英文仏教書講読 The Art of Solitude(第1回~5回:序章)
「松籟学舎一照塾提供の英語仏教書講読会 スティーブン・バチェラー著The Art of Solitude」です。渡部るり子さんによる翻訳文もあわせて公開しますので、ページをスクロールして、動画と合わせてご視聴なさってください。
①著作権の観点から、原文は配布せず、画面上でお見せするだけにします。読みたい方はアマゾンなどで原書を入手してください。
②渡部るり子さんによる日本語の下訳は、このページにコピペしてシェアします。
序章(1~5回)の訳文は以下の通りです。
スティーブン・バチェラー
『一人でいるという技芸-この世界に他者と共に一人でいることについての省察-』
自分自身の中で静養しなさい。ただし、まずは自分を受け止める準備ができていないといけない。もし自分自身をどのように処すべきかを知らなければ、自分自身に身を委ねるというのは狂気の沙汰であろう。孤独の中で失敗する方法も常にあり、社会の中にいるのと同じである。
ミシェル・ド・モンテーニュ
虚しさや悲しみを感じてソファーに横になると、内なる瞳には、孤独という至福が瞬くのが見える
そしてこころに喜びが満ちる
そして水仙と踊る
ウィリアム・ワーズワース
序
孤独とはきまった形をもたない流動的な概念であり、寂しさの深みから、聖人が経験した神秘的な携挙といわれる歓びの極みまでを指すことがある。ヴィクトル・ユゴーは、「サタンの終わり」の中で、「孤独という一語に、地獄のすべてが含まれている」と述べている。彼は後年、「孤独は偉大なる頭脳には善であるが、小さな頭脳には悪である。ひらめきのない脳にはやっかいだから」と認めている。しかしながらユゴーは同時代のやや年上のイギリス人であったウィリアム・ワーズワースの域まで達することはできなかった。ワーズワースにとって、孤独は至福であり、心を喜びで満たすものであったからである。私は、地獄や至福といった両極を主に避けて、中間にあるような孤独を参究したい。私にとっての孤独とは、自律、驚き、黙想、想像、ひらめき、そしてケアができる状態であると考えている。
私は、孤独を独立した心理学的な状態として分析するというよりも、孤独を実践すること、あるいは一つの生き方として-すなわちブッダやモンテーニュが理解したように-取り扱いたい。孤独には、隔離や阻害という暗く、悲劇的な面がある。こういった面は、私たちが死を免れることができないということに既に織り込まれており、僧院の個室、芸術家のアトリエ、あるいは困難な結婚といったおかれた場に関わらず、一人になることに等しくまつわることである。孤独とは、愛のように、非常に複雑でありながらも原初的な人間の営みの一つの次元であり、単一の定義では決してとらえられないものである。私は孤独を「説明する」つもりはない。私はその広さと深さとを、実践している人々のストーリーから語りたいと思っている。
本書では、私自身の40年間にわたる孤独の実践を支えてきたものが何なのかを、多面的かつ並列的に参究する。日常から離れた場所で時を過ごし、芸術を鑑賞し、創造し、瞑想を実践し、リトリートに参加し、ペヨーテやアヤワスカを飲み、自らを鍛えることによって、オープンで問い続ける心を持ち続けてきたことが、一人でいること、自分に安らぐことができる能力につながったと考えている。
2013年、私は六十歳を迎えた。瞑想と哲学を教える仕事からの休職期間を得て、一年のほとんどの時間を、旅、学び、コラージュ作りに費やした。1月には、インド・ムンバイからボパールにバスで旅行し、岩を切り出して作った古代寺院を訪問した。3月には、アメリカ・マサチューセッツ州にあるバーレ・センター・フォー・ブディスト・スタディーズに赴き、立ち上がりつつあるセキュラーな仏教(Secular Buddhism)に関する学術討論会(コロキアム)に参加した。10月には、私の禅の師匠であるクサン・スニム(Kusan Sunim)老師の没後30年にあたり、韓国への巡礼の旅に出た。そして11月には、メキシコに飛び、ウイチョル族のシャーマンであるドン・トーニョ(Don Toño)の伝統的な薬物を用いた儀式に参加した。
バーレコロキアムでは、仏法(以下、法)の師であり学者であるジル・フロンスダール(Gil Fronsdal)がパーリ語で『スッタニパータ』第4章八つの章(Aṭṭhakavagga、アッタカヴァッガ)」と呼ばれる初期仏教の経典についての研究を発表していた。その直截さと、単純さと、厳粛さで、209の節(verse)から成る「八つの章」は、ブッダが信者のコミュニティを作るずっと以前、「サイのように一人で放浪していた」時期のブッダの言葉を集めている。仏教の専門用語をできるだけ避けながら、すべての偈が、意見や教義に偏ることから解放された生き方を推奨している。
