Sum11-20

―――Sum11―――

 一日に何度もiPhoneを眺め、broken heartなんていえばnonsenseだけれど、as isのsighを零している。addressは分かっているのだし、そう遠くでもないから、howについては造作もなかったが、whyに応えられない。ましてや、彼の隣にはNatsumiがいるはずで、気の強そうな眼差しを思い出せば、彼女はfragileな神の子を守るべく父が遣わしたguardianであるように見えた。あるいは、うちのballparkでNatsumiがgameに出るchanceがあれば、と、先のscheduleを調べたが、あいにく、彼女のteamは今のところbookされていなかった。それとも、彼女のteamとmatchするchanceがあったりするだろうか。spray hitterらしいbatting stanceで飛び出た左すねにbackfoot sliderを投げ込むplanはいつの間にかあった。それは私にとって、at least now、play ballのmotivationだったかもしれない。tomorrowは私がstarterとしてassignされていた。私のteamも、相手teamも、shopping districtの寄り合いみたいなものだから、鼻息あらいbutcherのThomasに高めへのeephusを打たせてやって、つぎ行ったときにAngusのchuck rollをbargainさせてやれ、ぐらいのvibesの、そう緊張しないgameになるだろう。今はそのぐらい気楽なbaseballがしたかった。catcherに席を外してもらい、bullpenでball toss game式のalignmentをした。前のpitchingから間が空いたからか、腕がDr. Jobeのsurgeryでも受けたかのように軽く、特にtwo-to-eight sliderがimageどおりにsweepし、何と5 pitchesでperfectを達成する。問題もこのぐらいeasyに解決できればいいのに。

 

―――Sum12―――

 team memberには失礼ながら、人生のstrike countもそろそろ……というold playerが多いためか、gameはいつもならmamの得意なavocado toastを食べつつsleepy lookでbad newsを眺めているようなearly morningから行われた。日が昇ってこそいるものの、sea breezeでchillyなため、sleeve二枚重ねでmoundに立った。gameは、fumbleありjuggleありchuckleありのひどいもので、私も派手にflameoutしたが、earned runがいくらだったのか、friendzoneのtreatmentで行ったrestaurantのcheckみたいに分からない。とにかくscoreのほうもclose to the table hitter同士のtable tennisぐらい記録され、私にこの夏はじめてのwinning pitcherが与えられた。Just so what、とにかくrelaxできたからよしとする。gameの後は巨大なtankが持ち込まれ、Anheuser-Busch Budweiserをliterally浴びるように呑んだ。uniformがびしょびしょになったが、気持ちよかったので着替えもせず、sneezeで体を震わせながら、MOTOCOMPOを走らせる。rotary beacon lightを闇に溶かし、くたびれたpolice carが追い抜いていった。明らかにふらふらした走りのMOTOCOMPOを見てもspeakerがmuteなあたり、夏のWinter Hevenはanarchyだなと思う。next morningはto doがあるので、condominiumに帰ったとたんGlacier Capをがぶ飲みし、alcoholを散らしながら、この日記を書いている。いい日だった。うん、やっぱり、勝つのはうれしい。

 

―――Sum13―――

 Woodのことを記録しておきたい。Write again、Woodは私のよっつ年下で、私がjunior high schoolに入ってone year、心ばかりながらpocket moneyをもらって、彼のtutorをしていた。In those days、北にぽつんとあるfisheryの町は、日本のnuclear accidentによるharmful rumorをまともに受けており、町中が疲れ、目のうつろなchildrenがcheeseまみれのstreetに座り込み、crimeとcrankがはびこる、rock bottomの状態だった。日本もひどかったと言うけれど、私に言わせればhow dare you、Americaにもdisaster areaはあって、私は初めてend of the worldを見たと思った。Woodのparentsは他のfisherに倣い立派なVolkswagenを売ってしまい、出稼ぎのためtoo crowdedの電車に乗りcapitalに出かけることが多かったので、私はこっちはno chargeながら、Woodのlook afterにも携わっていた。

 Woodは美しく、機転がきいて、とりわけ言葉を扱うsenseに優れていた。そう、あれはsenseとしか言いようがない。writingもそうだし、ふとしたchattingのときも、Woodがselectする言葉でうれしくなったりかなしくなったり、magicみたいで、私はWoodのsupporterでありながら、彼にsupportされてもいた。On the other hand、うちのparentsも家にいなかったからsympathyがあるのだが、もっと幼かった彼の言葉は彼自身をguardするためにあったのかもしれず、already、私は彼の抱えるharsh desertのhedgehogみたいなlonelinessが苦しくもあった。

 あのshort period、私はlong timeをWoodとともに過ごした。lessonがあったのはweekdayの、schoolが終わったあとのfiveからsixだったが、いつも私はroadsideのWalmartでfor a reasonのvegetableやfire saleのmeatをpaper bagいっぱいに買い込んでからhis homeを訪れており、studyの後はapronを着け、得意なhalibut burritosなど、homemade mealを振る舞った。そして、late eveningまで何度も読んだcomicを読み直すような退屈をspendし、Woodはtake a bathしたがらなかったから「洗ってあげる」と言ってprivateのshower roomをshareすることもあった。keyのcopyがあったのをいいことに、holidayもしばしばWoodのbedroomを訪ねるようになった。そういうことになるまで、Newton tells、appleがgroundに落ちるようなもので、long timeはかからなかった。One year、starry skyぐらい濃密なtwilightにWoodと浸った。とても寒いあの町のmidnightも、goosebumpsの凹凸をpuzzleのように合わせていれば、間違いなくWinter Heavenだった。やがてidentifyできなくなったfeelingは、お互いのshamefulなscarsを癒着させているみたいだった。そんなnever ending daybreakをone thousand and one nightsは過ごした。

