12/23_ストーリーテリング

2022年には1本の木のような生き方をしたいと思っています。先日ZaPASSの講座生で合宿に行ったときに見つけた1本の木。この木にこれからの自分の生き方を見出しています。

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”まっすぐに立ちたい。”

この木から、僕が一番最初に浮かんだ在り方はこの言葉でした。堂々と雄大に立ち、写真には葉も根も収まりきらないこの木のイメージがありたい姿として、合宿に帰ってきてからも広がり続けています。

そのイメージに関して。合宿中でも「2022年を絵で描く」というワークがあり、さらには「自分が描いた絵に対してみんなが絵を描き足していく」というものをやったのですが、その時の【自分で描いた絵】と【それにみんなが描き足してくれた絵】の2枚がこちら。

【自分で描いた絵】

画像2

【みんなが描き足してくれた絵】

画像3

みんなが描き足してくれて帰ってきた絵を見ての感想は「嬉しいな」でした。みんなが見てくれているし、周りの木には花が咲いている。そういう景色がすごくうれしくて、じんわりと温かい気持ちになり、自分で描いたその絵よりもより一層大切なイメージが創られることになりました。

合宿明けの月曜日。
朝9:00頃に散歩をしていて、帰ってきて、洗面台で手を洗いながら、アジカンのムスタングという歌を歌っていてふと鏡を見て、「いい表情で歌っているな。」と思って。「こういう風に歌うのは人前ではなかなかできないんだよな。笑」と思って、「やっぱり俺は一人が気楽で心地よいんだよなあ」と自分を顧みていたりました。(僕は集団での活動では没入を感じづらいなという気持ちがあって、複数人の飲み会なども、端に座ってサボってしまうタイプです)。

ただ、その時にまた思い出されたのは、帰ってきた絵で「そういえば花が咲いていること」「周りに人がいてくれる」というのが嬉しかったのは、【喜び】だな。と。【喜び】とか、【嬉しさ】というのは人と一緒にいるときにしか味わえないよな、と勝手に悟りを得ました。

思えば、僕の人生は他人とチームで何かをすることと共にありました。そのときにいつも僕は喜びという感情を受け取っていたのだ。と。そういう想いに今は至っています。そして、これこそが、必ずしも気楽に心地よくあれる環境設定ではない、他者と共に生きることの自分なりの理由だなと信じることができるようになっています。

他者と生きる中でこの木のように、まっすぐに立ちたいです。花が咲いているのは僕の周りの人がそれぞれ幸せになっている状態。この絵には僕の木は花が咲いているかはわからないけれど、周りに花が咲いていることが嬉しいなと。

まさにこの絵には描かれていない部分があります。それは根であり、僕自身が茂らす葉、そして花です。先日大きなスケッチブックを購入したので、時間をかけて木の全体像を描き切りたいなと思っています。2022年もよき一年でありますよう、まっすぐ生きていきたいなと思っています。

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