「八つの章」は私に深い印象を与えた。文字の始まりに近い時期の8つの節からなる4つの詩は、最も早い時期のブッダの教えの記録ではないかという可能性に強く惹かれ、英語に翻訳することにした。リズムやメタファーに触発され、仏典というよりもむしろ詩として扱った。私は自分が英語に翻訳した八つ章のタイトルをフォー・エイツ(Four Eights)とした。
フォー・エイツは、孤独とは何かという問いそのものから始まる:
独房に押し込められた生き物―
陰のある熱意に溺れる男は
孤独という状態からは遙か遙かに遠くにいる
フォー・エイツ(八つの章) 1:1より
パーリ語のグハ(guhā)は、洞窟もしくは隠れる場所と訳してもよかったが、私は「独房」と訳した。グハとは、秘密という意味を持つギヒャ(guyha)という言葉にも繋がっている。私たちは暗く静かな洞窟の中に隠れ、安心することもできる。同じように、守られていると思えるような自分の中の親密さをもった場所に隠れ、一人、邪魔されることもなく、秘密の生活を追求することもできる。
14世紀の学者であり聖人でもあるシエナのカタリナは(Catherine of Siena)、友人であるモナ・アレッサ・デイ・サラチーニ(Monna Alessa dei Saracini)に宛てて、このように書いた:
愛しい娘よ、汝のために二つの家をもうけなさい
一つは、実際の家で、汝の部屋があり、修道院に従うため、あるいは慈善活動のために必要な時を除いては、色々なところに行かずにすむために
そしてもう一つは、魂の家で、汝とともに常にあり-真実の汝自身の知識の小部屋であり、神の善き知識の中に自らを見いだせるように
「独房に押し込められた生き物」というのは、必ずしも修道院で黙想する修道女である必要はない。賑やかで音の溢れる街にいても、周囲から孤立し、寂しさを感じている人々にも当てはまる。その独りぼっちでいる人々は、個人的な不安に苛まれていても、またそのことに麻痺していても、フォー・エイツの著者にとっては、「孤独からは遙か遙かに遠くにいる」のである。
孤独にはただ一人でいるということ以上のことがある。真の孤独とは、自ら耕さなければならないあり方である。スイッチのようにオンとオフができるものではない。孤独とは技芸である。洗練させ、落ち着かせるためには、メンタルトレーニングが必要である。孤独を実践する時には、魂をケアすることにすべてを捧げるのである。
世俗的なヒューマニズムを志向して宗教を否定する人には、孤独という概念は、耽溺、自己陶酔、独我論(ソリプシズム)を示唆するかもしれない。確かに、責任やしがらみから逃れるための方法として、やむなく孤独に引き寄せられる人もいる。しかしながら、多くの人は、効果的かつ創造的に世の中と関わるために、孤独によって、必要となる内なる穏やかさや自律性をはぐくむための時間と空間を享受するのである。芸術作品を前にした時、あるいは呼吸を観察している時に関わらず、静かに観る(contemplation)ひとときによって、自分の人生とは何であるのかということを再考する、あるいは自分にとって最も重要なことが何かを振り返ることができるのである。孤独とは、余裕を持て余している限られた人のための贅沢ではないのである。人間であるということの避けることのできない一つの次元なのである。敬虔な信者であるのか、全くの無神論者であるかに関わらず、実存に関する同じ問いに一人向き合い、参究するのである。
本書では、私がシャーマンによる儀式において幻覚剤を摂取したことを記載しているが、私がそういった使用を無条件に支持しているとは捉えないでいただきたい。私は、あくまで自分の個人的、文化的な歴史に根ざした旅について書いているのである。読者の中には、こういったことに関係がある方がいるかもしれないし、ない方もいるかもしれない。それ以上に、多くの仏教者にとっては、ペヨーテ*やアヤワスカ*を摂取することが、酩酊してはならないという倫理的な戒律に反することであり、結果として法の実践にそぐわないと捉えるかもしれない。それでもなお、私が「一人でいるという技芸」を書く主要な動機は、非常に多くの医薬品が使われる社会において、常に議論をよぶ課題である薬物使用を語ることについて、より建設的な方法を見いだしたいと考えてきたからである。現在の米国におけるオピオイドの蔓延が示すように、非宗教団体、宗教団体のいずれもが、この危機に対応するために、賢く、かつ思いやりのある方法を見つけることに非常に苦労している。人間の認知、感覚や行動を変容する物質をどのように使うべきかについて、耽溺(悪)と禁欲(善)という二元的な対立へ対応するのではなく、私たちはより多くの知識を持ち、その微妙なニュアンスを理解する必要がある。孤独を実践する枠組みの中に幻覚剤の使用を位置づけることによって、瞑想、セラピー、哲学、宗教、芸術を含む、幅広い文化的な言説(discourse)に統合することを探りたい。