 初めてそうなった日も夏だった。私はjunior high schoolの1st grade、ウッドはelementary schoolの2nd gradeだったと思う。どうしてそうなったのかは覚えていない。As usual、it's all for today、Woodがbedに寝転がりboys comicを読んでいて、私がその隣に吸い込まれて、とか、あつあつのbreadにmargarineを塗るみたいな、naturalなflowだったと思う。ちょうどshowerを終えた後だったかもしれない。Woodは半袖で、二の腕からはmilk and honeyのようなsweet fragranceが漂っていた。首筋にhot lipを這わせて、そのままearlobeをしゃぶったとき、Woodの苦しそうなdeep breathは大人のそれだった。すべてがconsentされたと思った。私はeyelid、tip of nose、back of teeth、のorderで、kissをしていった。それからshirtを捲り、私もshirtを脱いで、Woodにbraを外してもらった。Woodはpigletみたいにtitsを求めてきた。ちゅうちゅう音を立てて痛いぐらいnippleを吸う彼のちいさな頭をholdし、大人のgaspを堪えながら、このbrokenな世界でいっとうにprettyだと思った。私も彼のdandelionみたいなnippleを吸って、軽くincisorを立ててやると、Woodのちいさなhipがびくんと跳ねた。pantsをbriefsごとおろすと、はちきれんばかりに隆起したそれはpornoで見たものより全然ちいさく、しかし全然grotesqueでなくて、hairも生えておらず、新雪のように透きとおって、unicornみたいだった。hand soapをpalmに付着させ、ていねいに、彼のforeskinをめくった。ぷっくりと膨らんだvalleyはvolcanoのように赤く腫れていて、すぼめたmouthに含めば、食べたことのないyummyなflavorがした。私のほうは、rollはとっくに終わっていた。ゆっくりassを下ろすと、そう痛くもなく、Woodのそれが、lollipopを食むように、私のなかに呑み込まれた。feelingとしては、入っているかどうかも分からないぐらいだった。それでもcheckすれば、彼のものをしっかりsuckしていて、top of the worldにいるみたいに、気持ちいいというより、happyだと感じ、私は彼の折れそうなribを抱きしめ、今度はkissのときにtongueを入れた。彼もmelty tongueで迎え入れてくれた。粘ついたthreadを引かせつつlipを離すと、それが惜しいかのように、Woodのleft eyeからsalt waterがほろりとdripした。こんなbeautifulに泣くgod childを初めて見たと思い、あのときのpureなfeelingを、私はcapital letterで「LOVE」と書きたい。

 At last、the first night、私たちがしたのはそこまでで、ほとんどpettingみたいなものだった。けれどそれで「ああ、この川は飛べるのだ」と分かったanimalみたいに、every night、私たちは求めあうようになり、one month later、Woodは腰のshakingを覚え、half a year later、Woodは「Come!」と吠え、one year later、終わったあとに体を離せばhoney potからまっしろいcream pieがあふれ出るようになった。そのamountはday by day多くなり、きつかったsmellはsweetになり、さらさらになり、Woodのpocket monsterもevolveして、skinnyだった二の腕にかたいmuscleが付き、grow upしていく彼のbodyを私のとろけそうなbodyで確かめるのがsatisfactoryだった。Show roomでそのまましたり、pizzaの散らかったdining tableで後ろから入れてもらったり、次の夏にはoutsideのgrassに寝転がって、Woodのrecoveryが早いのに呆れながら、夜じゅう黒みを帯びはじめたdickにaddictしたこともあった。Woodはdoggy styleでspankするのが好きで、next morning腫れたところを見せて軽くscoldしてやると、Woodは粗相をしたpupみたいに目を伏せ「Sorry」と言い、でもcomeしたあとにbreathも絶え絶えで「Thank you」と言ってくれることのほうが多く、そのたびに満たされた。私はjunior high school studentとはいえ、naiveだったので、where to goについては、あまりclearには見えていなかった。ただ、Woodが好きなのだから、そうなるのがway to goだと思っていただけ、just all。

 2nd gradeになった夏、周りでもvirginを捨てる子が増えた。ちょうどWinter Hevenがbaseballによる町のreconstructionを図り始めたtimingで、たくさんのbaseballerがoutsideから訪れ、彼らのpartnerをするのは割りがいいらしい、girlに対してもboyに対してもbirdieを扱うようにgentleで、ballを触れるような指使いがskillfulで、ちょっとbigだから痛いかもしれないけれど、ちゃんと濡らしてくれて、safeだからfirst oneとしてはjust right、と、fellowのうちで知られるようになった。teacherも気づいていただろうが、町のconditionも知っているし、思うところがあったのか、彼らのbusinessでもあるから気まずかっただけかもしれない、あえてignoreしてるんじゃないかというほど何も言わなかった。短い夏が終わり、schoolが始まれば、お互いのexperienceを微に入り細に入り交換しあった。私はその渦中にいなかった、というより、自分がWoodと何をしていたのかat that timeようやく知った有様で、自分とWoodがone year積み重ねたrelationshipを彼女らに打ち明けたところ、どうにも私のtalkはreactionが芳しくない。G spotの叩き方も知らない彼女らをleadしていたから、jealousyのようなものがあったのではないか、と、suspectしたが、そうではないらしく、私は私でhonorableどころか、なぜかmiserableなfeelingになり、「protectionはしてるの?」と彼女らにcareされた。ああ、彼女らのgloomyなtoneは間違いなく「care」だった。そういうことをすればkidができる、ぐらいのknowledgeはschoolで習ったし一応あった。が、私もWoodもkidなのだし、それに、one year、no problemだったのだから、きっとno problemなのだろう、と、healthのteacherがBillings methodとともに教えてくれた「pregnantしにくい・させにくいphysical」に私とWoodを当てはめてみたりした。Mariaさまはvirginのままbabyを産んだという。あたかもそれのmirroringみたいに、babyを作ることがない私とWoodのrelationshipもまた、父にblessされたものだと思いたかった。mensesが来ていないのはそのsignsだということにも、foolishというかchildishというか、ideaが至らなかった。In fact、one yearなにもなかった私たちのbodyは、まだnot growであり、babyを孕むためにnot enoughであったのだろう。しかしそれも、すでにnot anymoreであることにはtouchしなかった。私たちはmindこそchildishだったかもしれないけど、bodyのほうはinsideでcomeできるfeelingが教えてくれるとおり、とっくにadultになっていたのだった。close fiendに貰ったClearblueで、驚くぐらいeasyに、私はovenのなかにbunが育っていることを知った。

 friendはworryしてくれたが、つまり「baseballerとの間にbabyができたのであればhigh dollarなcompensationを貰える」ということらしく、そうでない私の身をcareしてくれたという、sillyな私よりよっぽどまともなcontextで、abortするためのfundをみなでraiseすることもsuggestしてくれ、そっち方面でreliableなhospitalを探してくれたり、泣いてくれるfriendまでいたけれど、no-neckな私は「これは私のbusinessだから」と言い、彼女らとdistanceを置いてしまった。「私はWoodとのbabyが欲しい」とinsistして、in fact、BABiESЯUSでgoodsを見繕ったり、that's rightだと思い込もうとした。Just in fact、そのことをWoodにconfessできなかったpointで、私は私のmistakeに気づいていたのかもしれない。At last、abortできるぎりぎりのtimingで、私はparentsにprofessした。彼らはangryどころか、むしろsincereで、babyをabortするのもvending machineでPepsiを買うぐらいeasyだった。ただし、parentsははっきりとはstateしなかったけれど、probablyその件がtriggerでWoodはfamilyごと町を出てしまい、それきりだ。

