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徐福墓畔の曇り日 ――南紀滞郷中の佐藤春夫氏の印象斷片  並に南紀風物散見――

    1

「これはワイヤンと言ふのですが

 臺灣だいわんの土人がつくつた玩具おもちやです

 まあ、一種の操人形なのだが」

 赤と靑との彩色のあるその奇妙

な木製人形を私にみせ乍ら、佐藤

春夫氏はふと立ちあがつて、机上

花瓶はながめから數莖のダリアを抜きと

つて二階の窓から投げ捨てた。

 そのとき私は、室生犀星氏の(陰

影)といふ作品の一節を思ひうか

べたのである。―風のやうにぼう

ぼうとした聲―さう書いてあつた

庭隅の芭蕉をわたる秋風のやうに

ぼうぼうとした聲―私はこういふ

風に感じ乍ら、春夫氏の聲音せいおんをま

づだいいちに侘しく樂しんでゐた。

    2

 窓のうへには鳥籠が二つかけて

あつた。一羽は目白で他の一羽は

うそであつた。

 人間よりも小鳥を好きだと言つ

たことのある主人は、ときどき鼻

眼鏡から潤ひのある詩人のひとみ

を鳥籠に注ぎ乍ら、いかにも樂し

さうにその鳴きを聽いてゐる。

 曇り日は小鳥の生活も至つて靜

関である。



    3

 七月なかばの曇り日の午前十一

時である。南紀半島の初夏の曇り

日は謂はば一幅の南畫であつた。

 私はその二階の窓から、近い南

紀の山々を飽かず眺めてゐた。

「昨夜は沖が荒れたことだらう。

 だいぶ海鳴りが枕にひびいたや

 うだつたから」

 さう言つて春夫氏は遠來の客で

ある私をいたはつて呉れた。

「今日明けがたに、さつとひと雨

 降つたやうだが、まだ霽れきら

 ずにくもつてゐる。朦朧として

 梅雨の氣持だ」

 またさう言ひつづけ乍ら春夫氏

はなにか詩の一節を口誦んでゐた

    4

 南紀の風景―それを知りたいと

思ふひとは、まづ蜜柑を啜り乍ら

春夫氏の殉情詩集を播きなさい。

    5

「僕は頰白を一羽欲しいと思つて

 ゐるのだが」

「私は二日ほどまへに越後の柏崎

 から一里ほど離れてゐる鯨波くじらなみ

 いふところの旗亭で、浴後の晝

 寢をしてゐたのですが、その裏

 山の高い杉の樹のてつぺんで頰

 白が鳴いてゐるのを聽いたので

 す。頰白は、一筆啓上仕候ぴつけいぜうつかまつりさうろ

 と鳴くさうですが、さう思つて

 きけばそのとほりにもきこ江ま

 すね。森閑とした林のなかでき

 くと寒いほど澄んでいいこゑで

 す」

「それに頰白は風貌も可愛いいも

 のだね。・・・・・僕はこの秋から

 また東京に棲むつもりだが、さ

 うしたら、花店と小鳥店でもや

 りたいと思つてゐる」

 佐藤春夫氏の花鳥店―なるほど

それはいい思ひつきかも知れない

併し、どうもこれや、春夫氏の一篇

の詩ではあるまいか・・・・・私はふと

さう思つて微笑を覺江乍ら、古風

和蘭陀時計オランダどけいをみつめてゐた。

    6

 私達はゆつくりと街を歩いてゐ

る。霧にけぶらつて、曇り日の午

後四時は黄昏の氣持である。「剪ら

れた花」の主人公は猫背であつた。

みると、「剪られた花」の作者も少

々猫背である。

「あなたの「少年」といふ作品を僕

 は大好きです。あのなかに雲雀

 が丘といふところが書いてあり

 ますね。それはここから見江ま

 せうか」

「雲雀が丘といふ名は小說のなか

 で僕が勝手につけたのですが、

 山蔭になつてここからはよく見

 江ない。ほら、あの山の向ふに

 その丘はあるのです。あの話と

 そつくりではないが、あれに似

 たやうなことは、昔本當にあつ

 たのです」

 春夫氏はさう言つて微笑し乍ら

山の一部を私に指さしてみせた。

 路端には朱いろの花をどつさり

とつけた樹木が多かつた。百日紅

に似てゐるが、百日紅ではない。

もつと花が大きいのである。私は

その花を知らなかつた。

「さあ、なんといふ花だつたかな」

 春夫氏はその花の名を全く知ら

ないのではない、うろ覺江でよく

思ひ出せないと言つた。

「のうぜんかつらです」

 油繪を描く私の知人のA氏がさ

う言つた。

    7

 街の或る西洋料理店の一室でA

氏と私とは、すこし早過ぎる夕食

を御馳走された。その室の硝子戶

越しに南紀の山々はなほさらに近

かつた。晴れた日であれば、海の

白帆も數へられるだらう。

 春夫氏の名篇指紋が未だ世に現

