毎年100公演あれば良い?
今日の仕事でも言われたんですよ。
「音楽だけで食べてるってすごいですね!!」
そういう時、その場では言えないですけど多くの演奏家はこう考えるんです。
「同じような依頼が年間100〜150公演あれば全然問題ないですよ!」
元プロオケ奏者として、そこで「ん?」と考えるんですよ。
同じような公演を年間100公演するって、どういうことなんだろうって。
まずそれを事務的にやり取りするのはかなり大変なので、どこかにお願いすることになる。そして、事務所から仲介的に仕事を依頼されこなすことになる。そして
代わり映えしないプログラム。
3日に1回遠出。
あれ?
それってプロオケ時代の仕事の仕方と同じじゃない?
違うのは、「個人として必要とされる」ところなんですが、それ以外は同じです。そもそもプロオケを辞めた理由は色々あるのですが、その大きな要因が慢性化と人間関係と低賃金。
年間100公演をこなす代償
オケをやっていれば当たり前なのですが、多くの公演をこなす最大の問題は奏者のスケジュール確保。50人以上の演奏家を安定的に確保する難易度は、野党側もそれ相応の代償が必要です。
イベント演奏もしっかり謝礼をいただいているのですが、「年間100公演する代わりに、その日程(リハーサルも含む)はすべて確保し、休みは基本認めない」
これはプロオケと基本同じ拘束力になります。
プロオケはそのかわりにブレない固定給と社会保障を売りにするのですが、結局は個人契約でその仕事をする場合、その保証は何処までいっても確保できません。
つまり、100公演をこなすことでそれに必要なスケジュールをこなすと他の仕事ができず、子育ても出来ず、もし首を切られたら、極端に収入が減ってしまうリスクがあるのです。
あーなるほどな
そう。「似たようなコンサートがたくさんあれば幸せなのかな?」と思ったんですが、どうやら僕らレベルの知名度や収入ではそれは相当大変な割にはプロオケのときと変わらない心の変化になっていく可能性が高く、望ましい状態とは言えない。
今みたいにレッスンしたり、音楽制作したり、企業と色んな仕事をこなしながら、相互に情報を利用し高め変化させていくから飽きないのかなあと思ったり。
有名なアーティストたちがどういう心境で音楽の仕事をしているか知る由もないですが、根底は基本的に人間たる心の持ちようであるんじゃないかなって斜めから見てます。
今後、僕自身がどういう心の変化をしていくかわからないですが、「同じ」であることはないだろうなって思います。
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