 しかしどうして私がbabyをabortしようと思ったのか、ただのselfishではないexcuseとして、そのideaをarrangeしておきたい。Looking back、ということかもしれないが、私がもっともafraidしていたのは、radioactivityだ。pregnantが分かり、happyだったのは片手で数えられるようなfew daysで、そのあとはevery night、headless monsterが自分のuterusを切り裂いて出てくるnightmareにより目が覚め、すぐに汗だくのunderwearを脱いで血まみれになっていないことを確かめた。あるいはWood似のpretty babyが産まれたとしても、ten years laterにcancerにでもなったらとても平気じゃいられない。たしかにradioactivityにはhalf-lifeがあるだろう。しかし、私とWoodのfamilyというactivityに与えられた不安には、half-lifeがないのだ。私はeven now思う。もしも日本の、nuclear accidentがなければ、私とWoodはちゃんとfamilyとして、Winter Hevenに、Eskieがはしゃぐgarden付きのsmall white houseを建て、長い冬はbonfireの爆ぜるsmellを嗅ぎながらrocking chairできつね色のkids socksを編み、短い夏はoutfieldにKansas City-styleのbarbecueを広げてまぶしいclear skyへと突き抜けるようなbig flyに慌てながらBering海で採れたsalmonをgrillしたりとか、one fine dayを数えきれないぐらいたくさん過ごせたんじゃないかって。だから私は、日本が、日本人が、大嫌いだ。

 abortしたbabyは見ていない。けれど、こんなshapeをしていたんじゃないか、と、deskのうえに置かれたbaseballを転がしてみる。そこに書かれたone letterはfetusに似ている気がする。おそらくten yearsかけて、日本から運ばれてきたballなのだろう。Ten years、tsunamiにabuseされつづけてきたのは、私とfamiliarだ。このballは私のbabyかもしれない、と、ありえないfantasizeをする。babyのnameは「Hugh」にしたいと思っていた。これは「心」というmeaningがあるという。「心の人」と書けばhuman。私が産みたいのはhumanだった。

 

―――Sum14―――

 新しいjobを始めた。次の春には、collegeへ進めためこの町を離れることを考えると、私のsavingsでは心もとない。行くならば気候もいいし、西海岸の南の町がいい。metropolisはGeorge Floydのmurderを皮切りにいくらBLMが叫ばれようと、いまだにracismが点在し、一度行ったときChineseと思われて、Huaweiはじめtrade frictionの折り、ひどい目に遭ったから、住むのはno thank youだったが、Mexico寄りのport townはethnic mixが集まるため、あたたかく迎えてくれることが多いらしい。が、Winter HevenからはairplaneとUnion Pacificを乗り継いで半日かかるぐらい遠いうえ、collegeのあるdowntownはliving expensesが嵩むそうなので、この夏、できるだけmoneyを貯めておきたかった。ballparkのjobはPAの肩書きをもらってからsalaryも増えたしありがたいことに忙しく、いちおうafter nineはfreeなのだが、いくら夜のextra wageはattractiveといっても、country townらしくsexual harassmentをavoidするのには難渋するし、hempのsmell漂うあのatmosphereは苦手だったし、なにより、baseballのpracticeにtimeを割きたかった。そのなかでできるjobはないように思えたけれど、ballparkのhallwayをcleaningしているとき声をかけてきたupbeatな韓国系baseballerから、訛りのつよいbroken Englishとhip hop likeなbody languageで、online food orderingのbusinessを紹介してもらう。dishをprivateにdeliverするそれは、big cityで流行っているrumorは聞いていたけれど、この夏から、Winter Hevenでもserviceが始まったらしい。確かにsummer leagueに参加するplayerたちのlifestyleはまちまちで、timingもtasteもpriceも、まさしくsalad bowl、diverseなappetiteに応えることを考えれば、むしろこの町でこそあるべきlifeとcompoundされるようなworkなのかもしれない。なによりそのjobのadvantageは、iPhoneのAPPでorderを受けるため、やりたいときにやれるだけcommitできる点だ。payもpocket moneyとしては割りがよく、それなりに精を出せば、collegeに入ったとき買うmotorcarのrankがひとつ上がりそう。ちょうどMOTOCOMPOがあるから、initial costも要らず、iPhoneでregisterすればone minuteで始められる。entry時、担当するareaのinputを求められた。GPSのcurrent locationから計算したinstructionどおり、condominiumの近くをsetしたほうが動きやすいし、in addition、あちこちにtraining campがあるから、orderも多く受けられるだろうと考えたが、私はintentionally、little bit指を震わせつつ、outskirtsにあるlakesideのmotel districtをassignした。ふとしたchanceで、あの「ugly winter」に会えるんじゃないかとexpectしたからだ。It's not like会ったからといって、stuffがrenewされるわけでもない。I know、彼はWoodじゃない。Nevertheless、私はもうWoodに会えないのだから、せめてnot that muchぐらいは許されたかった。もし「ugly winter」に会えば、what to sayはあるだろうか。Woodにはwant to sayがあった。それはcountryやraceを越えて、my dearに届くだろう、universalでuniqueなwordであるべきfeelingを確かめたい。skin colorがなんであれ、low and outsideにfade awayするsliderで、swinging strikeが奪えるように。

 

―――Sum15―――

 さっそく、deliveryのorderが入った。ちょうどballparkのjobがoffで、weight trainingも一息ついたtimingだったから、iPhoneのone touchでacceptするなり、汗で湿ったjerseyのままMOTOCOMPOに飛び乗って、designされたmenuをburger shopのdrive-thruで買い、receiptを咥えAPPのmapが示すlocationへ急いだ。MOTOCOMPOのbodyはAlaskan Malamuteよりよっぽどtinyなのだが、box-shapedなので、crotchの間に置けば、ちょっとしたもののloadingには困らない。が、recipientのaddressをidentifyするのはlittle bit hardだった。cheapなものでいいから、iPhoneのholderを買って、T-shapedのhandleにbuildすべきかもしれない。At last、lakesideには辿り着いたが、Netflixで観たghost townみたいにdarkだし、syringeの浮いた小汚いpuddleだらけだし、似たようなmotelがたくさんあるからdelayし、ずいぶんぬるったいfish burgerを渡すはめになってしまった。恐縮しながらdoggy bagを差し出すと、orderしてくれたのは目の醒めるようなwhite tank-topから毛むくじゃらなfatのはみ出したmiddle-aged manで、just woke upなのか、green onionのようなtoothbrushを咥えたまま、unreliableなhandlingでQR code paymentをしてくれた。「Thanks」のintonationが堅苦しいSlavic styleだった。On parting、tipを折りたたんでpocketに入れながら、たくましいivyに半ば覆われたmotelを振り返ると、orange colorのやわらかいlightが点る薄いcurtainの向こう、donut付きbatのcharacteristicなshadowがくっきり見えた。彼もまたbaseballerなのかもしれない。この町には短い夏、さまざまなreasonで、baseballerたちがやってくる。そのどのreasonもpreciousなものかもしれない、と、私はsuddenly、sentimentalになった。

 