はれない頃である。春夫氏はこの

家のこの室で、指紋をA氏に口述

されたといふことである。春夫氏

の談話はどんな片々たるものでも

立派な藝術品である。先生の巧妙

なる話術のために、指紋がどんな

にA氏を魅惑したことであらうと

想像して、私は、指紋を作者自身

の言葉で聽くことのできたA氏を

ひそかに羨望したのである。

    8

 僕のこの(三つのもの)ですか。

 あれは思つたよりも長くなりさ

 うです。もつと事件の中途から

 書いてもよかつたのだが。あの

 作品は僕にとつては自分の歩る

 いてきた路をそつくり書けばい

 いのだし、恰度、よく案内を知

 つてゐる路を俥でとほるやうな

 ものです。(砧)を讃めたひとが

 あるの。ああいふ作品は書き易

 いものだ。

    9

 菊池君の聲は誰かによく似てゐ

 るが。聲の表情が似てゐるんだ。

 今はつきりと思ひだせないが、

 君の聲とそつくりなひとがゐる

 新潮社の主人にも似てゐるし、

 石井柏亭にも似たところがある

 が、もつとよく似てゐるひとが

 ある。さあ、誰だつたかな。

    10

 小川未明は小說を書くことがう

 まくなつた。それだけ純粋ない

 いところがなくなつて、このご

 ろのものは餘りよくないぢやな

 いか。品川陽子さんは詩をうま

 くつくるひとではない。併し、

 非常に素質のいいひとだから、

 これから一層いいものを書くだ

 らうと思つてゐる。幼稚なとこ

 ろがあるだけに、素直で好まし

 い、いい詩人です。

 さう言つて春夫氏は例の風のや

うな聲で、―しながは・江うこさ

ん―と二度ほど口誦んだのを私は

覺江てゐる。

    11

「これが濵木綿といふ花です。琉

 球あたりから移植した草花です

 が、今ではここにも澤山咲くの

 です。南國の花で、七月なかば

 過ぎから咲きはじめるのです。

 僕は妻の帶にこの花を描いてみ

 やうかと思つてゐます」

 A氏はこう言ひ乍ら、小學校の

植物園のなかで、濵木綿の花を私

にみせて呉れた。どこか蘭の葉に

似て白い花であつた。北國の早春

に咲く鈴蘭を大きくしたやうな花

であるが、鈴蘭ほど可憐ではない。

どことなく幽玄な氣持を覺江させ

る花である。

 濵木綿の花は、七月末頃からこ

の南海の砂濵いちめんに白く咲き

匂ふといふことである。

    12

 上田秋成の雨月物語を讀むと、

「蛇性の婬」といふ作品がある。―

いつの時代なりけん。紀の國三輪

が崎に大宅の竹助といる人ありけ

り。―といふ書出しである。

 その三輪が崎の海邊も歩るいて

みた。美貌の若い男が蛇に戀慕さ

れるといふ物語にふさはしく、今

もなほ侘びしい漁家が散點するだ

けである。


 くるしくも降りくる雨か三輪が崎
 佐野のわたりに家もあらなくに


 三輪が崎の海邊を歩るいてみた

私は、この歌の侘ぶしさをはつき

りと知ることができた。

    13

 徐福墓畔にある春夫氏の家は墓

畔亭と呼ばれてゐる。昔、秦始皇

帝の代に、不死の靈藥をもとめて、

はるばるとこの南紀の寶來山まで

渡つてきた、臣秦徐福は、遂にこ

こで長逝したのである。

 私はその古い小さな墓石の前に

彳んで、その浪漫家のために一禮

をおくつたのである。(終)

     ―十五年一月稿―

 附記―この小篇は昨夏本紙に連載し

 た「たび路」の續稿として書くつもり

 であつたが、當時事情あつて私はそ

 れを中絶してしまつた。柏崎から南

 紀に至る旅中散見した多くのことが

 らを、私は心覺江のためにいちいち

 手帖に書きつけて置いたが、その手

 帖も今手元に見當らない。そこでこ

 の一文は悉く私のうろ覺江を辿つた

 ものである。だから若しこのなかに、

 固有名詞などで間違つてゐるものが

 あれば、それらは皆私の記憶の誤り

 である、又この一篇は甚だ断片的で

 ある。これは春夫氏の寫眞に添へて

 出すから何か書けといふ葉月氏の注

 文に應じて、好んでこうしたまでの

 ことである。


(越後タイムス 大正十五年一月卅一日 
      第七百三十八號 五面より)

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        ソフィアセンター 柏崎市立図書館 所蔵

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