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た び 路 ――へんな原稿(二)――

――へんな原稿――第二稿――

    2

 海鳴りはくらいひびきだ-ざん

ざんと降りしきる雨に濡れそぼつ

て、わたしは海邊の松林のなかに

ひとりすはつてゐる。

 海が鳴つてゐる。くらいひびき

だ-樹立のなかできく雨のおとも

侘ぶしいひびきである。うしろに

このくらいひびきをきき乍ら、わ

たしはぢつと月ぐさの原をみつめ

てゐる。

 わたしは月ぐさの花をみに遠く

この海邊まできたのだ。

 かがやかな陽光をいとふ月ぐさ

は、かぼそく、寂しく、泪の花で

ある。はつ夏の宵ごとに、いささ

かの露をふくんで仄かにひらきそ

める花は、いつみても淋しげであ

る。ただひとりはるけき空をみつ

めて泪をいつぱいくぐんでゐる、

きよらかなおとめに似て、わたし

は月ぐさをみるたびに泪ぐまない

ことはない。

 わたしは夢多き少年の日から月

ぐさの花を大好きであつた。儚な

い、淋しいことを覺江そめてから

は、なほさらに月ぐさを忘れがた

くなつた。わたしのこころは月ぐ

さほど淋しく、その花をみると、

すぐこみあげてくる泪にひたつた

自分のこころとそつくりな、この

可憐な路傍の草花がいとほしくて

いぢらしくて、わたしははげしい

戀ひを覺江たほどである。この思

はいまもなほかはらない。このの

ちとてもかはることはあるまい。

月ぐさはわたしの思ひびとである

 旅をしても、ふととほりすがり

に月ぐさをみると、なつかしさに

た江かねて、そのそばに座つたま

ま、日を暮らし夜を更かすほど好

きな花である。川土手などに群れ

て咲く花だけれど、ひともと、ひと

もと、それぞれにちがつた哀愁や

寂しさをかたくひめて、けつして、

ひとにすがらうとはしない、かた

くなな淋しがりの花である。あま

りの寂しさにしづみきつて、絕望

のはてわづかにためいきをもらし

てゐる花が月ぐさである。

   ためいき
 わかきふたりは
  なにもせずに
 なにもいはずに
 ためいきばかり。(竹久夢二)

 人の世に生れて日夜つきること

なき憂愁にうめくわたしが、ちや

うどその月ぐさのこころだ。空に

たかい月を思ひあこがれても、心

いつぱいの思ひをつげるには、あ

まりにかぼそい月ぐさの心を思ふ

と、わたしはかぎりなく哀しいの

だ。それゆ江に――

 物言はぬ
 待宵草の心こそ
 摘みてわたさむ
 ひとむきの
 思ひをこめて・・・

といふ或るひとの詩を泪ぐましく

好きである。ひたすらに月を思ふ

―わたしもひたすらに月を思ふ。

しかしゆるされぬ希ひ、かなへら

れない思ひは、月ぐさと、わたし

の歎きを深めるだけである。

 いまわたしは雨にはげしくうた

れてゐる野の月ぐさをみつめ乍ら

ひとの世の運命の哀しさを思つて

ゐる。淋しいものはどうもがいて

みたところが、その淋しさからの

がれでるすべはない。もがけばも

がくだけ、淋しい土の穴を深くほ

つてゆくだけのことである。淋し

さのいましめは、かたく心をしめ

つけるばかりである。

 昔のことは再びかへらない―ひ

とたびきづついた心は、なにをも

つていやしたらいいのであらうか

ひとたび人生の蒼白い寂しさの足

跡を心に深くあとづけられたもの

は、なにをもつてその深い足跡を

ぬぐひ去つたらいいのであらうか

わたしはそれを知らない。

 いたづらにもがいてはいけない

―あの月ぐさのやうにたゞひとり

ぢつと悲愁をしのんで、ながい吐

息をもらしてゐれば、いつの日か、

慰められることもあらう。わづか

な、かたときのよろこびを、めぐ

まれることもあらう――わたしの

知つてゐるのはただこれだけの、

はかない希ひごとだけである。

 ああ、六月の靑葉はたかくにほ

ふのに、ああ、はつ夏の白日は潑

溂とかがやく頃だのに、なんだつ

てわたしは、雨のふる暗い日に、

こんな遠いところまでさまよつて

きたのであらう。

 茅ヶ崎はわたしの好きなところ

である。私の好きな国木田獨歩が

死んだ病院はこの海邊にある。わ

たしはふと淋しさに堪江られなく

なると、ただひとりでよくこの海

邊の砂山へくる。わたしはこの海

邊の憂鬱な氣分を好きなのである

去年の夏のはじめの或る日も、わ

たしはそこへゆく途上の郊外電車

のなかで、私の好きな佐藤春夫さ

んと、この新らしい夫人と、佐藤

秋夫さんとに會つて、そのときの

印象はいまも鮮かに覺江てゐる。

憂鬱なわたしが、憂鬱な海邊へゆ

く路で、憂鬱な詩人と會つたのだ

―忘れることはできない。

 つい二三日まへにもわたしは、

わたしの好きな友だちとふたりで

その海邊を歩いてゐた。曇つた日

の午後で海は濁つてくらかつた。

南湖院の白い建物はわたしにはな

つかしいものだ。ことにその日の

やうな曇り日の灰だみに空をくぎ

つて白い、靜かな病院を渚ちかく

でもると、泪ぐましく寂しい氣持

を覺江る。夕暮がたの病院の窓の

淋しさは私の好きなものである。

いつたい湘南の海邊はもつと明る

い氣分をもつものだらうけれど、

わたしの好きな茅ヶ崎の海邊だけ

はふしぎに陰鬱である。肺を患ふ

ひとが多いのでさういふ氣持がす

るのだらうが、松林でも、海へゆ

く路でも、空でも、海のいろでも

潮ざゐでも、ことごとくわたしの

氣持にそむかないほど憂鬱である

そしてわたしはそこでみた月ぐさ

の原を忘れることはできない。

 わたしはその雨の日に、月ぐさ

が雨に濡れるのをみて、自分の運

命にいぢめられるさまに思ひくら

べ、泣き暮らさうと思つて、そこ

まで行つてみたのである。

 月ぐさは雨に濡れ、月がのぼら

ない夜を知りながらも、その黄昏

に咲いてゐた。わたしも雨に濡れ

わたしの昔の思ひびとも、いまの

思ひびとも、あの月ぐさにそつく

りだといふことを、なつかしく、

うれしく思ひながら、いつまでも

林を動かうとはしなかつた。

 月ぐさほどつつしみ深く、思ふ

ひとの名をくりかへしつぶやきな

がら、この雨にうたれ、重い病氣

にでもなつて、はやくこの思ひど

ほりにはなにひとつゆかない世を

去りたいと思つた。

 またみむはいつの宵ぞも
 月ぐさの
 あはれ今宵も咲きいでにけり。

    ◇――◇

 まてどくらせどこぬひとを
 宵待草のやるせなさ。
 こよひは月もでぬさうな。

 いづれも竹久夢二のうたである

このほかにもわたしが愛誦して泣

く、大へん好きな詩があるが、そ

れをここへ書くことはできない。

 ―またどこかへ旅にでたい―ふ

と、そんなことを思ひたつたのも

その雨の黄昏の月ぐさをみてから

であつた。

 ―寂しい、美しいひとが、ひとり、鈴

 懸の竝木路を、遠く、とほく歩いてゆ

 く。その空に虹のかかつた日かく――

(越後タイムス 大正十四年八月十六日 
       第七百十五號 四面より)


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