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よもぎのたからもの

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ぼくをかたちづくる、スキあふれちゃうnoteをあつめました。人の宝箱はかんたんに見ちゃいけません。
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#note

365日目に挟んだ栞が、わたしに教えてくれたこと

『エッセイ』の夢を見たことがある。 なんとなくではない。間違いなく、それだった。 風で飛ばされてしまいそうだったから、わたしは一枚の紙を挟んでいた。 今日、わたしはnoteを毎日更新して、365日目だ。ここでやっと、わたしは明確に"伝えたいこと"ができたので、書き始めている。 "自分の"エッセイばかりを書いてきた。自分の満足のためがほとんどだったと思う。わたしに好きなものは少ない。やりたいこともよくわからなかった。お手本になんてなれなかった。それでも生きて、生きて、生

心の充電が こまめに出来ないのであれば、自分の好きなものを一つでいいから持っていたい。

最近、スマホの調子がわるい。 わたしは自分に必要なもの、そこまでではないものの線引きがとても苦手だ。 今の時代、スマホを持っていない人は殆どいなくなった。それはつまりスマホが必要になったからなのだろうか。職場では当然のようにスマホを持っている前提で話が進められる。それに誰も首を傾げることはない。自然、自然だ。 ただ、最近わたしのスマホの調子がわるい。 というより、ずっとわるい。 ここ日本で暮らしている人の標準は知らないし、知ろうともしたことがないのだけれど、おおよそ殆

偏見がなくなればいいとは思わない。結局決めているのは"心の態度"だけだもの。

息を吐き出した。 こんなに白い空気は久しぶり。 冬の天が花曇りしている。 季節が捻れる、吹きこぼれるような喜びをいつから感じていないだろう。親からもらった身体に穴を開けて、わたしは心の穴に色を塗っている。そうやって前を見ている。些細だ、繊細だ。細い糸で立っている、わたしたちは想像で言葉を操っているのか。 早く、自分になりたい。 青く、透明だった肌で生きた瞬間はいつだったのか。今もそうと、胸を張って言えるだろうか。人は自分の世界で物語を創っている。あなたの細かい人生なんて知る

「普通」の人生を「特別」に書いている

息抜きをしようと思った。 世の中が、楽をしようとしている。 頑張って報われる人生も、頑張らないで報われる人生も。手に入らなかった。「こうすれば簡単だよ」「こうすれば出来るよ」って。そんなこと、言われなくてもやっているよ。でもどうして。わたしの目の前がずっと暗い、それを認めたくなかった。 朝起きて、顔を洗う。 それだけのことで生きる気力がなくなる。 最近、自分が生まれ変わった時のことを考えるようになった。今よりももっといい生まれ、いい生活、いい交友関係。妄想は簡単だ。気持

生きていたい記憶と、飛びたい群青。助けてほしいなんて、一言もいってない

「助けてほしい。」 覚えていませんでした。 忘れたい記憶が多すぎて、わたしは抱えきれず。向き合えるのは硬くて熱いアスファルトでした。残された時間は数えたくありません。今わたしには何が残っているのか。誰に助けられてきたのか、助けられただけで終わるのか。 心が閉ざされていました。 わたしはわたしと会話させてくれない。休むことを許されない。死ぬ勇気なんてこれっぽっちもないのに、死んだ時の妄想を何億回と繰り返した。目の下が黒くなっていくけれど、視界はどんどんと白くなっていく。

YUIの路上ライブサプライズをウラヨミ!

YUIの路上ライブサプライズ先日、TwitterでYUIが札幌で路上ライブをサプライズでやっている動画が流れてきました。 ショートの黒髪で、にこやかに「CHE.R.RY」を唄い上げました。 その動画はコチラ↓ 私にとってYUIは、もし自分が音楽プロデューサーだったら、彼女に全てを懸けてもいいと思ったほど思い入れのあるアーティストでした。 最近はあまりメディアには出なくなったYUIですが、変わらない姿が見られました。 YUIの経緯YUIと言えば、2005年に「Feel m

