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読書日記 下川正晴『忘却の引揚げ史 泉靖一と二日市保養所』

半分は個人的な覚え書きです。


下川正晴『忘却の引揚げ史 泉靖一と二日市保養所』弦書房 2017

ジェイソン・モーガンが著書で触れていたので読んでみました。「日本人の引揚げ史を正しく知るためには重要な本だ」といったニュアンスでした。

第二次世界大戦後、大陸からの日本人引揚げが始まりました。よく知られている書物としては、藤原ていの『流れる星は生きている』ですが、この本は1949年発行ということもあってか、悲惨な出来事について強く触れられてはおりません。どちらかといえば、苦労して引揚げてきた人々の生の強さに光を当てております。これは当時GHQの支配下であった日本なので、出版できる範囲が限られていたためでもあったと思われます。
参考までに、夫の新田次郎は終戦後ソ連軍に捕らえられ、一年余りの抑留生活の後に帰国しますが、抑留中のことは黙して語らず、山岳小説をメインとする作家になりました。

『忘却の引揚げ史』は戦後70年が過ぎ出版されたので、内容的にはかなり開示されているのですが、日本人にとって過去の出来事になりすぎて、今となっては話題に登るものではなくなってしまいました。

二日市保養所とは、大陸でレイプされた引揚げ者の堕胎手術が行われていた場所でした。わたしもこの本で初めて知りました。こうした引揚げ史の負の側面を語る人は少なく、著者(下川)自身も知らぬまま生きてきたことを恥じております。自戒を込めてなのか、あとがきで「2015年2月22日に知った」ことをわざわざ記されております。

p.46〜49 要約して引用します。

きっかけとなった事件があった。京城女子師範学校の教え子が引揚げる前に大陸でソ連軍に暴行されていた。引揚げはしたが、妊娠し、腹もふくらみ目立ちはじめており、両親から相談された田中と泉らは堕胎手術に踏み切った。しかし失敗し、女性も胎児も死亡した。当時の日本では法律で禁止されており、設備も技術も未熟だった。
娘の両親は「やはり恥多くても、生んで育てるべきだった」と泣いた。

保養所設立の中心人物
田中正四 元京城帝国大学医学部助教授衛生学
泉靖一 元京城帝国大学医学部助教民俗学

下川正晴『忘却の引揚げ史 泉靖一と二日市保養所』

参考 二日市保養所 - Wikipedia

p.25 鄭大均の文章を引用している。出典元は、清水徹『忘却のための記録』の巻末解説文
「本書に記されている引揚げ体験は、もう半世紀以上も前のできごとであり、したがって忘れられても当然のことといってもよいが、しかしこれは日本人が経験した最後のグローバル体験といえるものであり、ここには今日の私たちの歴史観や世界観に資するところが少なくない。本書に記されている清水家の体験は、今日でいったら、内戦の過程で国外への脱出を余儀なくされた220万人以上のシリア難民や、貧困や内乱や干ばつに絶望して、ヨーロッパに向かうアフリカ難民の体験に似通ったものであり、また北朝鮮が舞台というなら、これは今日いう『脱北者』の先駆けのような体験であった」

下川正晴『忘却の引揚げ史 泉靖一と二日市保養所』

下川は鄭大均の歴史観を引用することで、日本人の歴史感覚を憂いております。こうした憂いは、われわれ日本人が、歴史から学ぶという基本的な能力を養ってきていないということに端を発していると思われます。下川自身も、新聞記者時代に「とある本によって先輩記者と時代感覚を共有できた体験を大切にしている」というエピソードをわざわざ書いていております(p.26~27)。

アメリカ人にして反グローバリストで日本の大学で教えているジェイソン・モーガンが、なぜこの本を取り上げているかというと、日本人はグローバル体験に乏しく、グローバル社会の負の力に鈍感であることに警鐘を鳴らしているからです。

在日米軍のレイプ事件がなくならないのは、なぜなのでしょう。
忘却の引揚げ史は終わっていないと思わされます。
日本はどういう国なのでしょう。
歴史を見つめ、
主権国家とはなんなのか、
今一度問い直さなくてはなりません


参考
清水徹『忘却のための記録』ハート出版2014
流れる星は生きている - Wikipedia
新田次郎 - Wikipedia


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