―――Sum16―――

 summer vacationの16th dayだ。私はthe dayを忘れないと思う。bad religionの闇を暴くjournalistのように、exciteしたbrushstrokeが伝わるだろうか。In the end、私は子と別れた母のように、なんて書けばpenが走りすぎだけれど、anyway私にとってはそのぐらいdramaticに、long time no seeの「ugly winter」を見つけたのだ。彼のreal nameは「Thoma」というらしい。Germanだとそういうpitcherがいた(slider気味のいいcurveを持っていた。私は一度見たbaseballerはよく覚えている)が、AmericaやCanadaのcultureではあまり聞かないnameだ。漢字をアサインすると「冬馬」になるのだが、これのmeaningは「winter horse」らしく、私はつい組んだhandsをforeheadに当ててしまうぐらい、destinyめいたものを感じてしまった。私のancestor、Eskimoは、かつてsledによるnomadic lifeを送っていたらしく、それを引くのはhorseではなくbig dogなのだが、私のessenceはone placeには留まらないnomadであり、この夏ここを訪れているThomaにもsomething closeを感じる。More than anything、Woodのfirst nameは「Yonas」といい、これは「冬の嵐」を意味する。

 On the jobだった。pocketのiPhoneがvibrateしてdeliveryのorderを告げ、normallyそれを見るだけ見てignoreするのだが、「TSUNAMI」というuser nameがcareされた。deskのしたでこっそりiPhoneを凝視し、right awayそのIDのprofileをさらう。Then、as I thought、submitされているaddressはcamera rollとdiffを取るまでもなく、あのNatsumiが住んでいるmotelだった。Before I knew it、私は「accept」をtapしていた。botheringなのは、workのほうだ。orderをreceiveしたあとようやくconfuseしたが、もしかしたらこれがlast chance、Natsumiのところに行かないというoptionは思いつかなかった。

「おい、早くBilly Joelをかけてくれよ」

 pick先へのrootがmap上のred lineでindicateされたiPhoneを握りしめたまま、半ばabout to cryでうつむいていると、old disc jockeyが、Lucky Strikeの紫煙をくゆらせながらそう話しかけてきた。私はあわててCDをcabinetから取り出し、McIntoshのplayerにsetしたが、流れてきたのは「YMO」だった。どうしてこのtimingで、そのmusicを選んでしまったのか。

「いい曲だ」

 しかしdisc jockeyはcomplainを表さず、fashion modelを嗜んだこともあるという年のわりにslenderな足を組んで、donut-shapedの煙を吐き、Yellow Magic Orchestraの、orientalなmelodyに聞き入った。彼がかつてcommentaryしたことのあるWorld Seriesでは、日本人もmoundに立った、instead、final gameのcloserだったという。fastball velocityはprettyだが、prettyでないoff-speed pitchを持っていて、best of all、splitterをprimary pitchに使うplayerとしては珍しくcommandとWHIPに優れ、「Toyotaのような」と彼はexpressされた。そのことを思い出すと、in fact、私は日本人を嫌いなのか、knuckleballみたいに、unstableなfeelingを持て余す。私はbecause、Toyotaをはじめ、日本車が好きだ。In that case、equally、precision-madeな日本のbaseballerについても、よいfeelingを持ってしかるべきなのではないか。彼らのうちAmerican Dreamを掴んだplayerはnot so muchだったが、some of themは、日本人らしいsmall ballで、steroid全盛のAmericaのlong ballをsurviveしてきた。ballparkで彼らのplayを見ているとき、1st inningのno out runner at firstでreplayみたいにsacrifice buntをするところとか、o-and-twoからgarbageでも投げるようにwaste pitchするあたり、sleepless nightはsheepをcountする代わりそっちを見たほうがperfectというぐらい、boring, just boringだったが、on the other hand、infieldのhopperをしっかりfrontに回ってgobble upするところとか、payoff pitchでもdownstairsへのbreaking ballでswing and a missを奪えるところなんかは、to be honest、American baseballでは決して味わえないfeelingに震えたこともある。Still and all、と、思う。あのnuclear plantをexplodeさせたのも日本人なのだ。私のinsideで「ふたつの日本人」がmixされている。それぞれの日本人にrootのあるfeelingが、おなじpitch tunnelでbranch offし、どちらのcourseをtakeすればいいのか、feelingがよくないときのat batみたいに、decideできないでいる。

「もう上がっていいよ」

 と、disc jockeyが煙草嗄れしたwhisperで言うと、あまいsmellがした。DJ boothのbehind glass、逃げたcatでも捕まえるようにoffice workが行われている。Country Time Lemonadeを淹れる暇もないようなshort breakののち、big leagueでcleanupを打つsluggerのcomebackという、infield seatだけとはいえ珍しくticketがsold outした、important gameが組まれているはずだった。DJ boothのnext door、authorized people用のrestroomがあり、Cloroxのcardboard boxをすり抜けてladderみたいに急なstairsからundergroundに降りれば、誰にも会わずoutsideに出られるlayoutになっていた。disc jockeyはsometimesそこからillusionistのごとく登場し、みなを驚かせた。

 ほかのstaffに聞こえないようvoiceを潜め、scoreless gameをkiddingするときそうしたように、彼はash beardを緩めた。

「green lightを与えられたKei Toritaniと、おなじ目をしてる」

 Kei Toritani。私が知る数少ない日本人playerだ。あれはalmost eight years ago。まだこの町にbaseballがなかったころ、nearly私にとって、baseballのvirgin landscapeだったと思う。いちおうのworld championshipだったが、moneyにもhonorにもならないため、big leaguerは気の乗らないreunionみたいにattendを渋るか、big nameがrosterに載ってもspring trainingぐらいのlow-keyなplayerばかりで、Americaでのfeverといえば冷めたcoffeeどころか、StarbucksのFrappuccinoぐらいのものだった。And yetどうして私がそのchampionshipの、moreover日本のgameを観ていたかといえば、Woodがそれを望んだからだった。Woodはlater on俳句にハマることもあったぐらいJapanophileで、besides、baseballが好きだった。At that time、Woodのmamはhousewifeだったため、私は彼のtutorにまだなっていなかったが、neighborhoodぐらいの体でdoorbellも押さないままentranceにheelを履きつぶしたshoesを蹴飛ばすことはfrequentlyあった。At any rate、early morningのtwo o'clockからgameを観るというのはrareで、Woodのparentsも呆れながら、but anyway、whole milkをふたつ温めてくれて、wardrobeに畳んである私用のPJsを出してくれた。私が彼らのhouseに泊まるのはcasualだったし、私とWoodがおなじbedで眠るのも、ちょっと仲のいいsiblingsみたいに、normalだった。まだ私にはmensesも来ていなかった。そのinnocenceがthree years laterには早くもadultのfragranceを帯びるわけだが、anywayそのphaseの私たちはlittle kissを交わして「結婚しようね」と言い合えばgrown-upに冷やかされるぐらいのchildrenで、そのぐらいlet it beに、ひとつの夜をおなじbedで過ごした。が、いま思えば、あの夜こそ、touch-me-notのように、special relationshipのbreakだったのかもしれない。ほの暗いbedroomにcathode-ray tubeのsmall televisionがちかちか点っていた。台湾のstarterはChien-Ming Wang。that pointの私でも知っているぐらいのbig leaguerだった。日本teamはbig leaguerがattendしていないらしく、知らないplayerばかりだったが、the greatestなpitcherであるMasahiro Tanakaが近々posting systemをapplyしbig leagueにtransferするらしいこと、それ以上にKenta Maedaのsliderがnastyなこと、かつてBig Appleなどで活躍したKazuo Matsuiがteamのpillarであること、などを、Woodがexciteしきりのtoneで教えてくれた。gameは、台湾のadvantageで進んだ。big leagueで鳴らしたChien-Ming Wangのmoving fastballを日本のbatterがまるでadjustできないのだった。On the other hand、台湾には2 runsが入り、end gameにもつれこむが、world championshipではinjuryを防ぐため「pitch counts」が定められている。second roundでは、80 pitches投げたpitcherはmoundを降りるruleになっていた。台湾のdomestic leagueのlevelは高くなく、Chien-Ming Wangに続くrelieverを日本のcontact hittingが攻め立てる。However、辛くもtieに留めた台湾teamがbottom of 8th inning、Masahiro Tanakaからepic recoveryなclutch hitを放ち、one run behindを追って、top of 9th inning、日本のfinal offenseとなった。