わたしたちがしていることは 全て"ハンドメイド"に帰結されるのか 【不器用な寂寥と暈し染め】

人生は消耗される、常に。 ここで生きているわたしはここからまた、先へ落ちる。腐った果物を手で握りつぶした感触を、あなたならどう表現するだろうか。自分の部屋に現れた小さな虫を、殺さずに窓から逃がすその行為に酔ってはいないだろうか。生活で試されているわたしたちが、大衆の目に直接的に触れることなどない。ただそれでも根底にある濃い黒を溶かすのに必死なのである。 約束した覚えはない。 ただ、後ろから崖が迫ってくるような幻想に日々怯えている。けれどそれはひとたび何かを怠れば、簡単に現

好きを仕事にって言うけど結局どういうことなのか

ハッとする言葉に出会った。 全くその通りだと思ってしまった。 わたしは書店でアルバイトしたことがある。 仕事は本当に楽しかったし、心の底から経験できてよかったと思っている。しかしこれを本業にしていきたいかと言われるとちがう。 なぜならわたしが好きなのは、本のお会計をすることでもなく、在庫を並べることでもなく 『本を読むこと』だから。 もう1つ例をあげたい。 わたしはカフェで正社員として お仕事をしたことがある。 完全に好きを仕事にできたと 思っていたんだけれど

あふれるほどの愛なんてあるかバカ

noteのアプリを開くと、左下に赤い通知の丸が光る。タップすると「◯◯さんがフォローしました」と表示される。 この人、こないだもフォローしてきてなかったか。フォロバ狙いの人か。 ああ、こっちの通知も。 この人上から順番にスキ押したんだろうな。 そういうの、その人のアカウントを見るとだいたいわかる。 釣り餌の、「スキ」。私のテキストに動かされたわけじゃない。そういうノイズが、赤い丸になって画面右下でちかちかと点滅する。 そういうの、すぐわかる。だって私もこないだまで

お酒が好きとか美味しいごはんが好きというだけで人が集まり楽しくなれるのなら"言葉が好き"で人が集まり 艶やかになれてもいいでしょう

小腹が空く。 わたし、こんなはずじゃなかった。 楽しいことが嫌いなわけではない。 楽しいことが嫌いって勿体無いし。 でも人が集まっているところは怖い。 でもふたりきりの空間も怖くて狭い。 もっと言えば、目を見て話すという行為のせいで守れたはずの約束も守れなくなってしまった。 人は面白い話など出来ない。 お酒を飲み、美味しいごはんを食べていればいい。そうして笑顔になれるのだから。 お酒が嫌いで、美味しいごはんが嫌いな人なんていない。でもそれって本当?楽しそうな目をしている彼

人生を変えた出会い。

自分の人生がようやく動き出したのではないかとさえ思っている。 ぼくはこの言葉を、ちょうど一か月前のこのnoteで書いた。 10日前にはじまった #人生を変えた出会い のお題募集を見て、改めてそんなことについて書きたいなぁと思っていた。 あまりにベタかもしれないけれど、ぼくにとってのそれは、noteとの出会いだ。 去年の終わりにnoteをはじめて、文章を書くことの楽しさと辛さを知った。 GW明けからはじめた毎日更新も、先日50日を超えた。 乏しい思考をフル回転させて、ネタ

贅沢も、節約も

ほんの数か月前までの私。 いわゆる「丸の内OL」だった。眠い目をこすりながらばっちりメイクをし戦闘服を着て、朝7時の電車に乗りこむ。戦場である丸の内に着くと、スタバでソイラテとサンドウィッチを購入。始業まで、しばし勉強の時間。始業の時間が近づくと大量のスーツ姿の男性と共にコンクリートで固められた巨大なビルに吸い込まれてゆく。昼休みは、糖質を気にしておかずだけを詰め合わせられるお惣菜やさんへ駆け込む。なんだかんだで、1000円超え。デスクで食べながら仕事を続け、いつの間にか外は

自分との小さな約束をなかなか守れない

もう泣かないと決めた瞬間がある。 甘えてはいけない。変わらなくてはいけない。強くならなければいけない。自分でもう決めたのだから。繰り返すのは嫌だから。幸せになりたいと誰よりもわたしが望んでいたのだから。 ただ、そんなものはいつの間にか簡単に覆ってしまった。 「一生のお願いだから」と縋り付く子どものように、わたしの言葉には責任がなかった。 ずっとわたしは何となく生きている。同じ失敗を何度もしてしまうあたり、わたしは学習能力が圧倒的に欠けているようだった。 常にわたしは