エンジニアからみた「幸福学」

この記事は、岩手県立大学 Advent Calendar 2019の25日目の記事です。クリスマスですね!みなさんのもとにはサンタさんはきたでしょうか。

さて、アドベントカレンダー最終日の今日は、引き続き2019年に読んだ本をソフトウェアエンジニア目線で語るシリーズ第4段です。

ソフトウェアエンジニア的な目線が少ないのではないか?という批判がありそうですが、気にせず進めていきます!

今回は、ハーバードビジネスレビュー編集部著, "幸福学"(2018)を読んで気になった部分を引用とコメントとともに紹介します。

なぜこの本を読もうと思ったのか?

2010年代頃から「幸福」という言葉をよく聞くようになりました。2013年に岩手県立大学ソフトウェア情報学部卒業生が設立した某ベンチャーのコーポレートスローガンも「Make local happiness」でした。直訳すると「地域の幸せを作る」そんな感じです。

また、岩手県の総合計画(2019年〜2028年度)にも幸福の文字が使われています。(岩手県公式サイト

【計画の理念】
・県民一人ひとりがお互いに支えながら、幸福を追求していくことができる地域社会の実現を目指し、幸福を守り育てるための取組を進めること
(他略)
【基本目標】
東日本大震災津波の経験に基づき、
引き続き復興に取り組みながら、
お互いに幸福を守り育てる希望郷いわて

「幸福」とはなんなのでしょうね?と漠然と思っていましたが、学問としてまとめられつつあるという話も聞きまして手にしたのがこの本「幸福学」です。

ハイライト&コメント

幸福学とはなにか?
(中略)
英語では、Well-being Study, Happiness Study, Positive Psychology などと呼ばれる。
幸せを英訳するとhappyだと思われがちだが、幸せとハッピーは少しニュアンスが異なる。ハッピーは、気分、感情に近く、「ワクワクして楽しい気分」というような短いスパンの心の状態を表すのに対し、幸せは、ハッピーな気分から豊かな時間、いい人生といったような、時間スパンの長い状態までを表す。
(中略)
本書は、どちらかというと幸せの感情的案側面であるハピネスにフォーカスがあてられているべきだろう。

日本では、この3つをすべて「幸福学」というようだが、対象領域が微妙に異なるとのこと。他人と幸福の話をするときは、定義を合わせる必要がありそうだ。

この本では、どちらかというと時間スパンが短く、そのときおりの感情的側面のハピネスを「幸福」と呼んでいるようだ。長くなるので詳細は本書に譲るが、PERMAという心理学のフレームワークでの幸福の分類も参考になった。

職場での幸福度は重要だ。十分にエンゲージメントを持って働くために必要なのは、展望、意義のある目的、そして共鳴する人間関係である。
(中略)
リーダーは従業員のエンゲージメントを望むならば、展望をどう描くかに注意を払い、個々人の仕事を自社の大局的な目的と結びつけ、他者と共鳴する者には報いれば良いのである。

第1章 「幸福な人ほど有能な働き手である」からの引用だ。企業の従業員に対する感情とエンゲージメントの関連性をめぐる分析結果から導き出された結果です。当たり前といえば当たり前な内容だが、様々な制約があるなかでこれらを維持することは簡単ではなさそうだ。


適度に挑戦しがいがあるとき、すなわち、困難ではあるが、手が届かなくもない目標を達成しようとしているときに、人は最も幸福であることがわかっています。

僕らはそれに抵抗できない」にも同様の記載がありますね。人は、目標や課題を解決することに喜びを得る動物であることが進化の大きな要因のひとつなのかもしれません。

業務中に心がさまよえば、幸福度が低くなるだけでなく、生産性も低下することが示されている。

なにかに集中している状態は、幸福度が高いようだ。企業にとっては、従業員が各自の業務に集中できる環境を作ることが大事なんでしょうね。

個人にとっては、熱中できるものを仕事にしている人は幸福ですね。好きなことは仕事にしたほうがよさそうです。

一方で、このデータに基づくと就業中のSNSやニュース閲覧はよくなさそうですねw

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ここからは幸福学のネガティブな話が多い。現状の「幸福」の限界を知っておくことは、「幸福」の理解において重要なことだと思います。

仕事に幸福感を求める人は、しばしば感情的な飢えを覚えるようになるという。上司からの正当な評価と感情面の励ましを、絶え間なくほしがるのだ。

幸福の追求には中毒性・依存性があるということだろうか。ここでいう「正当な評価」が、期待よりも小さかったときにショックを受けるだろう。

これは職場に限った話ではなく、「他人から幸福を与えてもらう」という前提になっていると家族・友人との関係においても問題を生じると思いました。「他人に期待をしない」ということが必要なのではないでしょうか。

会社や自治体が「幸福」をスローガンに掲げることは悪いことではないですが、一方的に社員の幸福を定義し提供する、という形になることは危険だなと思いました。社会が幸福を目指すのはよいことですが、あくまで個人が主体になるべきです。

デイビスは幸福の問題に別の角度から迫っている。彼は「脳内の曖昧な感情プロセス」を利用しようとする組織的な試みに辟易としていた。彼に言わせれば、広告主も、人事部のマネージャーも、政府も、製薬会社も、人々の飽くなき幸福欲求を測定し、操作し、そこから利益を得ようとしているということになる。

これも「僕らはそれに抵抗できない」に近い考えだ。幸福の追求という欲求は、ビジネスや人々の統制に活用できるのだ。それが善いことなのか、悪いことなのかは判断が難しいですね。

最近の幸福に関する記事などは、あまりにも安易に「幸福の追求」が善だと広めすぎている気がします。適度なストレスやネガティブ感情があるからこそ、状況を改善しようとしたり、成長するモチベーションになるのもまた事実です。強迫観念的に「幸福の追求」をすることは気をつけたいですね。

「幸福は必要不可欠である」という認識を、人間が本来備えている特性としてではなく、近代の所産として理解することで、社会的経験や個人的経験の核心を理解するための新たな道が開かれる。

本書では、幸福の歴史をひもとくと、現代に続く幸福という概念は思ったよりも歴史が浅く、1960年代からのコンシューマリズムの影響を強く受けているのではないか?と書いている。

続いて、幸福は絶対に必要不可欠なものではない理由を2つあげている。

ひとつは、幸福を重視することで生じる現実とギャップによって、皮肉なことだが、必然的に不満が生じることである。
(中略)
もうひとつは、幸福に満たされた文化によって、人々が自分や他人の悲しみにうまく対処できなくなることである。

方向性として幸福を目指すことは悪くないように聞こえるが、幸福の追求によって個人や社会の諸問題が解決すると考えるのは安直なようだ。

幸福というのは、貧困と同じで相対的な尺度である面も考えられますね。そうすると現実的には社会全体が満足することはありません。

おわりに

本書は、後半が、幸福のアンチテーゼ的な内容になっているので読み終えるときには、やや幸福に対してネガティブな印象を持ってしまいそうですね。これはあくまで、盲目的にハピネスを追求しすぎるのは害もあるという意味でしょうね。長期的な幸せへの批判ではないです。

しかしながら、幸福とはなにか、まだしっかりとつかめないというのが本音です。幸福の測定方法、因果関係などより深い内容が気になりました。学問の世界ですらこの状態ですので、現代社会でみる「幸福」という文字は非常にあいまいな可能性が高いです。その「幸福」が意図するところをしっかりと把握する必要があるでしょう。

それでは、幸福な年末と2020年をお過ごしください。





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