 2 outsから、walkを得たのがKei Toritaniだった。commentaryに依ればTigersのplayerらしいがもちろんDetroitではないし、worldwideでいえばちっともfamousではないらしく、Woodも彼のことは知らないらしかった。Just、thrillingにblinkするtelevisionに映ったそのappearanceは、star playerに与えられるshort stopとしてはskinnyすぎる気もしたが、まさしくgameを見つけたtigerのように、えもしれないauraが漂っていた。彼がfirst base coachとconversationを交わすsceneを見て、Woodがdry swallowとともに呟いた。

「stretchが何秒なのか、確かめてる。走るつもりだ」

 Woodはlittle bit日本語を使うことができたけれど、lip readingのskillまではなかっただろうし、どうしてそれがunderstandできたのか知らない。common understandingがあったのかもしれない。Anyway、Woodがforecastしたとおり、first pitch、Kei Toritaniは、走った。outになればそのままgame overという、bloodがinstantにfreezeするような、spiritual base stealingだった。Sure enough、Kei Toritaniはfoot first slideで、safeになった。In the moment、私とWoodはblanketのなか、sweatyなhandをみちみちに握り合っていた。Woodのhandはhotで、思ったよりstiffで、the momentが、私がWoodにsexとしてのfeelingを持った、first momentだったかもしれない。In the end、そのbase stealingをchanceとして、日本はdead heatを制するわけだが、そんなことはどうでもよかった。私のstoryでは、Kei Toritaniがstartしたsceneで、pass outしたかのように、あのgameは終わっている。base stealingがsuccessするかどうかもどうでもよかった。Still back then、私は日本や日本人のことを嫌いではなかった。嫌うよりbefore、私のinsideのdeep spotに、Japanese spiritがスピルされ、knuckleballみたいに、even now疼いているようなfeelingを持て余す。

 disc jockeyの細くなったgentle gazeが、私を見つめていた。私はKei Toritaniがそうしたように、behind glassのstaffの目をstealし、as possibleのgratitudeを込め、うなずいて、DJ boothを出ようとした。

「もし分かれ道に来たら」

 後ろからold disc jockeyの悪戯っぽいhushed toneが聞こえた。American baseballではwell-knownな、Yogi Berraのjokeだ。

 そのquestionにはas follow、answerすべきだろう。

「とにかく進め」

 courseを尋ねられたとき、Yogi Berraが答えたという。ふたつのcourseは、どちらを選んでもおなじところに辿り着くから、というpunchlineは、Kei Toritaniのdeterminationぐらい、coolだと思う。

   

つばが口のなかにあるときはいいけれど

一度吐いたつばを舐めるのはイヤだなぁ

君の体のなかも僕の体のなかもいろんな死体で満たされてる

 

口づけをしましょう 二人だけの秘密をここでつくりましょう

真っ黒い腹の中を行き来する 透明が見えるまで

 

いつか君も僕も死んじまって変な臭いの 灰になって 感傷の種になる

かわいい君の死体もきっと変な臭いだね 泣きたくもなるよね

 

だけどそんな君が好きさ いつか腐りゆく君よ もっと悪態をついてみろ

年をとって愚痴を吐いてしわくちゃで笑え 生きてるうちに軽くなれ

 

君が君のままでいようとすることが僕を どうも妙な気分にさせるよ

誰かのイメージの雑居房のなかにいるために 今日も反省をするのかい?

 

恋はいつか終わる 誰もが歳をとる 水かさは増してくる

だからなるだけ軽くなれ 生きてるうちに軽くなれ

だからなるだけ軽くなれ 生きてるうちに軽くなれ

   

 On the road、Apple Musicのautoplayから流れてきたmasterpieceのscreenshotをpasteしておく。Masami Ichimuraは、日本のfolk musicianらしい。lyricのmeaningはもちろん分からないけれど、pessimisticなguitar soundは、どこかJohn Lennonに似ているんじゃないか。

 「TSUNAMI」もといNatsumiにdirectされたとおり、日系のbeef bowl restaurantでoriginal beefとwhite riceとfried potatoのsetを買おうとしたが、彼女とyoung brotherとでone bowlを食べようとしているのではないかと、あらぬfeelingがmindを過ぎってしまい、pitchのmoment慌ててoutsideにおおきく外すようなimpulseでregularふたつと、extra beef juiceを、selfishながらorderし、condominiumに引き返してrefrigeratorからthe biggestなpasteurized eggをひとつくすねると、なんのsense of guiltなのか、escapeするようにMOTOCOMPOを走らせた。いつものafter workより早いtimeで、neckにsweatが滲むぐらいhotだから、ここがWinter Hevenであることを忘れてしまう。いや、本当に、夏というのは、forgetさせてくれるseasonなのだ。green light待ちのあいだ、hoodieを脱いでwaistに巻くと、coast roadを走るとき、upper armを撫でるsea breezeが、真新しいbraを着けながら浴びるsunriseみたいに、気持ちよかった。あちこちのempty lotにinstant ballparkが建ち並び、crack of the bat、cheer、scream、laughterが、play ballを祝福する季節外れのcarolみたいに渦巻いている。Out of the blue、この町をdepartureすることがregrettableになった。But、夏が終わればThe Catcher in the Ryeのlast sceneみたいに失われ、かつてheat hazeのあったgroundがgarbageのようなlarge snowflakesでpolluteされることを知っている。Look like something、と思ったとき、YouTubeで観た、Fukushimaのsceneryを、boilingなangerとともに思い出した。nuclear accidentにより、nearby plantはhumanのentryがforbidされ、がりがりに痩せたcattleやhorseのcorpseばかり打ち捨てられたwastelandが広がっているという。What the hell is going on? NatsumiはFukushimaのことを知っているだろうか。聞いてみたいと思ったけれど、todayの私はdelivery personでしかなく、small talkしてはいけないagreementがあったな、と、思い出し、果たしてsmall talkとはなんなのか、おかしくなった。

