ポエムの子
詩人が死んだ。というニュースを友人から妻経由で聞いて、そのとき客人と話していたのでそれほど気に留めるわけでもなく、会が終わったあと、Xで検索し、確かめた。
1週間前に体調が悪そうなポストをしてつづきがなかったので、いやな予感はしてた。それでいえば体調がずいぶん悪いことは、ここ数年会ってない私ですら知ってたので、界隈の共通認識というか、分かっていたことかもしれなかった。
夜に京都で予定されていた主催イベントはそのまま行われるそうで、お通夜のような機会になるのかなと思ったけれど、家にいて、小説の推敲のつづきをすることにした。「ポエムの子」というタイトルだ。なんとなく主人公が持っていたショルダースリングをタワーレコードのきいろい袋に変えてみた。それで作品がよくなったりもわるくなったりもしない。悼むというほどでもないけど、思ったところがなかったわけでもない。
そういえば主人公が履いている靴はコンバースのスニーカーだったり、彼の台詞が入っていたり、あんなに影響を受けるのが嫌だったはずなのに、「キックをdisるときはケツでかっちり四つ踏むな」というアドバイス同様、ずっと逃れられないのかもしれなかった。
就職して京都から大阪に来てからも、彼のブッキングライブに呼ばれつづけた。ただ彼が私のライブを観てくれることはなかったので、良いライブだから誘ってくれてるわけじゃないことは明らかで、ノルマ代や交通費ふくめ負担が大きかったから、誠実じゃない離れ方をしてしまった。他にもいろいろと不義理をした。ただ私も彼もそうとうに頑固だったので、どこかでぶつかることは明らかだったし、それぞれの道に進むのは不可避だったように思う。
彼の人生がある。私の人生がある。
それでも交差した瞬間が確かにあった。それはうれしかった。
Kyoto Spoken Words Matchという詩やラップでなぐりあうイベントを主催したとき、トリのひとつまえが上田假奈代さんだった。すばらしい朗読だったのだが、5分というしばりがあり、無情にもパフォーマンス終了をうながすゴングが鳴った。私はおもむろにマイクを手に取り、思ったままこう言った。
「つづきが聞きたいひとは、聞こえなかったふりをしてください」
イベントのあとに「あれは詩だった」とchoriだけが言ってくれた。それはうれしかった。
うれしかったいくつかのことと、ひとが死んだときのありていに申し訳ないたくさんの気持ちと。
さいごに会ったとき、小説を書いてることを伝えると、choriはこう言った。
「にゃんしーはいつも俺がやりたくてできないことばかりやっていくね」
これからも、choriがやりたくてできなかったことをたくさんやっていくよ。ありがとう。
p.s.いつかのスラムイベントの審査員でchoriが「俺は"審査員"だから"死んだ韻"なんて聞きたくないんで」と言った。「踏めてないっすよ」と伝えたかった。それが強いていえば、思い残しといえば思い残し。