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「煎茶」という茶文化から、「コロナ後」という時代のはじまりに向けて (如翺)

noteをはじめてみることにしました。
新型コロナウィルス感染症拡大による緊急事態宣言が発出されたのは、4月7日のことで、それが解除されたのは私ども一茶庵のある大阪では5月21日、首都圏では4日後の5月25日のことでした。

この期間、「煎茶」という茶文化を担う私ども一茶庵の主な仕事は、急速なオンライン化と各種申請書類の作成でした。Zoomのインストールから始まり、オンライン稽古の開始、継続、オンライン茶会の企画、開催。申請手続きのための書類集め、記入、提出。多くの方々にアドバイスをいただいたり、分からないことだらけですので教えていただいたりしながら、どうにかこうにか前へ進んでいくことができました。ありがとうございました。

この期間は不思議な期間でした。
何が不思議だったかというと、稽古場でオンライン稽古の準備をしているときや、稽古配信の合間、合間、また、事務所でパソコンに向かっているとき、ひたすら、交響曲ばかり、それも結構大音量で流し続けていました。
ベートーヴェン、ブルックナー、ブラームス、かなりの大曲ばかりです。
そういう気分だったのだと思います。

私個人の時間になっても、とくに深夜、そういう大曲を中心に聞いていましたが、同時に、リハーサル風景を記録した動画にもはまってしまっていました。巨匠たちの稽古風景を見るのが、結構面白いのです。指揮者が発した一言で、つまり、弦楽器の弓の使い方の指示、どのパートの音を聞かせなければいけないか、ときには演奏者個人への叱責、それによって、オーケストラが奏でる音がぐんとよくなるものなのです。その劇的な変化に立ち会えるのがたまらないのです。

そんな生活が定着しはじめたころ、ある会の会報が届きました。
『玉堂清韻社報 第10号』(2020年4月15日 浦上家史編纂委員会発行)。
その中に橋爪節也先生(大阪大学教授)のエッセーが掲載されていました。
「煎茶」という茶文化を考える上での重要人物の一人、木村蒹葭堂(きむらけんかどう)について触れられていました。

木村蒹葭堂とは、江戸時代中期大坂で造り酒屋を営む大商人で、詩文をよくし、画にもたけ、莫大な量の本を集め、某大な美術工芸品のコレクトもした、知の巨人です。蒹葭堂のもとにはさまざまな人と物とが集まりました。集まった人の記録が『蒹葭堂日記』という形で残されています。これによると蒹葭堂のもとには20年間でのべ9万人が彼を訪ねて来ています。やってきた人々は、蒹葭堂との知的情報を交換する対話を喜んだことでしょう。この木村蒹葭堂が交友のツールに使い楽しんだのが、当時、珍しかった「煎茶」なのです。

さて、橋爪先生のエッセーをしばし引用いたします。

  「蒹葭堂日記」での訪問者の動きは、複数の旋律が奏でる対位法的な音
  楽にも思えてくる。私が駆られる誘惑はここだ。日記を楽譜にたとえ、
  浪速の葦の蒹葭堂を木管、玉堂をマンドリン、文晁をホルン、米山人を
  米つくイメージで打楽器に割り振れば、R・シュトラウスばりの交響詩
  が頭の中で鳴り響いてくる。
  シンプルだが複雑な「蒹葭堂日記」という譜面を、どう理解してタクト
  を振るかが、オケの指揮者ならぬ美術史研究者の力量ということになる
  だろう。(出典は上述)

知の巨人・木村蒹葭堂。
彼に対して、動き集う人々と、多くの物、知、美、情報。
これらの交遊の接点には「煎茶」があり、
集まる人、ひとりひとり、集まるモノ、一つ一つの魅力もさることながら、
全体は交響詩のように重厚なハーモニーを奏で、
その音の大きなうねりは、近世の大経済都市・大創造都市大坂そのものです。