 Natsumiたちの暮らすmotelはmomentary見つかった。というよりmotelですらなく、ありがちなmobile homeでもなく、box-shapedのsmall automobileに住んでいるらしかった。どうして分かったかといえば、そのmotorcarだけ日本車だったからだ。うちのfamily carとおなじlogoがfamiliarだった。Americaの、たとえばmade by General Motorsのmotorcarと比べ、日本車はbodyがrestroom stallぐらいtinyだが、Natsumiの乗っているそれは、さらにundersizedに見えた。むりやりdimensionを抑えたようなformは、strike zoneのfour cornersをtoothpickでほじくるようにneuroticな日本らしいGalapagos syndromeにfitさせたものかもしれない。tireのairはへたれていなかったため、Eskimoのdog sledのほうがよっぽど速そうだが、おそらく走ることもできるのだろう。rear wheelに沿ってwetlandに刻まれたtiramisuのようなrutはまだ新しかった。

 dead fliesがpointillismみたいに散ったwindowは、entire surfaceに日焼けしたnewspaperが小汚いscotch tapeでべたべた貼られ、Shohei OhtaniがBoudreau shiftに揺さぶられるまではhome run derbyでfirst placeだったことは分かったけれど、muscularなplayerはAmerican beefみたいにtastelessだと感じてしまうし、motorcarのinsideは見えなかった。Again、iPhoneでaddressを確かめたものの、おなじdistrictにはほかにもmotorcarが停まっているし、in fact、in the motorcarでreally、Natsumiたちが暮らしているのか分からない。薄汚れたそれはしろいcasketみたいに見えた。hintになるものがないか、あるいは、生きているのか、grave keeperの足取りでそろそろとmotorcarのsurroundingを一周すると、well-usedのgloveがdriver's seatのdoor mirrorに掛かっているのを見つける。小さいのでたぶんsecond fielder用だ。pinkのstitchで縫いつけられた「夏美」という漢字をよく覚えていた。At the same time、iPhoneのAPPが「まだですか?」とmessageを飛ばしてきたため、私はpanicになり、その日本車のrearのwindowを、midnightのbeetleみたいにこつこつknockした。

 Slowly、sliding doorが開き、as expected、「beautiful summer」が叩き起こされたout of workのDraculaみたいに機嫌の悪そうなpretty faceを覗かせた。camisoleのstrapがtanningの目立つright armだけ滑りおち、braもしていないappearanceで、alcohol臭かったが、half-moonが織りなす陰影ゆえか、the other day会ったときより美しく感じられた。私がbeef bowlを差し出そうとすると、

「ちょっと待って」

 というNatsumiのhusky voiceが制した。

 Before、ballparkのlocker roomで会ったことを覚えているのか、私はthat time、Natsumiにsexual harassmentめいたimpoliteを働いたので、schoolboyのunderwearを剝ぎ取ってteacherに呼び出されたときのように、恐縮しながらscopeを上げると、しかしNatsumiはきれいなalmond-shapedのeyesをおおきく開き、fingertipでpull downした私のhelmetをじっと見ていた。

「それ、Twinsのlogo!」

 Natsumiはdelightfulに、helmetのsideを指さした。rudeなactionに、ああ彼女も日本人なのだなと、どうしてかpeaceなfeelingに驚き、helmetをとっさに脱いでcheckしたところ、definitelyそこにはMinnesota Twinsのlogoのstickerが斜めに貼られていた。そのhelmetは、MOTOCOMPOをhempくさいused bike shopで買ったときfor free付けてくれたextraで、stickerは私が貼ったわけではない。At least、big league三十球団はすべてby heartで言えるものの、for business、requirementだから覚えただけで、Twinsはparticularly好きなteamではなかったし、American League Centralはif anythingかつてScherzerとVerlanderというco-acesがいたTigersのほうをpushしていた。

「Twinsが好きなんですか?」

 そう尋ねるとともに、beef bowlをcarefulに手渡したところ、Natsumiは私のhandを握るようにdoggy bagを受け取りながら、Twinsにいる日本人playerの話をtongue twisterみたいに披露した。そのpitcherは、sure、Cy Young Awardのrunner-upに入ったことがあるはずだが、pandemicによるshortened seasonだったし、日本人のなかでもOhtaniやDarvishと比べればpopular playerというわけではなかったので、reactionに困った。

 iPhoneを取りだし、paymentをしてもらおうとすると、Natsumiはdoggy bagのbottomをstareし、ぼやくように、

「多い」

 と言った。

 どうしてtwo bowlsを買ってしまったのか、my feelingをexplainできず、しばしperspectiveを泳がせていると、そのstateを見たNatsumiが、

「もしかして、Thomaのぶん?」

 と察してくれた。「ugly winter」のfirst nameは「Thoma」というらしい。やはりNatsumiのyoung brotherで、いっしょに暮らしているのだろうとexpectした。

 頷いたところ、tip of earまでburn outするようなfeelingがあった。rareなhome runを打ったtermのfeelingによく似ていた。

 Natsumiは俯いたままの私のaspectをupturned eyesでじっとり眺めたのち、

「なんというかさあ、America的だよね、こういうの。Japを見下してるかんじ、すごいムカつく」

 と肩を落として言った。「xxxx」というfour-letter wordsをselectする、なかなかcriticalなexpressionだった。

 unconsciousなaffectionを撥ねつけられて、than I thought、spareをなくした私は、unintentionally、

「Fukushimaを忘れるな」

 と口走ってしまった。本当はAmericanならhandkerchief代わりに持っているironyのtextbookどおり「Pearl Harborを忘れるな」と言うつもりだった。が、Natsumiほど英語を使える子であれば、Pacific WarのAttack on Pearl Harborにrootがあるそっちのsloganをassociateするだろうから、batterのstanceを見てkind of pitchを変えるみたいに、言い換えた。私がintendしたのはseventy years agoのheritageではない。わずかten years agoのgrudge、私がdirectにexperienceした、あのnuclear disasterだ。Winter Hevenもまたharborのinlandにできた町だった。そのharborにはother nameが付いているのだが、とりわけEskimoのdescendantたちは、ancientからずっと美しかったwhite beachを「Pearl Harbor」と呼ぶことがあった。あのtsunamiののち、たくさんのものが流れ着いた。その多くに日本語を見つけることができ、readableでないことがすべてのsymbolで、first letterからfinal letterまでが、radioactivityにpolluteされていることだけは分かった。見た目だけとれば今もpearlが散らばるjewelry boxのようなcoastにwhat's up、X-shapedのchillなsilver fenceが並ぶsceneryはnone but hellで、私はいんちきなmonitoringを嘲笑うかのように、あわれなLupinみたいにこっそり漂着したものを持ち帰ることがあった。そうすることで、feelingをhalf-lifeのないmaterialにして覚えておきたかった。

