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「柏崎」會報 No.12 より

◎ 菊池與志夫

 「柏崎」の集りは、和や

かな、樂しい、親しみ深い

一夜であつた。いつたい私

は、鄕土を中心とした會合

とか、縣人會とかいふもの

には、緣の遠い者である。

幼時に西國の故鄕を離れ、

遠く北海道に少年期の七年

を過し、靑壯期をずつと

東京で暮らして來た私が、

ただ昔の「越後タイムス」

に繋がる緣故と、二度ばか

り、僅か二、三日の旅人と

して柏崎の土を踏んだとい

ふだけで、鄕土色豐かな柏

崎人の會に出席するのは、

不思議な廻り合せである。

 十數年振りで會つた、藤

田美代さん、品川陽子さん

とも、昔話をする暇もなく

慌ただしく別れて了つたが

婦人といふものは、いつま

でも美しく、若わかしいも

のだと、つくづくさう思つ

た。中村葉月さんとは確か

五、六年前にお會ひした記

憶があるが、氏の風貌にも

いささかの老ひは見られず

詩人らしい稟質が、二こと

三ことの言葉のうちに、私

の心にひびいてきた。野島

壽平氏と親しく口をきいた

のは、當夜が始めてであつ

たが、その闘牛のやうな逞

しい迫力に、私はただただ

威壓をうけるのみであつた

現代の日本は、こういふ爆

風にもたとふべき、中核人

の躍動のみを期待するので

ある。前世紀の遺物に過ぎ

ぬ私は、氏の健在をひたす

ら心に念じた。

 その他いづれを見ても、

既に一家をなした一流人の

みである。かぼそき私のご

ときは、幸ひにも他鄕人で

あつたからこそ永く座に堪

へたのであらう。由來、同

鄕だとか、或は同窓だとか

いふことのみの繋がりで、

人が結び合ふ考へは、けち

な小人的性情である。然し

當夜、會合した人々のなか

には、私と同じく柏崎人で

ない人も相當にあつたやう

である。

 「柏崎」の會は、さうい

ふ他國人をも快く抱擁して

何等分け隔てがなかつたこ

とは、私の最も愉快とする

ところで、それが故に、今

後も若しこういふ機會があ

れば、私は喜んで出席しや

うと思ふ所以である。

 當夜の席話のなかでは、

平野啓司氏のお話が印象に

のこつてゐる。靜かな、落

着いた、内容の豐かなお話

で私はしみじみ拜聽した。

 さうして、石黑敬七氏は

あらゆる意味で、相變らず

興行價値百點であつた。

(昭和十七年五月九日稿)

(「柏崎」會報No.12 
  昭和十七年五月十五日發行より)


※柏崎倶楽部第一回総会は麹町新潟県人会本部にて開催された。



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ソフィアセンター 柏崎市立図書館 所蔵


2023年4月に品川力さんのご次男、品川純さん宅にお邪魔した際、発見した会報に掲載されていた写真と同じ写真。

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