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異文化を尊重するといっても
文化とは、国家や民族の枠組みから世代を超えて受け継がれるものである、それは食に関しても言えるであろう。秋道智弥は、「自然の多様性、文化の多様性というが、自然と文化はそれぞれ独立した存在ではない」と述べている。
例えば鯨漁が盛んな太地町とシーシェパード(動物愛護団体)の話は有名だが、
厳密には鯨漁は太地町の食文化であり伝統で日本の文化ではない。
それを日本の中の地域にある太地町を日本の文化として押し上げている。
もっと言えば太地町の特殊な文化を日本という普遍にちかづけることで国際的にアピール出来る。
そうなると、他文化が理解し尊重しあうことを前提として議論していくと、解けない問題が出でくる。
「すべての多様な『文化』は尊重されるが、そうなると文化相対主義のアポリアの問題にたどり着く。
つまり、他文化を認めてお互いに尊重し合うことを前提に考えると、ある文化が「他文化を認めず自分たちの文化が普遍的だと主張する」という場合はどうするのか?
また相対的(比較のうえに成り立つ)ということで考えると、なにが普遍的価値観かが見出せなくなるばかりか、他文化を想像し理解できることを前提としている点だろう。
中心的を見出せば自分化中心になるしパラドックス。
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