「Hiroshimaを忘れるな」

 しかしNatsumiはright awayそう切り返してきて、私はpitcher's pitchを投げたはずが、snipingみたいなcomebackerを喰らったmoundよりも、confuseしてしまった。To be sure、todayは日本にatomic bombが落とされたthe first dayだという。But、Natsumiはfoulで粘るかのごとくそのことにhang inしたいわけではないようで、instead、home runを打ったような、evenといったtoneで、よっぽどhit offしたのか、私にplentyなほうのbeef bowlをsuggestしてくれた。

 lakeshoreに埋まったMoaiの鼻みたいなrockに腰かけて、beef bowlを減らしながら、私たちはlittle long chatをした。やがてlandscapeはsandに塗れたafter gameのhome plateみたいなlight grayに褪せ、Natsumiがmatchを擦ってbonfireを起こした。orange colorのflameでflickerするNatsumiのeyelashesのshadowがmusical instrumentのstringに似て、そっと触れたくなるぐらいartisticだった。cigaretteをやるのか、はたまたhempかcrackか、小声で尋ねると、どれもしないらしく、「持ってないと舐められるから」とself-mockeryにwild strawberryみたいなtongueを出した。

 ThomaはやはりNatsumiのyoung brotherだそうで、いまはこの町でいちばん大きなhillのうえのhospitalにadmitしているという。「冬馬」とhashtagの付いたInstagramを見せながら(やはりdollのように美しいappearanceだった)、Americaにはheart surgeryを受けるべく来たのだとあっけらかんとしたtoneで教えてくれた。transplantはsuccessしたが、follow upのため、regularly、hospitalにentryするらしい。この夏が終われば、日本に帰るそうだ。

 ふたりのpanhandlerぐらいpoorなlifestyleもそうだし、そのぐらいseriousなreasonでAmericaに来る日本人がいることに、excuse-me-strikeをhard hitされたときよりも、shockを受けた。On careful thought、full countからのpayoff pitchがfull strengthのfastballであるかのように、obviousかもしれない。私だってpureなAmericanというわけではない。summer leagueにはいろんなplayerがいて、それぞれのplaystyleがあった。fastballのslowなbig leaguer、2 strikesまで振ろうとしないCaribbeanのmacho man、four-baggerを打ってもfist-pumpしないLatin系slugger、Queen's Englishでumpireにrhubarbを食わせる韓国人catcher……。それならば、buntをしない日本人がいてもいいのではないか。と同時に、きっと1st inningのno outs runner at firstからNatsumiはthird baselineにperfectなdrag buntを決めるように思えて、そのsceneがapple of my eyeだった。それから、Winter Hevenの短い夏を彩ったvariousなbaseballたちがどれもcharmingなappleに思えた。そういうfeelingは初めてだった。

 どうしてeggを持ってきたのか、それもひとつしかないのか、Natsumiに尋ねられた。私は遠慮がちに「きっとThomaは食べると思ったから」と教えた。するとNatsumiはmouthにriceを付けたまま頷いて「よくわかってる」と言ってくれた。In fact、eggが好きだったのはWoodだ。彼は私が作るclumsyなsunny-side upを、indeed美味しそうに食べてくれた。

 先を争うようにbeef bowlを平らげたあと、paper plateとdisposable chopsticksをbonfireにくべて、立ちのぼるblack smokeを見つめながら、私は初めてnuclear plantのtalkをした。彼女なら聞いてくれると思ったからだ。lack focusな私のstoryを聞き終え、prudentなintervalを置いて、Natsumiは汗まみれの顔を伏せ、「ごめん」と言った。play catchで放ったような、Natsumiのlight verseは、しかしdeep strikeに投げ込まれたfour-seam fastballのように、ずどんと来た。mittが痺れるように、私のheartも震えた。私はnuclear plantについて話してよかったと、for the first time、噛みしめながら、victimは私だけではなかったのかもしれない、と、instant replayを受け入れるかのように、fair judgementに達した。

 北のなにもないport townだったこと、fisheryによってのみささやかなlivingを立てていたこと、あのnuclear accidentののち、seafoodは売れなくなり、homelandはどんどん廃れていったこと、消えたrelative、死んだneighborhoodが多くいること、baseballによってようやくreconstructionのprospectがついたこと……。Woodとのrelationshipのことと、babyを諦めたことは、話さないでいいと思ったから話さなかったのだが、言いようもないchoking sensationを堪えていたところ、

「わたし、この夏が終わったら、Fukushimaに帰るんだ」

 と、Natsumiはcrossさせたkneeのまえでsausageみたいなfingertipをぐねぐねさせながら、give upしたように言った。mishearでなければ、Natsumiはwhisper voiceで「Fukushima」と口にした。

 なんというkarmaだろう、彼女はFukushimaから来たのか、尋ねると、言いにくそうに、そうではないと応える。young brotherのThomaがFukushimaで暮らしており、彼のcareをするため、migrateしたいというideaらしかった。radioactivityは怖くないのか、私はのめりこむようにして尋ねた。far away海を隔てたWinter Hevenですら、私は怖かったし、みんな怖がってたのを知ってる。scienceではない、いうなれば、feelingなのだ。Fukushimaのnuclear plantはいまだdecommissioningがcompleteしておらず、short distanceにapproachすることはできないという。たとえyoung brotherのためとはいえ、半ばlifeをbetしてFukushimaにmigrateするNatsumiが羨ましくもあった。気づかないうちに、maybe、Woodに会えない自分を重ねてもいた。私たちを隔てるのはradioactivityじゃない。While、inactivityが隔てている。

「そんな驚くようなことじゃないよ。わたしは、不真面目にFukushimaと向き合いたい」

 bitingな私のeye lineを逸らすかのように顔をあげ、Natsumiはbeautiful summerを彩るsunflowerのようなsmileを浮かべて言った。

 decommissioningのためにscienceのinnovationが起こっていること、renewable energyをはじめとしたsustainable development goalsに先立つvarious themeが見つかるtreasure houseであること、off-limits areaはyear by year減って、saltwater fishからradioactivityがdetectされることはhardlyなくなり、trial fishing operationのうちにyummyなfishがplenty育ったこと、Fukushimaのfishと合わせて呑む日本酒がべらぼうにtastyなこと。