5月23日、オンラインでのトーク企画をいたしました。
『カルチャー・ディスコース&佃家煎茶室(登録有形文化財)見学会
 2025年万博とその前と後、文化基盤をみんなで再編集する!
  -伝統と未来のはざまでー』
という企画でした。国立民族学博物館・東京大学の辻邦浩先生との対話形式でオンライン配信したこの企画の中で、「創造都市」というキーワードが出ました。ごく近くに隣接する地区ごとに、全く異なる文化という音を出す大阪の都市。

かつて木村蒹葭堂の時代には、それぞれの地区から音は同じくらいの強さで出てきて、全体としては力強く濃厚なハーモニーとなり、また、蒹葭堂の求心力により、全国の人が行き来し、書物によって世界の情報が入ってきて、全く新たなハーモニーを創造していたにちがいありません。
さらにここに地区地区の経済活動や生産活動という音、全国から集まる米や品物それに付随する音がさらに重なり合ってくる、そしてさらに、大坂城代を中心とした武家政治の和音も重なってくる・・・、これらの音の大反響が創造都市大阪でした。

全く別の動き同士を掛け合わせること、それを重層的にしていくこと、大きく深く響かせるシンフォニーを生み出すこと、そういう意味での創造力(=編集力)が今こそ必要なのです。

ではその大反響を生み出すべく誰が指揮するのか?
また、そのシンフォニーが進むべき楽譜を誰が書くのか?

橋爪先生が書かれたエッセーの中に、R・シュトラウスという作曲家の名前がありましたが、私は、深夜、オーケストラのリハーサル風景を撮った動画を探す中で、R・シュトラウスの「ドンファン」という曲を、かの大指揮者カール・ベームがウィーンフィルに稽古をつける動画を見つけました。「第2ホルン!もっと強く!」とか「ハープ、どいうしちゃったんだ、もっと鳴らして!」とか「ここは大きくクレシェンド!」「もっと大きく出ないと後に小さくできないだろ!」と指導が飛びます。これによって、見違えるような音楽に変貌を遂げるわけです。

が、これはこれからの時代の創造力とは、少し作り方が違うようです。

全体を牽引するような、作曲家は不在、指揮者は不在です。
いや、不要、といったほうがいいかもしれません。
まとめる時代ではないようです、広げる時代であるようです。

何かと何かがぶつかって、思わぬハーモニーになるように、
自然発生的に予期せぬぶつかり合いが至る所で生じていって、
有機的に動きだし、聞いたことのない音が生まれだすように、
その連続が重なりあい、深いシンフォニーとなるように。
閉じこもるときではありません、
外へ向かって音を出し続け、それがどこかの音と思いもよらぬハーモニーを奏でることを、模索するときであるようです。

この時代の中で、
過去の知の集積・美意識と、現代の人と情報と、未来への提案を交差させる一つのツールとしての「煎茶」であり、一つの場としての「茶会」「稽古」でありたいと思っています。

このnoteは、
過去の知の集積・美意識と、現代と未来が交差する一つの点になればと
書き連ねていこうと思います。

譜面もない、指揮者もいない中で、
暗中模索で、ベートーベンやブルックナーやブラームスのような、
深く、スケールの大きい交響曲を、自然発生的に奏でることを目指して、
コロナ後の世界をドキドキワクワクしながら、力強く歩んでいきたいと考える、緊急事態宣言解除後の日です。(おそらくまた第二波が来て、自粛の日々が半年の内に再開するのでしょうが・・・)

ここまで読んでいただきありがとうございます。
引き続きどうぞ、一茶庵宗家のnoteをよろしくお願いいたします。

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「煎茶」という茶の世界。それは自らたのしむ「自娯(じご)」の世界、文芸と芸術に集う「文人(ぶんじん)」たちの世界です。令和というこの時代に、文芸や芸術を通して、過去の人たちの知の集積と、現代の私たちと、未来世界とを繋げるような「煎茶」文化を提案していければと思っています。