リワーク体験の記録

先日、主治医に薦められた就労移行支援事業所に行った
その体験の中で自身の過剰適応を強く体感した

長いこと通所されている方に「初めてなのに堂々としててすごい」と言われたが、実際は緊張の上に構えを上塗りしているだけだった

その方がよく気を遣ってくれて、場を仕切って話を振ってくれたが、それが段々嫌になり、自分から先回りして話すようにした これが苦しかった
気を遣われると、自分も気を遣わないといけない″しばり″にとらわれて苦しい
身を任せる選択肢もあった
「気を使われる前に主体的に率先して行動するのが一般的にベターとされているから、そうしないといけない」という考えがあった

グループワークでもそこそこ落ち着いて喋れたが、感情が動けなかった
褒められても素直に喜べなかった
そもそもあまり参加者に対して興味、関心を持てていなかった
何となくこの人はこういう人だな、とすぐにアタリを付けて、それでその場でのコミュニケーションは事足りてしまう

この場でうまく振る舞うことが目的になって、それで頭がいっぱいだったり、簡単な時は意欲を失ったりする

自分がこうしたい、みたいな個性とか、この人のこういうことを知りたい、という好奇心を発揮することに抵抗がある
学校や家庭でそれを迷惑がられた記憶が原因だと思う

昔はASDの積極奇異型に近いようなコミュニケーションスタイルだった
ネット上でのやり取りを通して加減を学んだつもりではいるが、未だに完璧ではないと思う

体験の話に戻る。
午前中のワークが終わり、休憩に入った所で感情がワッと溢れてきて、泣いてしまいそうになって、センター長に声をかけた。

この時泣いてしまいそうになった原因は別にあった。
今朝彼女に乱暴な態度で家を出てきてしまって、気が気でなかったのだ。自分が躁の時、怒りのエネルギーを振りまきながら活動する癖がある。それが他人からすると乱暴に見えたり、八つ当たりになってしまう。そうならない程度に活動するのが目標だったが、今回は彼女の具合が良くないのを見て焦ってしまった。


個室に案内された後、しばらく泣いていた
センター長と面談して、午後の予定を切り上げて帰った
面談の中でもグループワークの内容にお世辞を言ったり、しがみつくような適応と、同時に今すぐこの場を去りたいという気持ちでいっぱいになった
自分には恥のトラウマがある 公の場で失敗したりからかわれたり、恥をかいた記憶 親に軽蔑されたりバカにされた記憶
恥に対する強迫が、適応を駆り立てているのだと思う

グループワークの内容は楽しかったが、自分の中で優先順位は低いと感じた
それよりももっと1対1で人と話す機会が必要だと思った
ワークの前にラジオ体操と瞑想をしたのだが、これは実践した方がいいと思った

帰り道で頭痛と、首がガチガチに固まっているのに気づいた
自分ではそこまで緊張していないつもりだったが、身体はそうではなかった
過剰適応についていまいちピンと来ていなかったが、気づけたのはよかった
同時に、この緊張をどう解消するかが課題だ

サポートして頂けると私が本を買って喜びます。