 Japanese spirit、という意味ありげなwordを、moment理解しかねた。I wonder、Natsumiのmistranslationだったのか、on purposeそのwordをselectしたようにも、そう口にしたときの彼女のshynessから感じた。That's to say「日本酒」だ。

 Natsumiがmotorcarのなかからpaper cupふたつと煌びやかなbottleを持ってきてくれて、私たちは日本酒を酌み交わした。alcoholは嫌いではないが、私には多少、misandryの気があり、口説こうと呑まされるのは嫌で溜らなかったが、夏美と呑むのはぜんぜんwelcomeで、しかしgender gapはreasonableでない気がする。Fukushimaの日本酒だという「Sharaku」は、天上のmoonが溶け込んだかのようなgoldに輝き、この町で呑んだどんなvintage wineよりfruityで、meanwhile、strangeにもこの町にfitしていて、北のport townというlocationでは、familiarなのかもしれない。Because私たちはひとつの海をshareしている。あのnuclear accidentで、painfulだったのは私たちだけじゃない。Natsumiたちだけでもない。Though、bad feelingをshareしているのであれば、equally、good feelingもshareできるのではないか……。

 condominiumからくすねてきたeggを持て余していることに気づき、私たちはplay catchをした。ふたりともextremely drunkしていたのに、however poorなairmailでも優秀なpostmanよろしくmissしないと思った。私がpitchするsliderも、split changeも、sinkerも、すべてimageどおりにbreakしてくれた。Then、Natsumiはすべてのpitchを、J. T. Realmutoよりよっぽどしっかりとcatchしてくれた。

「Eephus!」

 とNatsumiは叫んで、star-spangled skyにひときわsparkleするような、moonshotをthrowした。それは私のoverheadをhighly越え、lakeに沈んだはずだったが、sound of waterは聞こえなかったので、どこにfade awayしたのか分からなかった。Silence。

 Natsumi says、そのbreaking ballはbraveなarsenalなのだという。‶bravery〟を日本語にtranslateしたnameを持つpitcherが日本にいた。彼はskillfulなtalentだったが、afraid that、annoyingなinjuryをalways抱えていた。「一億円で故障しない肩があったら、借金してでも絶対に買った。そのお金を返せる自信はあった」という彼のquoteをNatsumiがintroduceしてくれて、そこに「勇気」というnounをassignした。そのfeelingは私にも分かる。Probably、baseballを愛するすべての人に分かるのではないか。At least「勇気」というspiritは、すべての国でcommonなのだ。その彼が、last gameで投げたのがparadiseから羽ばたくangelのような「eephus」らしかった。私にそんなpitchができるだろうか。じっとsweatyなpalmをglareする。私にlackしていたのは勇気かもしれない。素知らぬsurfaceで凪いだquiet lakeをsurveyしながら、私はclutch hitを打たれたあとのmoundみたいにknuckleを握りしめ、あるdeterminationを固めていた。

 

―――Sum17―――

 

―――Sum18―――

 

―――Sum19―――

 

―――Sum20―――

 ずいぶんlong time no writeの日記となってしまった。I mean、しばらくNatsumiのmotorcarでtreatしてもらっており、帰れなかった。などともったいぶって書きながら、virginをlostした朝帰りみたいに、にんまりしてしまう。Thomaが帰ってくるまでのperiod、room mate、というより、motorcar mateにならないか、pappyにTiffanyを強請るようないけすかないtoneで、inviteしてくれた。early morningからmidnightまでNatsumiと暮らしexcitingだったのは、起きてすぐに作ってくれる冷たいmiso soupもよかったけど、none but baseballだ。彼女は「歩くbaseball savant」とでもいおうか、big leagueのtrendにclued-inで、twelve-to-sixのpower curveやhighにwhiffleするsliderでbarrelに立ち向かうstrategyをdiscussするのは、alcohol混じりでtongueのfeelingもよく、interestingだった。ideaが出れば、showerを掛け合ってるときですら、bath towelだけ巻いてすぐにtryした。gameでやりたいことがwhack-a-moleみたいに見つかった。moundに立つのがこれまでになくlooking forwardになった。

 Natsumiはdaytime、downtownでBud girlsのjobをし、incomeを稼いでいるらしかったが、なんともいやらしいminiskirtと、同じぐらいlowなpay per dayを聞いて驚いた。To be sure、H visaを取っていないため、availableなworkplaceが著しくlimitされているのだという。私はいまjobを貰っているDJ boothですぐにdo me a favorを尋ねた。そのballparkはcity-runであり、managerはcivil servantであるため、ひどくdifficultyを示されたが、old disc jockeyがあのfunkyなvibesでbuild bridgesしてくれた。Actually、soft drugよりよっぽどillegalである。Once again、World Seriesのhistorical commentary「green monsterは十人目のfielderだ」を残したlegendにrespectを表するとともに、彼のbroad-mindedにappreciateした。そのぶん私のpayはcutされてしまったのだが、ふたりでひとつだと言われているようで、Natsumiとco-workできるのはそれだけでjoyfulだった。announcerのimitationをしたり、Abbey Roadでscratchingをplayしたり、grand slamが入ったときに「6」のflipをup-side-downにinsertして怒られたりした。jobが終わると、MOTOCOMPOにtandemで、drive-in restaurantのぱさぱさのpepperoni pizzaにcold waterをthrowしたあと、lakesideのmotorcarに帰り、「strikeoutを取られたら日本酒chug-a-lug」というmini gameにsummer skyのcloudがwhaleみたいなdeep blueに染まるまで興じた。

 Tomorrow、Natsumiが「return」とはover the topなphraseだが、彼女らがarrangeするgameに私をmixしてあげる(・・・)という。日本人teamにありがちなsituationといおうか、まあplayerが足りないだけだろう、positionはoutfielderということだったが、Natsumiいわくnightlifeのaceがtemporary returnしているらしく(bad bloodのtherapyらしいがtrueかどうか知らない。それにしてもずいぶんoldでdirtyなphraseだ)、bullpen dayらしいので、perhaps私にもpitchするchanceが来るかもしれないと思えば、初めてとびきりのfashionでnightclubに忍びこんだときよりよっぽどthrillを感じる。batとgroveと、この日記をBoston bagに詰めようとして、ふとdeskのうえに置いたbaseballが目についた。ここに書かれた漢字の意味を、Natsumiに聞きたいと思ったが、あんまり意味がない気がして、止めた。

 許す、というfeelingについて考えている。私は、日本や日本人、nuclear accidentを、許したのだろうか。Or、かつてAmericaが犯したatomic bombのcrimeを許されたいのだろうか。Neither。私はjust、Natsumiにpersonal affectionを持っているだけで、Natsumiもそうだろう。Considering、walk-off home runを打たれたときみたいに、居たたまれなくなり、let it beにされたbaseballは、for example、そのsymbolだった。

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