入っているし、操作端末にスマートフォンも含まれている。
にも関わらず戦闘外の部分がフォロータイトルと同様になっているのはミスマッチだ。芦名の狼がゆっくりと壁をよじよじ登っていては様にならない。
結果として得られるものが同じだとしても壁を軽快に蹴り上がったり、飛行そのものであったりとViewと組み合わせてより世界にマッチする仕様があっただろうにと思わざるを得ない。
2: 戦闘システムは基本的に独自
だったら他のも含めて独自にしろよ!(完)
本当にこれで(完)としたくなるほどに戦闘は良い意味で独自性が出ている。
既存の自社タイトルから流用した属性システムらしいが、スマホでのプレイが可能という視点から見ても十分に独自性があると言えるだろう。

Systemに必要なものとは?

独自性というのはViewに依存するため、最終的に噛み合って面白いことが求められる。
実際のところ他にはない要素を入れなきゃいけないとかそういう話はない。
そもそもシステムは新しい何かを生み出すのが難しい。現実的に可能な要素を再現しようとするほど無理が生まれる。
焚き火に着火する際に、マッチを使うのか、ライターを使うのか、木を擦り合わせるのか。それとも魔法で燃やすのか。
Systemは仕様として面白い事を選び出すだけでいい。あとはViewがなんとでもしてくれる。

で、結局パクリとかの境界はどう決めるのか

まず繰り返しになるがこれは私の考えで他人を否定する気はない。
前述したViewとSystemの分類からすると、Systemが作品の骨となりViewが肉となり皮となっている。そしてSystemの要素は抽象的でありどのような形で達成されるかはViewに依存している。
見た目はジェリービーンズに手足が生えたようなカワイイ何かだったとしても、実は身長183cmで気持ち悪い骨格をしている可能性はあるのだ。

というところで少し話が逸れるがApexLegensはOverWatchのパクリだろうか?
ガンヴォルトはロックマンのパクリだろうか?
何言ってんだコイツと思われるかもしれないが、Systemの要素を形にするのがViewであるとするならば、大半の要素が同じ作品でもViewの作り方次第で別のゲームとなるのではないだろうか。
例えば横スクロールアクションで、敵に触れるとダメージを受けるか死亡し、敵を踏むと倒せるゲームがあったとしてそれをマリオのパクりと言うだろうか?
「マリオ(風)だね」と言うことはあっても「マリオのパクリ」とは言わないのではないかと思う。
理由は単純でそうするしかないからだ。

シューティングゲームには「弾を撃つ」「自機を動かす」しか要素が存在しない。(ボムは弾に含まれるものとする)
格闘ゲームには「攻撃する」「移動する」「防御する」しか存在しない。
もちろんここに要素を加えることで独自性を出していくわけだが、ゲームの種別ごとに決まった要素は必ず存在する。
その範囲で作られたものはほぼ同じ要素を持っているため、それだけでただのパクりとして扱われることは恐らく少ない。あるとしたら独自性の部分を全部コピーした場合だろう。
こういった要素の話をするのならばそのジャンルを定義した作品こそ、ジャンル全てのパクリ元となるがそんな不毛な話は誰もしないはずだ。

そう考えるとパクリと呼ばれるのはSystemではなくViewの要素となる。
というわけでここまでが前振りとなる。
理論で説明できないかと説明的に書いていたのでフリがとても長くなった。読んでいる人がいれば大変申し訳無い。

Viewでパクリになるラインはどこから?

結論から言ってしまうとアクセサリを超えたその瞬間からだ。
その人を彩る一部である分には構わないが、その人の血肉となってはいけない。
ある一瞬のポーズだけコピーするのは許されるだろう。けれどその前から遡って一挙手一投足をコピーした場合どうなるか。誰かのモノマネをするのと「これは自分だ」と言って取り込むのでは話が違う。
付け外し可能なアクセサリで収まるか、自身の一部にしてしまうか。
もちろんこのアクセサリの解釈は人によって変わるだろう。あくまで私の感覚での話だ。

ちなみに自分の一部として取り込んだ上で、違う独自の要素があるからパクりではない、という話にはならない。
面白い部分もあるけどクソゲーという評価が成り立つのと同じ。
全肯定ではなく、全否定でもなく。
一つ一つの要素を冷静に見なければならない。

ところでオマージュとリスペクトの違いって

作った人の気持ち一つ。
オマージュならモチーフにしました、真似しましたでいい。
リスペクトと言うなら敬意を払い、それが第三者からも伝わるように丁寧に扱え。

最後に

感覚的な部分の論理化というのは難しい。
自分にしか理解できないものや他人とは相容れないものがあるはずだから。
だからこそ他人の意見を尊重し、必要以上に騒ぎ立てないようにしたいものだ。
意訳: 個人の感想です、感じ方には個人差があります。

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