何でもない人生―日記から―/品 川 力

何でもない人生 ―日記から―
        品 川 力
  一月二十五日(金)
 約束の内村鑑三氏の「信仰
日記」を伊藤堅志郎氏に送つ
た。自分は大へんいゝことを
したやうに愉快な氣持ちにな
つた。
 店に出る時、電車の中で、
詩人吉原重雄氏に逢つた。
 夜になると、野瀨市郎氏と
菊池與志夫氏とでやつて來た
一年以上も逢はずにゐたので
何から先に話していゝのか困
つた。
 菊池君が―力君つとむくんいゝのが
出來たんだろ―といふ。いか
にも彼らしい云ひ草だ。
 野瀨君は―結婚は未だか―
と飛んでもないことを云つて
くれる。
 佐藤捷平君の話が出たので
彼はいま横須賀で貿易商に勤
めてゐる―と話したら、野瀨
君の驚きは一通りや二通りで
ない。
 ―捷平君が商賣人ビジネスマン
ならうとは、誰れだつて思は
なかつたなに違ひない。僕だつ
て矢張りさうだ。
 野瀨君がきたら、いつだつ
たか(二三年前のことだ)大勝
堂の店員が野瀨君を見て、―
あの方は五十二位ですか―と
眞面目になつた尋ねたのを想
ひ出して、ひとりで笑つた。
(越後タイムス 昭和四年三月三日 第八百九十七號 五面より抜粋)
  三月十七日(日)
 親父から菊池與志夫氏が結
婚したといふニュースに接し
た。
 北越時報に、高島義雄君の
新婦人きん子さんがその新生
活の感想をかいて、その中で
義雄さんは義雄さんはと繰返
してゐる。
 勤人の義雄君が每朝出掛け
るとき、彼の後姿をいつ迄も
窓から覗いてゐると小さくな
つた義雄君がやがて振返る、
そしてその時お互に涙ぐむと
いふのだ。
 白木屋に福井君を訪ねた歸
りに銀座に出ると、佐藤捷平
と根津憲三の二君に出喰した
ので、罪のない話をしながら
五時まで一緒に散歩した。
 若松甚太郎氏を訪ねやうと
思つたが、靴下のアナが氣に
なつたのでよして、家にもど
るとT子さんが遊びに來てゐ
た。
  三月十八日(月)
 横須賀の捷平君のところに
約束の築地のパンフレット小
山内薫追悼號を送つた。
 照井榮三氏が見江て、いま
「佐渡おけさ」が發賣になつた
ところだといふ。
 いつもそうだが獨唱會間際
になると氏の神經は極度にピ
リ/\してゐる。
 招待券を二枚いたゞく。
 佐藤右門氏が久しぶりでや
つて來てゐた。見れば若い女
性と一緒である。時は正に春
だ。
 大下氏がつまらぬ口を叩か
なくなつたから面白い。この
間やつつけたのがきいたのだ
 ワイルドの「獄中記ド・プロフォンデス」を讀
んだ。
  三月十九日(火)
 吉原重雄、神山時雄、伊藤堅
志郎の諸氏に手紙をかいた。
 十一時ころ店に出る支度を
してゐると妹ヨブが照井榮三
氏のところから歸つて來た。
 小松平五郎氏に逢つたとい
ふ。清瀬保二氏は昨晩ピアノ
練習が遅くなつたので照井氏
のところで泊つたとのことだ
 小川浩一郎氏が三越のホ―
ルで歌つた時氣の毒なほど不
出來だつたので、會が濟んで
から清瀬氏は一日彼と一緒に
なつてひどく悄れた小川氏を
慰めたといふ話を妹がした
時僕はしばらく何んにも云は
れなかつたほど、彼等の友情
に感激して了つた。
 要領の惡い奴ときたらどう
にも仕方のないものでO君と
きたら、朝の七時から晩の十
一時まで働いてその上に文句
ばかり喰つてゐる。
 伊藤堅志郎氏の好意になつ
たギッシングの紀行文を讀ん
だ。まるで詩のやうな奇麗な
英文だ。
  三月二十日(火)
 照井氏の獨唱會の招待狀
一緒に東大久保にゐるビーカ
ートン氏に英語をかいたが、
どうも英文となると氣が引け
る。ことに相手が外人ときて
ゐるから下手な字なぞ書けな
い。
 とう/\早いところタイプ
ライターで打つた。
 伊藤君(女だつた)に一年ぶ
りで逢つた。貴女は相變らず
奇麗だなあ…と御世辭を云
つてやつたほか、あと何んに
も喋べることがなかつた。
 佐藤捷平君から例の名文の
ハガキがきてゐた。文學思想
研究の中の谷崎精二氏のポオ
の研究を讀んだ。
  三月二十一日(木)
 九時半ころになつた八時出
に氣がついて大急ぎで支度に
とりかゝつた。
 短い人生だあはてたつてし
ようがないぢやないかと決め
てギッシングを讀み乍ら店に
行くと。
 O君が萬事やつて呉れてゐ
たので助かつた。野瀨市郎君
が夫人と母堂をつれてやつて
きた。菊池君の結婚したこと
を彼も知らないでゐた。
 十時半、店をしまつてから
銀座を散歩して、電車に乗る
と大勝堂の主人と一緒になつ
た。家にもどると、吉原、根
津、野瀨の諸氏から手紙がき
てゐた。
 珍らしい來客には田崎龜次
氏があつたとのことだ。
註、柏崎で田崎龜次氏の家が
僕の隣にあつたとき、破れた
硝子窓に腰巻があてがつてあ
つて、それが風になびゐてゐ
て風景は格別であつたばかり
か、そこに如何にもソロバン
の先生らしい思ひ付きが遺憾
なく發揮されてゐた。そんな
事が僕には深い印象となつて
いまでも忘れずにゐる。
 その風流な先生のところに
每晩商業の生徒が二人に、そ
れと僕とが珠算たまざんを敎はりに出
掛けたものだ。
 その歸りにはいつも三人で
崖下にある小柳といふ家のト
タン屋根めがけて大きな石を
投げつけたものだ。
 ときには植木鉢も飛んだ。
あの深夜にドカンとこだます
凄まじい音に、恐怖と快感の
二つを同時に味つたばかりか
それはわれ/\倦怠に疲れた
若者にとつてこの上もない清
涼劑であることを痛切に感じ
たからで、別に惡氣があつた
わけではない。
 僕をのぞいたあとの二人は
いまの丸見屋の若主人の高橋
秀三郎君と、それから四ッ谷
の西巻なんとか君だつた。
(越後タイムス 昭和四年六月二日 第九百十號 六面より)



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