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チバのこと。

これはいつかちゃんと小説にしたいので、あっさり書く。スマホで書くから、乱文だったら申し訳ない。

チバが死んだ。いつだったかは調べてないし知らない。とにかくもう新曲は聴けないということだ。さびしい。

チバの死を知って、すぐに大学のときの友人に数年ぶりのラインをした。アメリカ万歳映画が嫌いな彼は「ベイビースターダスト」を歌うのがすごくうまくて、白い肌をしているあの子が17歳であることを教えてくれた。ラインの返事は覚えてないし、書かない。彼に伝えるということがあのとき大事だった。

妻の友人もチバが好きだった。その子にもらったらしいCDが家にあって、しろい盤面にマジックで「チバユウスケ」とだけ書いてあった。ミッシェルだかロッソだかバースデイだかごちゃまぜのそれは、そういうCDが知らないうちに出たものだと思っていて、ずいぶんセンスがいいんだなと、もうすこし長生きしてみようと思ったが、それはその子がセレクトして焼いてくれたCDらしい。「彼女は君のことが好きだから大事にしたほうがいいよ」みたいなことを妻に言った記憶がある。正確な文言は忘れたが、ニュアンスとしてはそう。

チバを知ったのは、カウントダウンTVだった。だいたい姉に録画してもらったものを翌朝観ていたのだが、そのときはたまたま深夜に観ていた気がする。忘れもしないチバの口が赤く火照る「GWD」のPV。合宿のとき部屋を抜け出してみんなでギルガメッシュナイトを観たときより興奮した。こういうふうにやればいいんだと思った。

スラムダンクは前情報が明かされず、たしか公開初日のさいしょの回を選んだから、まっさらな状態で観た。もちろんチバが流れることも知らなかった。とりわけ印象的なあのシーン、ひさしぶりに聴いたチバなのに、考えるよりさきに体が反応した。チバを聴くたびに感じた、チバを聴くときにしか感じることのない、あの感覚だった。もうまっさらな状態でスラムダンクを観ることはできないから、あの産まれてきたような感覚を味わえることはない。けれどいろいろ語られがちなスラムダンクの文脈を外れ、ちいさな自分だけのライブハウスでチバに会えたことはちいさな奇跡だった。

チバはかっこいいんだ。あんまりにかっこいいから、死んだときもあまり悲しくなかった。チバはいつもそう。エレクトリックサーカスのときもそうだった。ああそうなんだなと思って、解散を受け入れられてはいないけど、わかった。やさしくて、ずるい。お別れのときも泣かせてくれない。

今朝、まっさきにガールフレンドを聴いた。ぜんぜんよくなくて、好きな子に教えてもらった曲のいいところを必死にさがすあおくさい感覚をひさしぶりに味わった。そんなところが最高にガールフレンドだと思った。

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