本書は、私の放浪、探検、研究の産物でありながらも、その構成は、20年間続けてきた、見つけてきたものから作るコラージュにもよっている。どこに行っても、捨てられている紙・布・プラスチックを集め、厚紙に貼り付けておき、後で切り取り、長方形のモザイクにした。このプロセスによって、事前に考えていたルールに則って、無作為なごみの破片は芸術作品に変容し、コラージュにはいずれも偶然と規律が混在することになったのである。「一人でいるという技芸」も、同じような方法によって育まれ、制作された。執筆しながら、フォー・エイツの厳格な構造と、モンテーニュの随想録の混沌とした構成の両方を念頭においていたことで、双方に触発された本書の構成ができあがった。
モンテーニュは、絵画には、「時に作品そのものが画家の手から解放され、その人のアイディアや理解を凌駕し、その人自身を驚かせたり深く感嘆させたりすることがある」と観察している。そのような作品の優雅さ、美しさは、「画家自身の意図がないだけではなく、彼自身の知識がないこと」によって作られるのである。同様に、「優れた読み手は、著者本人も意図していない、あるいは気がついていないような珠玉の記述を発見することがあり、その文章により豊かな意味と特徴とを与えることがある」としている。本書をコラージュとして構成するにあたって、著者として構成をコントロールすることを減らすことに努め、テキストがテキスト自身の声を見つけられるよう、テキストの自由に任せた。
私のコラージュは、組み合わせること、違いを際立たせることの練習であった。このプロセスが発展するにつれて、私は違う物事がいかに一つになるのかという問いに夢中になった。私のコラージュの原則の一つは、それぞれが違っているということである。これは、同じ事象からとったどの二つの部分もお互いに隣り合わないので、結果として、コラージュのそれぞれの部分が、周りの部分から最大限に違いが際立つように担保されている。このことによって、すべての部分が必要不可欠な構成要素でありながらも、全体の中では、それぞれの部分が「孤独」の中に鮮やかに際立つことが可能となる。私は本書にもこの原則を適用した。32個の章はいずれも、前後と同じテーマを扱ってはいない。さらに、章の順番は、一部はランダムに選んでいるので、ある章を書いている時に、最終的にどの章が前後になるのかわからなかった。このため、それぞれの章を独立した部分として書かなければいけなかった。継続する章の間には、論理性や物語の継続性がないために、本書の異なるテーマやトピックは、驚きと光を放つようにお互いにぶつかり合っている。
このプロジェクトは、私を作家という原点に立ち返らせてくれた。私の最初の本である「他者と共に一人であること:仏教への実在的なアプローチ(Alone with Others: An Existential Approach to Buddhism)」は、1983年に出版されている。当時書いたように、「私たちは常に、孤独であることは避けがたく、また同時に、誰かと共にあることも避けがたい」というパラドックスに強く惹かれていた。同じように、今になると、美的な緊張感がコラージュ作品にも生命を与えていることがわかる。西洋的な現象学と実存主義を引きながら、「他者と共に一人であること」では、仏教的な人間の充足の理解(「悟り」awakening)とは、智慧(wisdom、一人であること)と慈悲(compassion、他者と共にあること)の統合であることを示した。私の孤独への興味は、人間の存在というこの基本的なパラドックスを理解したいという同じ欲求に、いまだに突き動かされている。
本書は、私自身の内面における仏教との苦闘が ―時に明確に、時に暗黙のうちに― 語られており、私が仏教の伝統から原点やテーマを得て常に助けとしているものの、私は「一人でいるという技芸」を仏教書とは考えていない。私は孤独について、仏教的な解釈を示すことには興味がないのである。私は、読者であるあなたと、ある孤独の実践者が、様々な背景、規律、伝統から実践を深め、何を持ち帰ったのかを共有したいのである。
中国では、60歳になるということは12年間の干支の周期を5回完了したことになる。その後の1年1年は、ボーナス、あるいは贈り物と捉えられている。韓国では、60歳になると、厳格な儒教的な社会のしきたりが緩和される。山野を歩き回り、歌を歌い、焼酎を飲み、面白おかしいことをしている老人のグループに出くわすことも度々ある。本書を書き上げるために費やしたこの5年間は、自分への贈り物であったと捉えている。無為に費やしていないことを祈るのみである。
付録に、私が翻訳したフォー・エイツを載せている。原著がフランス語、パーリ語、チベット語である全ての文章は、本書のために新たに翻訳している。
スティーブン・バチェラー
フランス・アキテーヌにて
2019年6月
(コラム動画に続く)
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