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「柏崎」會報 No.2 より

★(東京)菊池與志夫

 懶さな自分の性格から、

恩人のあなたにも長いごぶ

さたを致して居りまして、

誠に申譯ないことだと思つ

て居ます。どうか惡しから

ず御許し下さい。先生御逝

去の後のあなたの超人的な

御精進には涙ぐましく敬服

して居ます。親代さん貞代

さんは定めし御成人のこと

と存じます。私宅は六十四

になる母も健在で、子供も

男一人、女三人出來ました

が、昨年の雛の節句の前夜

に五つになる女兒を一夜の

急病で失ひました。大森の

方へ御出かけの節は是非御

立寄り下さい。「柏崎」發

刊には双手を擧げて賛成で

す。第二の故鄕のやうな氣

持のする柏崎の消息が聽か

れることは大きな喜びです

七月が來ます。柏崎の砂丘

に咲く濱茄子と紺靑の海の

いろが眼に泌みて憶ひ出さ

れます。(六月三十日)

(柏崎くらぶ會報「柏崎」No.2
  昭和十六年七月十五日發行
  編輯兼發行人 藤田美代 より)

#柏崎 #越後タイムス #藤田美代 #昭和十六年

   柏 崎 く ら ぶ

一、 本會を柏崎くらぶと名づけ柏崎を愛する人達の親睦機關といたします
一、 會報「柏崎」を毎月一回十五日に發行して會員各位に無料配布いたします
一、 會費は年額貳圓五拾錢であります
一、 事務所は會報の發行所を兼ねて當分左記世話役藤田美代方に置きます
 東京市淀橋區柏木二ノ六一九 柏崎倶樂部


※會報「柏崎」は昭和16年6月の創刊号から昭和18年9月のNo.26号まで発行された。

※藤田美代
(1897年8月1日~1981年7月14日)
 医師・坂田恭順さんの娘、柏崎高女九回卒、柏崎小学校の教壇に立ったこともあった。
 洋画家藤田貞三(睡庵)氏と結婚、二人の娘さんが生まれた。昭和七年夫君が死去。
 戦前戦後三十年におよぶ東京新潟県人会事務局長、退職後十数年にわたり雑誌「とき」を発行。ふるさと柏崎の緑化、美化に大きく貢献した。




        ソフィアセンター 柏崎市立図書館 所蔵

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