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花輪を於くる言葉

大 鴉

    アラン、ポオ作
    品川 力 譯

    (1)

あるわびしき夜更に、われくたびれ
心地に思ひをひそめ、
忘れられし奇しき數々の書物の中に
いつとしもなく、うとうとと眠りに
入るときに、
にはかに叩く、わが部屋の
――誰れびとならめ――と、つぶや
きぬ
わが部屋の扉を打ちたゝく者は
 たゞ音のみ、かくてほかにことも
なし。

    (2)

あはれ、あきらかに思ひいづ
そは寒き年の終りの夜半なりき、
消江ぬばかりの燃江さしのゆかに、
不氣味の影なぐる
われひたに朝をまちぬ――
いかにして、わが憂きを追ひはらは
めと
ふみを求めて、いたづらに彷徨ひぬ、
誰れがため、その憂きは、
去りゆきし「レノア」
天使の呼ばふ名そは「レノア」
稀に見る光きらゝかなわが乙女――
 いまや永久とわにその名かへらじ

    (3)

色紫きの窓掛の、絹の悲しく、さゆ
らぐを、
――われおどろきぬ、
いまにおぼ江じ この世ならぬ
恐怖れぞ身に泌みわたるなり。
胸のふるい 止どむべく、われ立ち
て口づさむ――
――誰れびとか、わが部屋に訪づれ
入るを求めてあるならめ――
――この夜更け誰れびとか、わが部
屋に入るを
求めてあるならめ――
 たゞそれのみ、かくてほかにこと
 もなし。

    (4)

やゝあれば、奇異にさまやふ、わが
こゝろ
われためらはず 呼びかけぬ、
きみよ、さらずば御婦人よ、まことに
ゆるせ
いましわれ うつらうつらにありし

いとかろやかに 叩く音
君が幸のあまりにも かそかなるた

われ気付かねが―― かく云ひて、
部屋の扉をひろく あけぬれば
 たゞ闇のみ、かくて影はなし。

    (5)

せまれる闇の底をうちのぞき、
われ迷ひ、恐れおのゝきつ、
しばし立ちつくせり。
いかなる人も夢みざる あやしき夢

夢みつゝ
されど靜默しじまは破られずに
寂莫のうちに 影だになし。
かくて響きぬ、げにかすかなる一言
「於ゝレノア」――と、
われさゝやき呼びぬれば
闇にこだまし返る「レノア」――と、
 たゞそれのみ、かくて影はなし。

    (6)

部屋にもどれば、わが胸ぬちに
わが魂はどよめき、燃江ぬ
やがて、ふたゝび聞江くる。
さきよりたかく打ち叩く音
――げに何ものか、わが窓にあるら
し――
さらばそこに 何かあるらむ、
われ行きてそが秘密をさぐり見む
しばし心よ靜かなれ、われ行きてさ
ぐり見む――
 たゞ風のみ、かくてほかにことも
 なし。

    (7)

われ窓を開けぬれば
羽博ち はげしく いりきたれるは
古き昔の大鴉、きよらかな姿、
いかめしく――
會釋もなくて 飛びきたり
そは公、淑女の身なりにて
しばし部屋を飛びまわり
あたかも部屋の扉の上のパラスの像

とまりけり
止まりて坐しぬ、音もなく、

    (8)

眞黑まくろの鳥のよそほへる
いかめしき かほかたち 見とれて
あれば
わが胸の憂きは微笑ほゝ江みにまぎれけり。
――鳥冠とさかは切りそがれ
夜の岸邊より逃がれこし
魔神まがみのこゝろをやどしたる
古鴉にはあらざらめ
暗き夜の岸邊にて汝が榮譽くらゐある
名を語れ
鴉は答へぬ――「いな――」

    (9)

われおどろきぬ、ぶざまな鳥のかく

語れるを――
たとへ返答いらへの言葉の意味まづしかる
とも
また彼にふさはしからずも
誰びとか知る、この歡びを、人と
生れて
扉の上のこの鳥を見るさひはひを
けものばかり見る世のさちあるひとの
またあるべしと思はれぬ
その名をとへば、
 ――「いな――」

    (10)

されど鴉はやすらかに彫像の上にあ
りて、
さびしげにたゞ一言ひとことを吐きしのみ
その一言自らのまことをなべてこめしごと
かく云ひて後羽ばたかず、身ぢろき
もせず、われさゝやきぬ、
――友みなわれより翔け去れるごと
明日あすともならばこの鳥もわれを捨て
去るならむ――
と、云ひし時、
鳥は語りぬ――「いな」――

    (11)

かくも語られし烈しき返答いらへに
沈默しじまは破れ
われ打ちおのゝき云ひぬ、
――疑ひもなくこの鳥の語るのは何處

不幸なる主人の得たるそは唯一のたくは
へ言葉――
そのひとむごき災難わざわひに、しげく追ひ
たてられ、唄にさへ、この叫びを繰
返し
かすかに希望のぞみをつなぎつ
挽歌にこの悲しげの叫びをくりかへ

