もうひとつの小説新人賞

私は小説の新人賞受賞者の誕生に立ち会ったことがあります。作家の志望者なら誰でも名前を知るような、押しも押されもしない大手の賞です。
最終候補も覚えてるかぎり2回はあったと思います。
予選通過については数えきれません。

自分の小説ではなく、他人の小説についてです。

私は小説を書くとたいていXで募集させてもらっていろんな方に読んでもらい感想をいただきます。どういうふうに読まれるのか、客観性を持たせたいからです。だから何でも思ったことを言ってもらいます(「イチからやり直せ」と言われたことも多数)。自作を客観的に見ようと思ったら、たぶん1年でも足りません。でも他人に読んでもらうと、およそ自分では何年かかっても到達できない客観的視点からほんとうに弱いところをえぐってもらえます。それと、これは仕事をしていて思うことなんですけど、できる人っていつも暇そうです。他人に任せるのがばつぐんに上手いということです。なので自分の読む力のなさを半ば開き直りつつ、半ば申し訳ないながら、なにより感謝して、いろんな方に賞に出すまえの自作を読んでもらっています。

お礼らしいお礼はできてないんですけど、せめてできることを、ということで、相手の原稿をかわりに読み、感想をお伝えするということをしています。

だいたい10年ぐらいそうしていて、読んだ作品の数が記録に残すかぎりで44作でした。記録をはじめたのが2023年だから、少なくみても100作は読んだんじゃなかろうか。自分が書いたのが60作なので、はるかに多くの作品を新人賞に見送ってきたことになります。そして自作より他人の作品のほうが成績がいいです…ずーん。

いろんな方の作品を読んで思うのは、みんなふつうにうまい。新人賞といえば「小説の体を成していれば一次は通る」とまことしやかに語られていますが、昔はともかくいまはこんなことない(そもそも「小説の体」ってなに?とか思っちゃう)。受賞作から一次落ちまで見てきて、文章自体に大きな差があるようには私には見えませんでした。

あえていうならば、後ろまで残る作品はトレンドを掴んでいます。賞で求められるものを意識してかせずか着実にミートしています。「カテゴリエラー」とか言いますけど、ジャンルといわずトレンドから外れる作品はそのままカテゴリエラーで一次落ちだと思います。一次ってひとりが100作ぐらい捌くそうなので、あるていど割り切った読み方をする(まるっきり新しい作品は取らない)と思うので。それにいまは出版社に体力がないので、トレンドにない作品を選ぶだけの余裕がないんだと。

いろんな作品を読み、結果を占い、答え合わせをするなかで、そういう傾向を学べたのもあるけど、お互いに意見を言い合い、小説とはなにか語り合うのはすごく楽しい(なぜかリムーブされたこともあるけど…)。それに、相手の結果がいいものだとすごくうれしい(それ以上に悔しいけど…)。他人の作品を読んで気づく弱いところというのは、たいてい自作の弱いところです。そういう意味で、他人の作品を読むことは自作を読むことでもあります。これがほんとうの意味での客観視ではないかと思うこともあります。

みんながんばってね。私もがんばります。鋼の錬金術師のホーエンハイムじゃないけど、自分のなかにこれまで読んできた100作ぐらいがあり、対話を終えていると考えれば、書くことなんか孤独な作業なのに、どうしてかほんわか心のなかがあったかく感じられるときもあるんです。

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