くりかへせし人ならめ
 それよ、このまた――「いな、いな
 ――」と、

    (12)

されど鴉はなほもわが憂きを微笑ほゝゑみ
まぎらすに、
われ鳥と彫像のその前にひた向きつ
かくてビロードに身をうづめ
ふかくぞ空想おもひにふけりけり
――この不吉な鳥は痩せおとろへて
ものすごき、このいにしへ凶鳥まがとりは、
なにの意味にて、いましかく鳴き
なせしか? ――「いな――」

    (13)

われもの想ひ坐りしまゝに一言
だにも聲かけず
鳥の眼は燃江さかり、わが胸底に
せまるなり。
あれぞこれぞと思ひつつ、
われいつしかに頭をよせぬれば
燈火ともしびのひかりぞ、ビロードの
椅子のしとねにかたむきて、
あゝ、濃き紫の色は冴へて、
褥の上に燈火ともしびはおちぬれど
 かのひとの凭るべきことはまたあら
 じ。

    (14)

かゝる時われ氣づかば、大氣はいよ
いよ
濃くなりまさり
香りは仄かゆらぎつつ、見江ぬ香爐
より立ちのぼり
ふさあるゆかには、天使のむれ跫音あしおと
しげくなりひゞく、
われ叫びぬ、
――あな、あはれ、神は、天使のむ
れに
よせ、なれに賜ふ休らひを――
悲しきレノアの追憶をのがれむため

休ひと、
忘れ藥を、いま賜ひぬ
飲めよ、飲め、この心づくしの忘れ
藥を
かくて世になきレノアを忘れかし
 鴉語りぬ、――「いな――」

    (15)

「豫言者」よ、さては「まがり者」よ
鳥か魔神か、さて何ものぞ?
夜嵐に打ち上げられしものなるか?
いづれ知らねど 豫言者よ
あれはてし このくにに――
おそれにおぢけるこの棲家に―――
氣强き鳥よ、まことをわれに語れよ、
告げよ、われせつにねがふ。
まことなりや、かのギリアドに香り

同じ草のあるべしや?
語れよ、告げよ、われねがふ。
 鴉は答へぬ、――「いな――」

    (16)

豫言者よ、さらずは「まがり者」よ、
われらを、にのふ天により、われら
が神の名によりて、悲しみ重き
わが胸に―――まことを告げよ。
いましわれ、はるけきヱデンに行か

天使の呼ぶ名そは「レノア」
かくも光きらびやかの乙女を
得べきことやある。
 鴉は答へぬ、―「またあらじ」

    (17)

鳥か魔神か?いましその一言ぞ
終りなり。
われ飛び上り、叫びけり。
――歸れよ、嵐のたゞなかに、
夜の魔の谷底に、歸れかし、
汝れの心の僞りを語りたるをば、
表示しるしなる、汝が黑はねを残すことなか
れ。
わが靜默を破り、さてはまた窓の
彫像をゆるがせしそが嘴をぬけ――
とびらに汝れが身かくせ――
 鴉は答へぬ、―「いな―」

    (18)

かくて鴉は身ぢろきもせず。
扉の上の色蒼ざめしパラスの像に
立ちつくす―――
魔神まがみの夢を夢みなむその眼の凄ごき
かゞやきぞ、
燈火ゆらぎ、そが床に、まだらの影
落ち、おゝかくてわが魂よ、
いつの日に床にたゞよふ、この影を、
のがれむものぞ、またあらじ―。
―(十四年五月)―



花輪を於くる言葉

     菊 池 與 志 夫


 あらゆる世の惰眠をむさぼる群

小飜譯家だち――諸君は、半歳はんさい

全生活をあげてエドガァ・アラン・

ポオ・の心魂をかれ自らの心魂と

した、わが兄弟品川力君の情熱の

炬火をあびまさに慚愧すべきであ

る。若し世の偏狭なる人、彼のこ

の宇宙に燦たる譯詩の完成に際し

なほ滿腔の感謝と至上なる讚仰の

花輪とをおくるに吝かなるものあ

らば、僕は敢然として彼らに言ふ。

汝はこの崇高至純の精神に充てる

藝術家の人格そのものに對し、盲

目的冒瀆を敢てするものなりと。

僕のごときは燦爛たる、彼の天賦

の詩嚢をはるかに光茫雲上の彼方

に仰ぎみて、たゞひたすらに讃嘆

のこゑを放散するすべを知るのみ

 僕は聲を高うして再び言はん―

彼れ品川力の灼熱的詩才の前に慚

死すべきもの、ひとり纎弱非才な

る僕のみにとゞまらんやと(五・十五)


(越後タイムス 大正十四年五月廿四日 
       第七百三號 四面より)


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      ソフィアセンター 柏崎市立図書館 所蔵

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